相部屋でお願いします



「…なんであんたと一緒なんだい。」
「俺が知るか、阿呆。」
 先ほどから幾度となく繰り返される、不毛な会話。
 ここはクオークの母船ディプロの一室だった。

 生まれて初めて星の船に乗ったネルに、
「とりあえずこの部屋使えよ。まだ到着までしばらくかかるから、しっかり休んどけ。」
 そう言ったのはこの船の艦長であるクリフだった。
 鍵は?と聞いたが、どうやらネルが知っている形状の鍵は存在しないらしい。
 扉の横の板に触れると、機械が生体情報とやらを読み取って自動的に扉を開ける仕組みになっているとか。
 もうこの星の船のことは、わけがわからない。
 そんなわけがわからない世界の中に放り込まれたためか疲れを感じ、言われた部屋に行って休むことにした。
 扉の横に、四角い板がある。ここに触れればいいのだろうか。
 そっと指先で触れると、板が淡いきれいな色に光り、目の前のノブも何もない扉がスライドして開く。
 慣れないせいか、いちいちぎくりとしてしまう。
 なんだか無機的で殺風景な部屋には入ってすぐ右手に小さなソファがあり、その向こうに部屋を半分に仕切る半透明の仕切りがあり、その向こうにテーブルとベッドがぼんやりと透けて見える。
 とりあえず休みたくて、奥へと進む。
 しかし仕切りを越えようとしたところで、ネルの足が止まった。
 と言うより固まった。
「……」
「……」
 ネルのスミレ色の瞳が、そこにあるはずのない双眸とぶつかっている。
 真紅の双眸と。
「なっ、なっ、な…」
 瞬間的に蒼ざめた顔を見る見る紅潮させて、わなわなと肩を震わせるネルの前にのそりと立ち上がったのは、アルベルだった。
 しかも、腰にバスタオルを一枚巻いただけの姿で。
「なっ、ななな何やってんのさ変態っっ!!!」
 思わず腰の短刀に手をかけそうになったネルの手を、長い髪の湿り気もまだ取れていないアルベルが押さえた。
「いきなり人の部屋に入ってきて、ずいぶんな言い種だな。」
「は!?」
 ある意味普段とほとんど変わらないと言えば変わらないような露出状況だが、やはり目のやり場に困る。しかし本人は全く気にした様子はない。
 驚きで混乱している頭を必死に整理して、状況を分析しようとする。
 アルベルのこの様子は、誰がどう見ても風呂上りだ。人の部屋でいやがらせというよりは、ごく普通に自室で休んでいた姿である。だとすると、ここはこいつの部屋なのだろうか。
「星の船を運転する部屋を出て左手に下りて、最初の部屋を使えって言われたんだけど…ここ、だよね?」
「そうだが、ここは俺が使ってる。」
「……」
「……」
「…あの筋肉巨大オヤジ、間違えたね。」
 ネルが踵を返してブリッジへ戻ろうとすると、後ろからマフラーを引っ張られた。
「うぐっ…!な、何すんだい!」
「どこ行く。」
「決まってるだろ。クリフに正しい部屋の番号を聞きに行くんだ。」
「……」
 アルベルは何を思ったか、おもむろに椅子に引っ掛けてあった服を手にとった。なんとなくいやな予感がして後退った直後、
「女の前でいきなり着替えるバカがいるかー!!!」
 爆発でも起こらない限り絶対に隣の部屋の音が漏れることのないディプロの防音壁でさえもぶち抜くような怒声が、狭い個室に轟いた。
 やはりこいつは変態だ。
 あのキテレツな服装は確信犯なのだ。
 変態だ。
 変質者だ。
 露出狂だ。
 ぎゃー!!
