フランスの森の中、焚火を囲んでいた。 この時代は既に魔人柱を倒して脅威を取り去ったはずなのだが、強烈な歪みが起こったことによる影響がそう簡単に消えるはずもなく、本来はその世界に在るべきでないものが時折現れる。 その発生を探知する度、その世界の者に被害が及ぶ前に潰す必要があり、今回もワイバーンの出現が確認されたフランスまで来ていた。 今は冬らしく、日が短い。 おまけに森の中とあって、夕方を前にして森の中は真っ暗になってしまった。 カルデアに戻ってもよいのだが、敵はまだいる。ならばここにいる方が、敵が現れた場合にすぐに対応できるということで、野営することにした。 幸い、巨大な岩がの下側がえぐれており、その下は七人が入る余裕もあるため、そこに火を焚き、束の間の休息を得た。 いざ就寝、と言っても、本来サーヴァントに寝食は必要ないため、眠らなくてはならないのはただ一人の人間、彼らのマスターである立香だけだ。 「なんか申し訳ないな…一晩くらい徹夜したって平気だよ?テストの前の日とかよくやってたし!」 と言っても、 「まーたそういうこと言う…そんなこと気にしないで、いいから寝ろ寝ろ。」 手をひらひらと振りながら言う燕青に続き、 「そうです。いざ戦闘の際に寝不足でパフォーマンスが低下しては、元も子もありませんよ。」 「マスターよ。余が許すというのだ。ありがたく受け入れるがよい。」 「マシュもマスターと一緒に休むといい。我々は美女二人に無理を強いることを良しとするような無粋者ではないからな。」 「マシュさん、あなたが一緒ならきっと主殿も素直に休んでくれるでしょうから…ここは僕たちに任せてください。」 パラケルスス、ラーマ、フィン、小太郎によってたかって畳みかけられ、マシュも立香を休ませるためるためその案に乗る。 「ここは皆さんのご厚意に甘えましょう。」 でないとほら、と立香をつついて、こそっと耳打ちする。 はっとして燕青を横目で見ると、彼の満面の笑みから何やらものすごい圧力を感じた。 あ、やばい。 嫌いなものは忠告に従わない主!と公言して憚らない燕青を怒らせたくない。と言うよりも、何より嫌われたくない意識が胸の奥底にある。 「う、うん…皆、ありがとう。悪いけど休ませてもらうね。」 そう答えれば、 「うんうん、素直に言うこと聞くいい子のマスターは大好きだよぉ。」 今度は圧力を感じさせない優しい笑顔になったことを確認し、ほっと胸を撫でおろしながら奥でマシュとフォウと一緒に眠りにつくことにした。 どのくらい時が経っただろうか。 空を見上げると、重なり合う枝の隙間から、満天の星空が覗き見える。 その星空を黒い小さな影が流星のように横切ったのは、ムササビか。 動物の立てる物音や風の音など、夜の森は案外賑やかだ。 それでもここは、焚火の爆ぜる音と、二人と一匹の小さな寝息だけが支配する静かな空間となっている。 不寝番を買って出た五人も、彼らのマスターの眠りを妨げないよう、特に言葉を発することなく静かに過ごしていた。 それに最初に気づいたのは、誰だったか。 ほぼ同時に顔を上げた五人が互いに視線を交わす。 ほんのわずかだが、サーヴァントの気配を感じたのだ。 この世界にいるサーヴァントは、自分たちだけのはず。それ以外のサーヴァントとは、即ちイレギュラーたる存在…敵を意味する。 が、その気配はごくごく薄く、近寄ってくる様子がない。 遠くにただ存在しているだけならば、わざわざ今先に討って出ることもない。 もう少し様子を見よう…と目顔で意思を共有したときだった。 「…うう…っ…」 立香のくぐもった声が聞こえた。 目を覚ましたのだろうかと思ったが、どうも違うようだ。 「ぅう…あ…うあ…っ…」 うなされている? 彼女の様子を見ようと全員が腰を上げたとき、 「マスター…?」 