恋敵



 サーフェリオ一番と自他共に認めるふさふさのしっぽが、弾む歩調に合わせて揺れる。
 自由時間の間、賑やかなペターニの街を散歩していたロジャーは探検気分で路地裏まで入っていき、そこではっと顔を上げた。
 メノディクス人の獣に近い嗅覚が、雑踏の中からかすかな香りをしっかりと捕える。この爽やかでいてほんのり甘い香りは…
「ネルおねいさま!」
 麗しのおねいさまの香りを間違えるはずがない。
 ロジャーは喜んでその香りがするほうへ走っていった。
 それは人気のない物置小屋の裏から感じる。
「おねいさまー!!」
 そう叫んで、そこにいるであろうネルに飛びつくつもりであった。
 地面を蹴ろうとしたロジャーの足が、予定に反してその場に釘付けになる。
「…!」
 そこにいるのは、ネル一人ではなかった。
 壁によりかかるネルの前を遮るように、こちらに背を向ける形で立っている長身の男―。
 その後姿は、嫌というほど見覚えがあった。
…あ、あれはプリン野郎!!
 アルベルの存在を知った途端、ロジャーは積んである薪に身を潜めた。
 ネルの顔のすぐ脇に、ガントレットに覆われた左腕を突く。
…ああっ!ただでさえ邪魔なのに、そんなことしたらおねいさまの麗しいお顔が見えないじゃんか!!
 どんなに首を伸ばしても、二本の触手が揺れる腹立たしい背中しか見えない。
 こんなところで、二人して何を話しているのだろうか。もしおいらのおねいさまに危害を加えるようなことをしたら、絶対に許さないぞ!そんなロジャーの意気込みをよそに、聞こえてきたのは低い忍び笑いだった。
 アルベルの背中が揺れて、それに応えるようにネルが肩を揺らすのが見える。
 二人して、何を笑っているのだろうか。耳を必死にそばだてる。
「…あんたもバカだねえ。」
 うむ、そのとおり!聞こえてきたネルの言葉に、深くうなずく。
「てめえも人のこと言えんのかよ。」
 なんだとう!?思わず飛び出して殴りかかろうとしたロジャーの丸い目が、さらに大きく見開かれた。
 プリン色の頭が、その向こうにあるおねいさまの方へと下がっていく。それと同時に、会話が途切れる。
…な…な…
 何さらしとんじゃーーーーーーーーーー!!!!
 その叫びは、口を覆った掌によって抹殺された。
「もががっ…!」
 自分の口を押さえつけた犯人はどこのどいつだ、と振り返ったロジャーの後ろには、いつの間に現れたのか、いい奴なのに腹黒いにいちゃんとデカブツがいた。
 二人は指を口の前に立てながら、自分たちもごそごそと薪の陰に隠れる。
(あああ…ネルさんが毒牙に…)
(おお〜、やるなあアルベル。)
 ハンカチを噛み締めて悔しそうなフェイトと、出刃亀オヤジ丸出しの顔で覗いているクリフ。そしてその足元に、こちらは泣きながらもがくロジャーがいる。
(は、離せデカブツっ!)
(お子様は見ちゃいけません!)
(ネルさんは至高の存在なのに〜〜!)
(なら覗いてないで早く止めるじゃんよ、バカチン!!)
(これからってときに止めるバカがいるか!?)
(ネ〜ル〜さあ〜〜ん!!)
(おねいさまああああああああ!!!!!)