 慌てて仕切りの向こうに逃げたネルの怒りも全く意に介していないような態度で着替えながら、
「ほう、こいつは驚いた。」
「な、何がだい!!」
「てめえにも、自分が女だって自覚があったんだな。」
「あんた、いっぺん死ん…」
 また短刀に手をかけたところで、仕切りの向こうからアルベルが出てきた。
 思わず飛び上がりそうになってしまったが、彼は既にいつもの服を着ていた。肩越しににやりと笑ったのが見えて、妙に悔しい。
 絶対に、バカにされた。
 またもや肩を震わせるネルの横を通り過ぎ、廊下に出ると扉が閉まってアルベルの姿が見えなくなる。
 そして間もなく、普通に扉を開けて入ってきた。相変わらずほとんど音も立てずに開閉する扉を見ながら、アルベルは一人で納得したようにうなずいている。
「…な、何してるのさ。」
「ここの鍵は、使う奴の情報をいちいち登録するんだそうだ。だからその際、鍵として登録されてる奴の情報が見られるから、誰が使ってる部屋かわかるんだとよ。」
「…てことは?」
「ここはやっぱり俺の部屋ってこった。」
「…でも、開けられたよ。」
 形のいい眉をひそめながら、試しに隣の部屋の前に行って四角い板に触れてみる。
 が、開かない。
 代わりに来訪者が来たことを告げる音が鳴り、中にいたらしいクオークのメンバーの者の声が小さな板から聞こえてくる。
『なんか用か?』
「い、いや、なんでもないよ。間違えたんだ、悪かったね。」
 慌てて戻り、改めて割り当てられた部屋の扉の鍵に触れてみる。
 開いた。
「……」
「……」
 つま先からそっと伺うように部屋に入ったネルの背後で、わずかな音を立てて扉が閉まる。
「なるほど。てめえの部屋でもあるってこった。」
「…え?ちょ、ちょっと待ちな!ここはどう見たって一人部屋じゃないか!」
「だな。」
「だな。って、なに落ち着いてんだい!とにかく、別の部屋を…」
「多分、空いてねえぞ。」
「なんだって?」
「いきなり客が増えたからな。部屋にほとんど空きがねえとか言われた。確実に意図してやったことだろうよ。」
「部屋がないなら相部屋で全然かまわないけどさ、普通、同性でまとめるんじゃないのかい?なんで男と…しかもよりによってあんたと相部屋なんだい!」
 怒りというより呆れたようなネルに、アルベルは意地の悪い笑みを浮かべ、
「なんだ、びびってんのか?」
 からかうような言葉に、眦を吊り上げ、
「そりゃーね!あんたみたいな狂犬と同じ檻に放り込まれりゃ、誰だって身構えるさ!」
「ほう。」
 面白そうに笑っているのが、癪に障る。
 それでも…。
 この異文化の結晶のような部屋を見回し、ネルは大きく溜息を吐いて椅子に腰掛けた。


 そして繰り返されるのが、冒頭の会話だった。
 その身も蓋もない不毛な会話を繰り返して、どれくらい時間が経ったのだろうか。
 ずっと椅子に腰掛けたまま頬杖をついていたネルが部屋をきょろきょろと見回し、
「…ところで、この部屋はお風呂ついてるのかい?」
 その質問に対して、アルベルは顎で部屋の一角を示した。
 よく見ると、壁の一部に外にあったものと同じような四角い板と、扉らしき境目がある。こちらの扉は、特に鍵などはないようだ。
「中に入ろうものなら、凍牙と大攻撃だからね!」
 冗談抜きで本気であろう捨て台詞とともに勢いよく扉を閉めるのを見送り、部屋備えつけの冷蔵庫から冷えた酒を取り出し、飲もうとしたときだった。
 風呂場への扉がこそっと遠慮がちに開き、鮮やかな赤い頭がこれまたこそっと覗く。
「……」
「……」
「あ、あのさ…」
「なんだ。」
「ど、どうやって使うのさ、これ…」
 恥ずかしいのか悔しいのか、頬を染めて顔を覗かせたネルは残念ながらまだ服を着ていた。どうやら浴室を覗いただけで挫折したらしい。
 それはそうであろう。自分たちが普段使っている風呂場とは、全く違う。
「入ったら凍牙と大攻撃じゃねえのか?」
「……今回だけは、なし。」
「なんか足りねえ気がするんだが。」
 またもや面白そうにこちらを見ているのが悔しいが、仕方がない。ひとつ息を吐き、
「…お風呂の使い方がわからないから、教えて。」
「素直じゃねえか。」
 笑いながら腰を上げた男を、ネルは瞬間呆気にとられたように見ていた。
「なんだよ。」
「な、なんでもないよ!」
 …こいつ、こんな顔して笑うんだ…
 それはまるで、いたずらをする少年のような、日向の匂いのするような…とにかく、想像していたこの男のイメージとは正反対の表情であった。