うなされはじめた立香に気づいたマシュが、揺り起こそうとする。 「マスター…先輩?先輩!?」 しかしどれほど揺すっても、立香は目を覚まさない。 ただ、どんどんうなされ方がひどくなっていく。 「おい、どうした!?」 「わかりません!急に苦しみだして…」 もはやうなされているというより、もがき苦しんでいるといった方がいいくらいに、胸をかきむしり、のたうち回っている。 それでも、目を覚まさない。 さすがにこれはただ事ではない。 敵が何らかの攻撃を仕掛けてきたのかと思うが、先程感じたサーヴァントの気配も、遠いままだ。 急いでロマニを呼んで手短に状況を説明し、すぐに状況の解析に入ってもらうが、その間も立香はもがき苦しんでいる。 フォウも心配してきゅうきゅうと鼻を鳴らすが、ひどく暴れる立香に近寄れない。 体を弓なりに反らし、固く閉じた目頭から涙を零して何かを掴もうとするかの如く右腕を宙にさし伸ばす。 その手をマシュが握りしめて暴れる体を必死に押さえるが、全く収まる気配がない。 彼女を苦しめるのは、苦痛か、恐怖か、悲しみか。 頭を激しく振るために舌を噛んでは大事だと、燕青は手首に巻いた赤い布を引き裂いて窒息しない程度に口の中に押し込みながら、怒りに全身の毛が逆立つのを感じる。 それは立香に危害を加えられた怒りだけではない。目の前で苦しむ彼女にどうすることもできない自分への怒りが何より大きい。 間もなく、カルデアから通信が入った。 『ダ・ヴィンチちゃんだよ。どうやら、マスターの夢の中に敵が侵入したっぽいね。』 「夢の中だと!?」 「さっきから感じている気配…近くにいないと思ったが、まさかそんなところに…!」 「だけど、主殿の夢の中だなんて、どうすればいいんですか!?」 よもやそんな攻撃を加えられるとは、想定していなかった。 夢の中では、如何な屈強なサーヴァントたちがマスターを守っていても、意味がない。 『キャスターは…うん、そっちにはパラケルススがいるね。マスターの精神世界へ道を作ってほしい。できるだろう?それを辿って霊子化したサーヴァントがマスターの夢の中へ降りて行けるはずだ。敵も、きっとそこにいる。』 「わかりました。やってみましょう。」 急いでパラケルススが準備に入る間に、体制を決める。 マシュ、小太郎がこちらの世界で立香の本体を守る。 燕青、フィン、ラーマが夢の中へ降りていく。 こちらの世界と精神世界をつなぐパラケルススは戦闘に参加できないためこちらが若干手薄にはなるが、マシュの盾があれば小太郎は攻撃に専念できるため、なんとかなるはずだ。 「か弱い女性を狙うだなどと、許しがたいな。」 「卑劣な…首を洗って待っておるがよい!」 「皆さん、道を開きました!」 「よぉし、ねぼすけ娘をちょいと叩き起こしに行ってこようかねぇ!」 苦しみ続ける立香を、サーヴァントたちが取り囲んだ。 そこは立香の学び舎。 魔術師としてではなく、普通の少女として学び、友達と遊んだ思い出の場所。 見慣れたはずの三階建ての校舎や体育館、大きな桜の木などが、遥か昔の思い出の光景のように懐かしい。 しかし学校はいつもの学校ではなく、仮設テントが立ち並び、思い思いの飾りつけを施され、まさに学園祭の最中だった。 何故こんなところにいるんだろう? 今回のレイシフト先ってここだっけ… ん?レイシフ…って何だっけ…? 頭がぼんやりする。 思考が曖昧になってきて、その場に突っ立っていた立香の背中に、どん、と重みのあるものがぶつかってきた。 「り〜つか!」 振り返れば、仲の良い友達が抱きついている。 「いっちゃん、みー…」 「一緒にまわろ?」 「…うん!」 笑顔で頷いた立香は、カルデアのマスターではなく一人の女子高生となっていた。 屋台をまわり、級友、教師と次々と言葉を交わす。 その度に言いようのない懐かしさと温もりが胸に満ちていくが、その理由を考えようとするとまた頭がぼんやりとする。 