「肢閃刀!!」
 問答無用の大攻撃に、破壊音とともに物置小屋が吹っ飛ぶ。その陰の薪に隠れていた三人も、当然一緒に吹っ飛んだ。
「…ったく…」
 舌打ちをしたネルの頬が紅く染まり、乱れた襟元を慌てて直している。
「だからこんなとこでって…」
「邪魔な連中は片付いたんだろうが。」
 にやりと笑ったアルベルに抗議しかけたネルの声が、また途切れた。
「……ほ〜ら、おまえらが騒ぐからばれちまったじゃねえかよ。」
 その光景を数件離れた建物の屋根にひっかかった状態で眺める羽目になったクリフが、隣で逆さになっているフェイトとロジャーを睨む。
「だって、だってネルさんが…」
「だからおいらは止めようとしたんじゃんか、バカチン!!」
「こらこらチビッコくん。人の恋路を邪魔しちゃいけないぜ。」
「おいらの恋路も邪魔すんな!」
「でもなー、確かにあの二人、並べておくと絵になるんだよなー…悔しいけど。」
「だよなあ。ネルはあのとおり美人だし、アルベルも黙ってりゃ見た目だけはいいからなあ。年齢とか立場とか、いろいろ合うところは多いんだよな。」
「ちくしょー!おいらだってあと1メートル背が高ければ、あんな野郎に負けねえじゃんよ…!!」
「身長より年の差も問題だと思うぞ。」
「むきー!!」
 ロジャーが暴れた弾みで三人が屋根から落ちたことなど、物置小屋の裏にいる二人は知る由もなかった。

 夕食後のひとときは、ささやかなくつろぎの時間だ。それぞれ談笑したり、思い思いの時間を過ごしている。
 カルサアの宿のロビーの隅に置いてあるチェス盤を囲んでいるのは、アルベルとネルだった。なんだかんだ言いながら実力は拮抗しているので、いい勝負になる。
「チェックメイトだ。」
「あー…しまった。やられたね。」
「今日は二連勝だな。」
「ふん、全体では私のがひとつ勝ってるよ。」
 互いに負けず嫌いの減らず口を叩きながら、またコマを並べなおす。
 と、そこへ賑やかな足音をたてて走ってくる音がした。
「おーねいーさまあー!!」
 ネルをそう呼ぶのはロジャーしかいない。
 騒々しい足音の主は、廊下からロビーへ飛び込んできた。
「おねいさまー!」
「なんだい、ロジャ…」
 顔を上げたネルが、固まる。
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているネルを見て、アルベルもそちらを振り向く。
 うざそうに細められていた鋭い目が、ぎょっとしたように見開かれた。
「……誰だ?」
 そこにいたのは、彼らが知っているロジャーではなかった。
 すらりと背の高い少年が立っている。
 少年は大きな丸い目をきらきらと輝かせ、目が点になっているネルをまっすぐに見つめる。そしてその口から、聞きなれた声が飛び出す。
「おいら、ロジャーですよう♪」
「…は?でもあんた、さっきまで小さかったじゃないか…」
 そう言う少年の耳は、確かに獣のように垂れているし、何より見覚えのある毛艶のいいしっぽが揺れている。
 呆気にとられているネルの前に跪き、その手を取る。
「おねいさまにふさわしい男になるべく、おいらは成長したのです!!そう、これは愛の力なのです!!」
「…はあ??」
「何を寝ぼけてやがんだ、このタヌキが。」
 座ったままでその横腹を蹴ったアルベルを、自称ロジャーはネルに向けていた視線とは打って変わった険悪な目で睨みつけ、
「またおいらのおねいさまと一緒にいやがって、このバカチンプリン!」
「誰がプリンだ。」
 アルベルが立ち上がると、自称ロジャーも立ち上がる。
 互いの顔が真正面に来る。二人はほぼ同じ身長だった。
 唖然とするアルベルに、自称ロジャーは得意満面だ。
「これでもう、ぽんぽん蹴らせねえじゃんよ!」
 どかっ。
「あいでっ!!」
 いきなり向う脛を蹴飛ばされ、自称ロジャーが飛び上がる。
「…なるほど。もう手加減はしねえですむってことだな。」
「こんのやろ〜〜〜…!もう怒ったじゃんよ!つか、もともとおまえとは決着つけなくちゃならないじゃんよ!」
「やる気か?」
「おいらが勝ったら、ネルおねいさまに二度と触るな!!」
「調子こいてんじゃねえぞ、タヌキが。」
 何がなんだかわからないうちに、でかい二人が火花を散らす。
 はっと我に返ったネルが、
「ちょ、ちょっと待ちなって!」
