待っていたもの



 宇宙空間にシートがぽつんと浮いているようなコクピットで、ベラは小さく身震いした。
 自分が駆ることになったビギナ・ギナは編隊を組んで、黒い空間にぽつんと浮かぶコロニーへと向かっている。
 モビルスーツの装甲がそのまま自分の肌になったかのように、宇宙空間の寒さを感じている気がする。
 どうして自分は今ここにいるのだろう。
 平和だった日常を壊した突然の襲撃。
 そして過去に消し去ったはずの自分の本当の名前を呼ぶ兄の声。
 自分がモビルスーツに拉致されていくと思い、学校の友人たちは必死に止めようとした。その結果、友人は凶弾に倒れた。
 その瞬間、もう自分はセシリー・フェアチャイルドには戻れないと思った。
 コロニーがだんだん近づいてくる。
 機械の音だけが小さく響く静かなコクピットで目を閉じると、忘れかけていたかすかな声がどこからともなく聞こえるような気がした。

 広い庭を見渡すサンルームで、母の膝に抱かれながら本を読んでもらっていた。
 悪い魔法使いにさらわれた姫を、白馬に乗った王子が助けに来る物語。
 本を閉じた母に、幼いベラは無邪気に笑った。
「ねえ、ベラもおひめさまよね?なら、ベラがわるい魔法使いにさらわれたら、王子様がたすけにきてくれる?」
 屈託のない娘の言葉に、母はどこか寂しげな微笑を浮かべた。
「…そうね。そうかもしれないわね。」
「じゃあ、きっとおにいちゃまのお馬みたいなきれいなお馬にのってきてくれるのね!」
 母の表情に気づかずに無邪気に笑う娘の赤みがかった金の髪を、そっと撫でた。
「…いい?王子様はあなたが自分で見つけるのよ。あなただけを愛して、あなたのことを誰より大切に想ってくれる王子様を、必ず自分で見つけるのよ。」
「…おかあさま…?」
 そのとき子供心にも、母はそんな王子様を見つけられなかったのではないかと感じた。
 母が自分を連れてシオという男とロナ家を出奔したのは、それからすぐのことであった。

 幼い頃の父の記憶は薄い。
 朧に残る記憶の中でも、決して親しみやすい父ではなかった。
 今は鉄仮面に隠された瞳は、その頃から冷たい光を宿していた。
 ロナ家の娘であった母は、科学者であった父と出会って結婚したという。しかし彼は、母の王子様にはなってくれなかったのだろう。
 だからといって、シオ・フェアチャイルドが母にとって王子様であったとも思えなかった。きっと母はただ逃げ出したくて、通りすがった王子でもなんでもない男にすがったのだろう。
 だからこそ、自分には王子様を見つけろと言い聞かせたのではないだろうか。
 だが、しかし…。
 自分は今、ロナ家に連れ戻されてしまった。
 そして、父こそが悪い魔法使いだったのではないかと感じた。
…私は悪い魔法使いに捕まってしまったのか…
 フロンティアIVをクロスボーン・バンガード制圧しようと襲ってきた混乱の中、大勢の友人や知人が殺された。
 自分も危うく瓦礫の下敷きになりかけたところを、助けてくれた友人がいた。それまでは通う学科も違い、名前をなんとなく知っている程度だったのだが、彼は自身の危険も顧みずに助けてくれた。仲の良かった友人がまわりに大勢いた中で、倒れた自分に駆け寄ってきてくれたのは彼一人だった。しかし彼を、シオは撃った。自分を助けてくれようとした少年が、乗っていた旧型のモビルスーツのコクピットで倒れるのを、そしてシートに染みた血を確かに見た。
「シーブック…」
 自分を助けてくれようとした相手は、いなくなってしまった。
 結局、自分も母と同じようになるのだろうか。
 実家に戻ったとはいえ、そこは自分を包み込んでくれる場所ではない。
 祖父と、父と、兄と…家族がいるはずなのに、自分は独りぼっちだ。
 自分のせいで友人を死なせ、後戻りできなくなった今、祖父の言うままにクロスボーン・バンガードに入るしかなかった。
 本当は不安で怖くて、叫びたいくらいだった。
 そんな気持ちを打ち消すために、ロナ家に戻ろうと決めたのに、彼は現れた。
「あなた、生きていたのね!?」
 単身、屋敷に忍び込んできたのは死んだと思い込んでいたシーブックだった。
 迎えにきた。その言葉に、すがりつきたい思いだった。
 それなのにどうしてあのときは拒んでしまったのだろう。
 自分にこの道を選ぶ決意をさせたのは、あなただったのに。あなたが生きていると知っていれば、他の道を選んでいたかもしれないのに。
 わがままな屁理屈だとわかっていた。
 素直になれなかった結果、ビギナ・ギナのコクピットに座る自分がいる。
 救いの手を自ら振り払ってしまった姫は、どうすればいいのだろう。
 童話にそんな選択をした姫は現れなかった。
 こうなることを選んでしまったのは自分なのだ。だからきっと、もう自分は誰からの救いの手も求めてはいけない。
 そう思った。

 フロンティアIで繰り広げられる戦闘は、ひたすら必死だった。
 モビルスーツという分厚い装甲に阻まれて、人を殺しているという実感はない。
 ただ生き延びるために、無我夢中だった。
 初めての実戦の最中、センサーが敵機の接近を捕える。
 他のモビルスーツとは比べ物にならないスピードで迫ってくる、見たこともない白い機体が眩しく光を反射した。
 自分の前に現れたのは、白馬に乗った王子様ではなく、白いモビルスーツだった。それも、自分を殺すためにやってくる。
 白いモビルスーツは強かった。
 自分の照準が全く合わせられないうちに見失い、気がついたときには衝撃で体全体を激しく揺すられる。
 被弾した。
 殺される!
 言いようのない恐怖とともに、白いモビルスーツが目の前に迫ってくる。そして銃口がコクピットに突きつけられ…
「…!!」
 モビルスーツの装甲が接触した瞬間、体の中を電流が貫いたような感覚を覚えた。
 分厚い装甲を通して、コクピットの奥にいる人間の気配を感じる。
 そして本来わかるはずのないその気配を感じたと同時に、涙が溢れそうになった。
「…シーブックよね!?」
「え?」
 接触回線から聞こえた白いモビルスーツのパイロットの声に、我を忘れて叫んでいた。
「シーブック!!」
「セシリー…セシリー!?」
 白いモビルスーツの奥に、彼の姿が確かに見えていた。
 今度こそ、差し伸べられた手を離してはならない。きっとこれが最後のチャンスだ。待っているだけではいけない。自分で見つけなければ。白いモビルスーツを駆って現れた彼が、自分の…。
 ベラではなくセシリーとして必死に伸ばした手を、彼はしっかりと掴んでくれた。
…私、見つけられたかもしれない。お母様…


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