それに今は、何かを考えるより、この優しい温もりに浸っていたかった。 「立香。」 そして正面から自分にかけられたその声は、これまでの何にも増して、胸を締め付ける。 「おかあさん…おとうさん…!」 そこには両親がいた。 何故これほどに心が震えるか理解できぬままに衝動に突き動かされて飛びつきそうになったとき、両親の向こう側に立つ人影に気付いた。 鮮やかな彫り物に彩られた鋼の筋肉を惜しげもなく晒し、武骨な鎧で武装した美しい青年… ふいに視界がぼやけ、青年の姿が朧になっていく。 その姿を、このまま消してはいけない。 そんな想いに駆られたとき、考えるより先に言葉が口をついて出た。 「えん…せい…」 その瞬間、ぼやけた青年の姿が再び輪郭を取り戻し、それまで埋もれていた記憶が一気に覚醒する。 「燕青!」 間違いようもないサーヴァントの燕青だ。 何故、一瞬でも彼がわからなかったのだろうか。 何があっても忘れるわけがないのに。 忘れたくない人なのに。 いや、それよりも。 この状況は何なのだ? 確か、フランスに来ていたはずだ。 それが何故、日本の立香の母校にいるのか。 さっきまで私は何をしていたんだっけ? さらに、おかしいことがある。 いくら様々な扮装の浮かれた生徒が多かろうと、明らかに異質な燕青の存在に、周囲の生徒は誰も気づいていないかのごとく通り過ぎていく。 一緒にいる友達も、彼の存在に気づいていないようだ。 「燕青…?」 呼びかけても、能面のような無表情のまま、黙って佇んでいる。 いつもなら悪戯っぽい笑みを浮かべて「なぁにぃ?」と軽快に応えてくれるのに。 やはり、絶対におかしい。 はっと気づけば、行き交う生徒たちに紛れ、燕青だけでなく他のサーヴァントたちやマシュ、ロマニもいた。 いずれも立香とともに戦ってくれる、大事な大事な仲間たち。 彼らも表情をぴくりとも変えることなく、無言で石像のように佇立している。 「何、これ…どうなってるの…?」 思わず後退った立香の足元から、からりと乾いた音がした。 同時に足が沈み込むような不安定さも感じ、足元を見降ろしてみると、そこは赤土のグラウンドではなく、白い一面の瓦礫だった。 その瓦礫はよく見れば、骨の欠片だ。 それが一面、地面を埋め尽くしている。 「…!!」 骨の欠片がまるで生き物のように、立香の足元から一気に這い上がってくる。 「きゃ…なに、なに!?」 驚いて飛び退ろうとするより早く、全身が飲み込まれてしまった。 それでもかろうじて顔は出ているので、周囲の様子を見ることはできる。 立香がこんな状況になったというのに、隣にいる二人の友達も、正面の両親も、周囲の生徒たちも、揚句は燕青をはじめとしたサーヴァントたちまで無反応だ。 「う…離せ、このっ…え、燕せ…」 振り払おうとしても、全身に骨の欠片が絡みつき、びくともしない。 いつもなら真っ先に助けに来てくれる燕青は、先程から全く動かない。まるで立香に気づいていないかのように。 ぎりぎりと全身を締め付けていた骨の欠片の一部が再び動き出し、埋もれていた立香の右腕が外に押し出される。 尖った骨が立香の制服を引き裂き、剥き出しになった腕を傷つけていく。 生き物のように動く瓦礫が立香の腕にまとわりつき、無理矢理動かされて前に突き出す形にされるが、立香自身の力では全く動かせない。 「…な、なんなのこれ…」 と、顔周りの骨の欠片が動き出したかと思うと口の中へ入り込み、まるで拘束具のように彼女の口をこじ開ける。 「うあ…っ!?」 小さな骨の欠片が彼女の舌さえ抑え込み、胸を、咽喉を押され、肺の中の空気が立香の意思とは無関係に声となって押し出される。 「…れい…じゅ、をも、て…」 !? 口を閉じようとしても、骨の欠片は異様に強い力で勝手に立香の口と舌を動かす。 