 慌てて止めたがもう遅い。
「外に出ろ、バカチン!」
「…上等だ。」
 それぞれの武器を手に、外へ飛び出していた。
 夜のカルサアに、とても喧嘩とは思えない爆裂音が轟く。
 今までもアルベルとロジャーは何かと喧嘩していたが、そこはやはり大人と子供。結果はあっけなくロジャーがアルベルに蹴り飛ばされるか踏み潰されるかして終わっていた。
 それが今激突しているのは、体格的にはなんら変わりない、むしろ体重なら大きなロジャーのほうが重そうな二人である。
「わはははは!見下ろされないってのは気持ちいいじゃんよ!」
「すぐに元通りにはいつくばらせてやるから安心しろ!」
 おとなしく殴り合ってくれていればいいのに、二人とも刀や斧を振り回しているのだから性質が悪い。
「やめないか、あんたら!迷惑だろっ!!」
 ネルがどんなに声を嗄らして叫んでも、やめる気配は微塵もない。
 当然そのものすごい物音に、仲間たちも外に出てきた。
 カルサアの広場を破壊しながら戦う二人に、いずれも怪訝な顔をする。
「何の騒ぎ?」
「てゆか、あれ誰だ?」
 クリフの疑問は皆の疑問だ。それに対し、マリアが小さく溜息を吐き、
「…ロジャーよ。」
「ロジャー!?」
「だって、あんなにでかいぜ!?」
「…かわいくな〜い。」
「だって、私が変えたんだもの。さっきロジャーに泣いて頼まれて、試してみたのよね。まさかこんなにうまくいくとは思わなかったけど。」
「……。」
 アルティネイション恐るべしである。
 で、とフェイトが口を挟む。
「なんでそのロジャーが、アルベルとマジバトルしてるの?」
 その答えは、カルサアが崩壊するのではないかとも思える勢いで喧嘩する二人の罵り合いからすぐにわかった。
「バカチンプリンの分際で、おいらのおねいさまに手ぇ出すんじゃないじゃんよ!!」
「いつからてめえのもんになったんだよ!」
 …あー。
「ネルさんを賭けての勝負かー。」
「青春だねえ…」
「もてる女はたいへんね。」
「自分を賭けて男の人が喧嘩してくれるなんて…ドラマみたいですてき…♪」
 皆の視線がネルに集まり、ネルは頭を抱えた。穴があったら埋まりたいくらいだ。
「凛々しいネルおねいさまには、おいらみたいなかわいい年下の男の子がふさわしいじゃんよ!」
「てめえでかわいいとか言うな、気色悪い!つか、きさまガキじゃねえかよ!」
「愛があれば年の差なんてー!」
「愛なんざねえだろ!」
 言い合いながらも、吼竜破やらストリーム・アタックやらが炸裂するのだからたまらない。広場周囲の建物が崩れ、人々が逃げ出していく。駆けつけた風雷の兵士も暴れているのが漆黒団長だとわかると、怯えて帰ってしまう始末だ。
「…誰か止めないの?」
「俺はいやだ。」
「三角関係は自分たちで解決してもらわなくちゃ。」
「で、ネルさんは勝った人のお嫁さんになるんですね?」
「「「は?」」」
 ソフィアの飛躍した質問に反応したのはネルと、思わず戦闘をやめて振り向いたプリンとタヌキだった。
「な、なんでそう…」
「うおーっっ!!おねいさまがおいらのおヨメさんー!!!」
「ざけんなこのジャリタヌキ!!!」
 さらに激化する戦闘に、ソフィア一人が瞳を輝かせている。
「きゃ〜!ロジャーくん大はりきり!アルベルさんも必死ですよ〜!」
「…僕も参加しよっかな。」
「この星が滅ぶからやめろ。」
「…あんたたちね…」
 自分で火にガソリンと火薬をぶちこんでおいて、ソフィアは大喜びだ。
「おねいさまはわたさん!ラスト・ディッチー!!」
「うおっ!?」
 怒涛の頭突き大攻撃をかわそうとした瞬間、アルベルの足元が崩れた。バランスを崩しながらも咄嗟にガードしたが、思い切り吹っ飛ばされる。
 その体が塀に激突し、煉瓦が砕け散る。
「うわはははは!これでネルおねいさまはおいらのものじゃんよ!」
 こちらもぼろぼろになりながら、ロジャーが高笑いする。
「うわー、あれは痛そうだ。」
「つか、埋まってないか?」
「まあ、彼なら死なないでしょ。」
「ロジャーくんが勝ったってことは、ネルさんはー…」
 ずっと下を向いていたネルの口元が素早く動き、小さく呟く。
「……ヒーリング。」
 瓦礫の山に、柔らかな緑の光が舞い降りる。
「あ…」
 ソフィアがネルのほうを振り向いたとき、大きなロジャーがこちらに突進してきてネルの両肩をがっしりと掴む。