「ぜん…サー、ヴァン、ト、へ…めい、ず、る…っ」 骨の欠片に拘束されて突き出された右手の甲の令呪が、赤い光を帯びる。 嘘、何これ… 「す、べて、をさつ、り、くし……」 な、何を言って… 「……じ、がい、せ、よ…」 その瞬間、令呪が禍々しい光を放った。 「だめええええええええええええええええ!」 直後に骨の欠片から解放された口で叫んだときには、遅かった。 一瞬のうちに、楽しい学園祭の風景が地獄絵図に変貌する。 母の胸を、槍が貫く。 父の首が胴から離れ、宙に飛ぶ。 友達の上体が熱線を浴びて蒸発する。 「おかあさん!!おとうさん!!」 他の生徒たちも、次々と殺されていく。 あっという間に学校も破壊され、炎に包まれた。 まるであのときに見せられた、未来のように。 私の大事な仲間が、私の大事な家族や友達を、罪もない人々を殺戮して… 「やめて!やめて!お願い!!」 立香とともに数々の戦いを潜り抜けてきたサーヴァントたちにとって、普通の人間を殺すことなど、蟻を踏み潰すより容易いことだった。 一瞬で屍の山を築き上げたサーヴァントたちは、次の命令に移る。 「嘘よ!!だめ、私そんなこと言ってない!」 なんとか止めようと、必死に突き出されたままの右手を伸ばそうとするが、骨の欠片に絡めとられ、身動きが取れない。 そうこうしている間にも、サーヴァントたちは次々と斃れていく。 「だめ!!やめて!!皆、やめてえええええ!!!」 泣き叫ぶ立香の眼前で、長い漆黒の髪がふわりと舞い上がる。 燕青だ。 「燕青!?だめ…だめ…だめ…!!!」 その首筋からはおびただしい血潮が噴き出し、鮮やかな彫り物を鮮血が覆い尽くしていく。 そして、糸が切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。 「いやあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」 何かが弾けるように、立香の視界が眩い光に塗り潰された。 パラケルススの作った精神世界への道は、細い光の糸のようなものだった。 それを伝い、立香の夢の中へ降りていく。 真っ暗で寒い。 これが立香の夢の中だというのか。 何でこんなとこにいやがる? あんたはもっと明るくて温かいところにいるべきだ… 燕青は苛立ちを隠さず、唇を?む。 急いで降りていきたくても、自由落下よりもゆっくりとした速度でしか降りていけない。 その間もずっと、立香の悲痛な叫びが闇の中に響き続けている。 そして一際凄まじい絶叫が闇を引き裂くように響き渡った瞬間、総ての音が消えた。 立香の声が聞こえなくなり、闇の中を静寂が支配する。 しかし、それが苦しみから解放されたためとは思えない。 何かとてつもなく嫌な予感がする。 あの悲鳴はただ事ではない。 急ぎたくてもこれ以上急げないもどかしさに歯噛みしながら、深淵へとゆっくりと降りて行った。 闇を背景に燃え盛る建物の瓦礫の中、屍を晒すのは、自分たちサーヴァントと、どこか彼女に似た女性と、そっくりな髪色の男性、そして同年代の少女たち… ようやく最深部まで降りた彼らを待っていたのは、地獄もかくやというような光景だった。 ここは立香の夢の中のはずだ。 一体、彼女に何が起こったのか。 足元に広がる血の海に倒れ伏した自分の姿をつま先で蹴飛ばすと、燕青は前方に佇立する白い瓦礫のようなものでできた柱を見た。 闇の黒と血と炎の赤にまみれた世界でそれだけが真っ白く、却って薄気味悪い。 よく見れば、その柱は無数の骨が絡み合ってできている。そして下の方に、灰色のものがわずかに覗いていた。 どくん、と心臓が音を立てる。 どうしようもなく嫌な予感に突き動かされて駆け寄ると、その灰色は、突き出された右手…の形の石。 しかしその細い指が、我らがマスターのものとすぐにわかった。 「マス…ター…?おい、嘘だろ…」 立香は石になってしまった。 だから、途中で彼女の声が途絶えたのか。 愕然とする燕青の耳朶を、ラーマの鋭い叱咤の声が打つ。 「何を惚けておるか!まだマスターは死んでおらん!我々がここに在るのが証拠だ!」 「…っ!!」 彼女はまだ生きている! 三人がかりで急いで骨の欠片を毟り取るように取り払っていくと、少しずつ腕が現れる。 必死に伸ばされ、何かを掴もうと開かれた手… 石となっていても、右手の甲から令呪が消えているのがわかる。 この状況と併せて鑑みれば、何が起こったか想像がつかないではない。 何らかの力により発動されてしまった令呪を止めようと必死に足掻き、最後は自ら石となることで令呪を無効にしようとしたのだろうか… 瓦礫と化した建物は、損傷がひどすぎて元が何だったのかわからないが、恐らく彼女の思い出の場所だろう。 ここに降りてくる途中、父と母を呼ぶ声も聞こえた。ということは、先程見た立香の面影を持つ男女が両親か。 その他、自分たちサーヴァントも含め、山と築かれた屍は総て彼女の大切なものたちだろう。 どれほど苦しかったか。悲しかったか。辛かったか。 悲鳴を上げて泣きながらもがき苦しんでいた彼女が見せられた地獄に、言いようのない憤りが炎となって全身を焼き尽くしそうだ。 しかし今は石化した立香が傷つかないよう、急ぎながらも丁寧に絡みつく骨を引き剥がす。 二の腕が現れ、肩が現れ、その腕が服をまとわぬ剥き出しの状態であることに気づいたとき、背後に現れた気配に振り返る。 動くたびにがらがらと音を立て、まともな生物の形を成さない骸骨たちと、その奥に影そのものが凝固したような人影が現れる。 サーヴァントの思念の残滓…シャドウサーヴァントか。 相手が何者か確認するまでもなく、ラーマが剣をブーメランのように投げつける。 それに続けとばかりに、フィンの槍から放たれた青い閃光が骸骨たちを薙ぎ払う。 二人とも、怒り心頭だ。 当たり前だ。 大切なマスターがこんな目に遭わされたのだから、何一つ遠慮してやる要素などない。 寸の間考えることもなく、敵の殲滅は二人に任せて燕青は立香の救出にあたる。 二人もそのつもりのようで、二人に敵を近づけないように戦線を押し出した。 骨の欠片を取り去っていくと、髪が、顔が現れる。 大きな目をこれでもかと見開き、口角を骨にこじ開けられた以上に何かを叫んだ形相のまま、石となっている。 明るくてよく笑い、泣きそうになったり、それでも必死で強がってみせる立香のころころと良く変わる表情が眼裏に次々と浮かぶ。 そんな彼女が、これほど悲痛な、絶望に満ちた顔をして… 十代の女の子なら、本当は学校ってとこに行って友達と遊んで、箸が転んでもおかしい年頃だろ? 魔術師としての能力を持って生まれ、偶然からとんでもない戦いに巻き込まれてしまい、それでも運命を受け入れて必死に戦っているが、本当は戦いなんてこれっぽっちも似合わない優しい女の子だとカルデアにいる誰もが知っている。 だから、俺だってついていくと決めたんだ。 固くなってしまった、本当はふにふにと柔らかくてつつき甲斐のある頬を撫でると、再び骨を取り去る手を進める。 首から下、鎖骨が覗き、さらに骨の欠片をそっと外すと、顕になった胸が晒される。 礼装どころか薄布一枚、何一つ彼女を守るもののない、彼女の?き出しの心そのものだ。 このやろう…このやろう…よくもこいつの心を… 毟り取った骨を握り潰す。 なんとか彼女を掘り出しながら、このまま連れて帰っても大丈夫なのかと不安になる。 いや、ここは夢の中だ。きっと現実世界の立香まで石化してはいまい。 しかし石となってしまったここで、うっかり体の一部を欠けさせでもしたら、彼女の本体にも影響を及ぼすかもしれない。