「わ…」
「おいらの勝利です、おねいさま!」
 いつも見上げていたネルを見下ろす立場になってみると、そのおののいた表情もあいまって、やけにかわいく見える。あのバカチンプリンからは、いつもこんな風におねいさまが見えていたのか。ちくしょうめ。
 スミレ色の瞳で上目遣いに見上げられた瞬間、大きなロジャーの乏しい理性が吹っ飛んだ。
「ネルおねいさま〜〜〜!チューして〜〜!!!」
 口をタコのように突き出してキスを迫る大きなロジャーに、ネルは必死にその顔を手で押しのける。
「わーっっ!!」
「無限・空破斬!!!」
「ぎゃーーーーーーーす!!」
 横合いから襲い掛かった怒涛のような衝撃波に、タヌキはボールのように吹っ飛んだ。
 ノーガードで容赦ない大攻撃をくらい、ぼろ雑巾のようになって宙を舞うロジャーの体が、見る見る小さくしぼんでいく。
 べちゃ、と地面に落ちたロジャーは、そのまま動かなくなった。
「……アルベルの逆転勝利ってとこかな?」
「だな。あっちは既にモノクロになってるぞ。」
「さすがにきちんと固定できなかったから、結局元に戻ったのね。」
「えーと、アルベルさんが勝ったってことは、ネルさんはー…」
 よろけながら瓦礫の山から出てきたアルベルは、小さく戻ったタヌキ小僧をつま先で蹴る。
「けっ、タヌキの分際で、一万年早えんだよ。」
「うう…おねいさまにチューしてはぐはぐしてもらう夢がぁ…」
「ガキがいっちょまえなことほざいてんじゃねえぞ。あいつのズキューン!も知らね…」
 どごっ!!
 息巻くアルベルの脳天に、ネルのエッフェルヒールキックがクリティカルヒットする。
「…こっのっバっカ〜〜〜…!!」
 ゆっくりと崩れ落ちたアルベルの背後に、すさまじい怒りのオーラをまとったネルが仁王立ちしていた。その顔を髪よりも真っ赤にして。
「………勝者はネルさん、か。」
「てゆかあいつ今、ものすげーこと言いかけなかったか?」
「…口は禍のもとね。」
「えーと、えーと、ネルさんが勝ったってことは、ネルさんはー…」
 無責任なコメントを述べるギャラリーから逃げるように、ネルは完全にピヨっているアルベルの触手をひっつかんでずるずると引きずっていった。

「……まだ頭ががんがんしやがる…脳味噌ぶちまけたかと思ったぞ、阿呆…」
「バカなことほざくからだよ。」
 頭に氷を乗せてベッドに突っ伏しているアルベルの隣に腰掛け、まだ顔の赤いネルはいかにも機嫌悪そうに口の中で呪紋を呟き、手をかざす。
「…ヒーリング。」
 ロジャーと派手にやりあってあちこち怪我をした体を、淡い緑の輝きが包み込む。
「まったく、子供相手にムキになって喧嘩なんかして。」
「うるせえな。元はと言えば…」
 言いかけて、口をつぐんだ。
「元はと言えば、なんだい。」
「…なんでもねえ。」
 おもしろくなさそうにこぼし、ずるずるとネルの膝に這い上がる。
 そのまま腰に腕を回されてネルは慌てて逃げようとしたが、ふと力を抜いた。怒っていた口元が、かすかに緩む。
「どっちがガキなんだか。」
「…うるせえ。」
 拗ねたように顔を伏せているアルベルの頭に手をかざし、もう一度呪紋を唱え出した。

「私、しっかり聞いたんですよ〜!皆も見ましたよね!?」
 戦闘不能のロジャーにレイズデッドを施したソフィアが、目を輝かせながら皆を見まわす。
「あのときアルベルさんにヒーリングしたの、ネルさんですよ!?てことは、ネルさんはアルベルさんのお嫁さんになりたいってことですよね〜♪」
 きゃー!と頬を染めて喜ぶソフィアの隣で、ロジャーが号泣している。
「おねいさまをおヨメさんにするのはおいらだ〜!」
「でもでも、ネルさん本人が決めたことなんだよ?潔く諦めなくちゃ…」
「うおおお〜〜ん!!」
 やたら嬉しそうな顔でロジャーを慰めるソフィアを横目に、フェイトが首をかしげた。
「…て、いつからそういう話になったんだっけ?」
「…ソフィアが途中で勝手に決めてた気がするぞ。」
「…怖い子ね。」
 翌日からソフィアがやたらときらきらした目でネルを見つめ、心の中で「ネル・ノックスさん」と呼ぶようになったことなど、当の本人は知る由もなかった。


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