そう思うと、気が急いても骨の欠片を取り去る手が慎重にならざるを得ない。 ただでさえ、傷だらけだ。 度重なる戦いの中、前線に立たずとも傷を負うことはある。 また魔力を消耗してしまったサーヴァントのため、自ら体を傷つけ、鮮血を与えることもある。 女の子なのに、全身ぼろぼろだ。 これ以上、傷を増やしてなるものか。 怖いよな。 辛いよな。 口には絶対に出さないけれど、必死に堪えてるんだもんな。 そんな苦しみを、少しでも和らげてやりたい。 主と従者という絆は、自分の中で既に踏み越えている。 あんたの世界のテーマパークとかいうところに、また行きたいんだろ? 楽しいところがいっぱいあるって、一緒に行こうって言ってくれただろ? 俺もあんたを連れて行きたいところがあるんだ。 普通の女の子としてのあんたと一緒に歩きたいんだ。 あんたともっと一緒にいたいんだ。 「だから帰ってこい、立香…!」 石となった冷たく硬い唇に、我が唇をそっと重ねた。 からり、と骨の欠片が落ちる音がする。 見開かれたまま固まった目の端から、光るものが零れ落ちる。 それは黒っぽい染みとなって灰色の石の表面に流れ、そこに亀裂が走り、一気に全身に広がる。 小柄な体を覆った亀裂から卵の殻が剥けるように、ぱりんと音を立てて石の薄片が剥がれ落ちていく。 その中から現れるのは、輝くような白い肌。 総ての石が剥がれ落ち、骨の欠片の拘束からも解放された。 同時に支えを失って、前にのめるように倒れこむ一糸まとわぬ立香を、腰に巻いた白布を外して包み込んで抱きとめる。 腕の中の彼女から体温を、心臓の鼓動を感じる。 「……」 胸に満ちる安堵感からぎゅっと抱き締めるも、のんびりしている時間はない。すぐに抱え上げて走り出す。 ちょうど、ラーマとフィンが最後に一体残ったシャドウサーヴァントに渾身の剣と槍をぶち込んでいた。 本当は自分も全力の拳を叩き込みたい。 が、この腕の中の大事なものを一瞬でも手放したくない。 怒りをぶつけるよりも守ることを優先したいなどとは、無頼らしくもない思考を持つようになったものだ。 「ラーマ、フィン!」 二人がマスターの救出を確認したのと、シャドウサーヴァントが金色の粒子となって霧散するのは同時だった。 もはや立香の夢の世界に敵はいない。 空間が揺れた。 屍の山も燃え盛る瓦礫も、黒い粒となって風に吹き散らかされるように消えていく。 この悪夢もようやく終わりを迎えたようだ。 パラケルススが作ってくれた光の道に吸い上げられるように、三人のサーヴァントと立香は光の世界へと昇っていった。 「先輩?!」 目を覚ましたものの、まだ朦朧として動けない立香に、マシュが泣きながら水を飲ませるなど介抱している。 どうやらある程度の記憶はあるらしく、礼を言おうとしているようだが唇が動くだけで声が出ない。 言葉で礼など聞かなくても、彼女が無事でいてくれるだけで充分だ。 三人が立香の夢の中へ潜入していた間、こちらでも敵襲があったそうだ。 倒れた立香と夢の世界への道筋をつなぎ続けるパラケルススをマシュが守り、小太郎一人で殲滅した。 忍びの軍勢の幻影が暴れまくった痕跡が周辺に刻まれている。 相手がライダー属性のワイバーンだったものだから、ライダーに強いアサシンである小太郎は八面六臂の大暴れだったそうだ。 一様に安堵に胸を撫で下ろしたものの、立香が倒れてしまった今、ここにいるのは危険だ。再度万全の体制で出直すことにし、急いでロマニに連絡をとり、カルデアへ撤退した。 深夜、小さな音をたて、扉がスライドして開く。 立香が顔を上げると、扉の縁から燕青が顔を覗かせた。 「あー…やっぱり。」 「あれ?こんな時間にどうしたの?」 寝間着は着ていたが眠りにつくことなく、ベッドサイドランプ一つしか点いていない薄暗い寝室で、ベッドの上で膝を抱えて座っていた。 「それはこっちの台詞。良い子は寝る時間だよぉ。」 「深夜に乙女の部屋にノックもなしに入ってくる人に、そんなこと言われたくない。」 「だぁって、万が一寝てて、音で起こしちゃったら悪いじゃん。」 「もしかして、様子見に来てくれた?さっき寝すぎちゃったから眠くないだけ。大丈夫だよ、ありがとう。」 微笑んでみせるが、明らかに顔色が悪い。 「はぁ?どの口で大丈夫とか言うかね!この口か?あぁ!?」 「ふゃ〜〜〜!?」 口角に指を突っ込まれて思い切り横に広げられ、痛さで涙目になりながら燕青の手を叩いて抗議する。 と、立香を膝の間に収めるように正面に座り、口を引っ張っていた掌で柔らかい頬を包み込む。 「あのさあ、そういう台詞は、そんな真っ青な顔して震えながら言うもんじゃないよ。なあ、立香?」 「……」 翡翠の瞳に、自分の顔が映っている。 自他ともに認める無頼漢とは思えぬほどに優しい眼差しに、咽喉の奥が熱くなり、ぎゅっと詰まる。 これまでずっと必死に堪えていたものが、音を立てて瓦解していく。 自分の中の臆病な心を奥底に封じ込めてきた石棺の蓋が、あのとき一緒にひび割れて砕けてしまったのだろうか。 「だっ…て…」 膝の上で固めた小さな拳が震える。 「……じゃったん…よ…」 大きな瞳からぽろりと涙が零れ落ち、頬を包んでいた燕青の手に温かい涙が伝う。 「死んじゃったんだよ!おとうさんもおかあさんも友達も、マシュやドクターとか皆…皆…燕青だって…!!そんなのもう絶対見たくないよぉ!」 この現実世界で、大事な人たちの死を見たくなくて、必死に頑張っているのだ。 それなのに… 子供のようにしゃくりあげる立香を、そっと抱きしめる。 「やだよ…えんせ…死んじゃやだよお…」 「大丈夫だよぉ、俺は死なないよ。他の皆も、誰も死なさないよ。だから泣くなよ、なあ。」 立香の頭をぽんぽんと撫でると、たまりかねたようにしがみついてきた。 「…私、頑張るよ…負けないよ…だから絶対死なないでね…」 「うん、頑張ろうなあ。そのために俺がいるんだからさ。」 英霊といえば、いずれも既にこの世にない人々だ。 彼らに対して「死なないで」とはまた妙な話だが、それはこのマスターらしくてよいかとも思う。 今回得た主は、本当にほっとけなくて、どうしようもなく愛しい。 だから今度こそ最後まで守り抜くと決めた。 悪夢よりも過酷な現実に立ち向かう彼女が、せめて夢の中でくらいは安らいでいられるように。 「何なら、添い寝してやろうかぁ?」 「うん…」 「え、いいの!?」 「…変なことしちゃだめだよ。」 「えー…」 「何よ、何かする気だったわけ?」 「まっさかぁ。」 「信用できない……だって勝手にちゅーしたじゃん…」 「ありゃ、覚えてたか。」 「……初めてだったのに…」 「そりゃー雰囲気もへったくれもない状況で悪かった。今度やり直しするから好きな状況考えといてくれな。夜景のきれいなとこ?壁ドン?いやむしろ今じゃね?」 背中にまわっていた手で長い髪を思い切り引っ張られて、首が変な音をたてる。 髪を掴んだまま、立香が上目でじとっと睨んでくる。その目元どころか耳までも真っ赤だ。 「………それに…見た、でしょ…」 何のことかすぐに思い当たったために悪びれることなく、 「あー、見たねえ。でも他の奴らには見られないように、すぐ隠したぜ?」 「そういう問題じゃないー!」 「俺の手で脱がす楽しみがないとなあ…って、やっぱ今じゃね?」 「ばかー!!」 またもや思い切り髪を引っ張られたが、背中に回された立香の腕が外れる様子はない。 さて、この愛しい愛しいマスターに今宵悪夢を見させないために、どうしてくれようか。 華奢で小柄な体を抱き締めたまま、燕青はくつくつと笑った。
fin.
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