 立ち尽くすネルは、アルベルの手招きで我に返った。
「おい。そこの壁に三角が書いてあるだろ。それを押すと、ここに温度が出てくんだ。」
 ただし数字が自分たちが使っているものと違うので、正確な温度はわからない。しかし先程自分が使ったときと設定は変えていないので、そのままで大丈夫なはずだ、と意外にも丁寧に教えてくれる。
「で、この丸いのを押すと…」
「これかい?」
 何気なくそれを押した瞬間、アルベルが何か言いかけた気がしたが、それを確かめるより早く頭の上から豪雨のようにお湯が降り注いできた。
「うわっ!」
「今押すな、阿呆!」
 慌ててアルベルがスイッチを押して止めたが、二人とも頭からシャワーをかぶってしまっていた。
「………ごめん。」
「……」
 やっと乾いてきていた金と暗褐色の長い髪を再びずぶ濡れにしながら、アルベルは指先で脱衣室のほうへ招く。
 さすがに申し訳ない気持ちでついていくと、アルベルが壁の一部を押して何やら蓋を開けた。
「こん中に濡れた服ぶちこんどけ。風呂入ってる間に、洗濯されて乾いて出てくる。」
「へえ、すごい洗濯屋がいるんだね。」
「……」
「な、なにさ。」
「…いや、なんでもねえ。」
 ここはあえてつっこまないでおいてやろうと思ってそのまま出て行こうとするアルベルを、はっとしたように呼び止める。
「あんたはどうすんだい?」
「あとでいい。」
「……」
 先程まで使っていたバスタオルを掴んで出て行こうとするアルベルの背中をじっと伺うように見ていたが、ふいに手が伸びて濡れてしまった長い髪を掴んでいた。
「いでっ!」
「あんたも服乾かしな。ただし、私がお風呂入ってる間に…」
 私のせいで濡れたんだから。
 私のせいで風邪ひいたなんて言われたら、寝覚めが悪いから。
 咄嗟にいろいろと言い訳を考えたりもしたが、
「ならさっさと入れ。」
 何を言う間もなく、あっさりと一言で片づけられてしまった。



「ここはあんたが使ってたんだろう?なら私が椅子で寝るよ。」
 一人部屋を二人で使う最大の弊害は、風呂どころの騒ぎではなかった。寝ることである。
 何しろ、ベッドが一つしかない。
「俺はこっちでいい。」
 アルベルが、ネルにベッドを譲って自分は二人がけのソファに寝ようと言うのだ。
「でかいあんたにそっちは窮屈じゃないか。」
「うるせえな、黙っておとなしくそっち使え阿呆。」
「でも…」
「一緒に寝たいっつーなら俺は一向にかまわねえぞ。」
「私に指一本触らないってんなら、いいよ。」
「無茶言うな。」
 ベッドの前にぽつんと立ち尽くすネルに背を向け、アルベルはソファへ転がって長い手足を縮める。
 それでも184cmある男が二人がけのソファに収まるわけがない。思い切りはみ出している。
 口は悪くても、女である自分にベッドを譲ってくれているのだとわかっている。「歪みのアルベル」なんてご大層な渾名がついているわりに、ずいぶんとまともな思考回路ではないか。
 本当に歪んでいる男なら、こんな申し訳ない気分にはならなかっただろうに。
 所在無く立っているネルのその葛藤を見澄ましたかのように、
「ぐだぐだ考えてねえで、とっとと寝ろ。いつまでもそんなとこ突っ立ってるなら、剥いてベッドに叩き込むぞ。」
「…おやすみ。」
 やはり微妙に歪んでいる気がする。本当は、気を遣わないようにと言いたいのだろうに、そんな言い方しかできない。
 そうは言ったものの、疲れているはずのネルは何故か眠る気になれなかった。
 なんとなく落ち着かないということもある。
 ベッドの上で膝を抱えながら、我ながら自分自身が奇妙に思えてならない。何だかんだ言いながらこの部屋を出て行こうともせず、この男と一緒にいようというのだから。
 これまた原理が分からない謎の灯りを最小限に抑えた暗い部屋の中、長身を無理矢理折り曲げてソファに横たわる男の背中を、じっと見詰める。
 この部屋に時計はあるが、数字が読めないため正確には何時だかわからない。それでも体内時計がおよその時間を教えてくれる。
 その体内時計により、ネルはかなりの時間を一人膝を抱えて過ごしていたことを知っていた。
 不気味なまでに静まり返った部屋にある音といえるものは、二人分の静かな息遣いだけだ。
 一切の音が遮断された部屋というのも、かえって居心地が悪い。
 窮屈そうな体勢で微動だにしないアルベルの背中に、ネルはそっと声をかけてみた。
「…ねえ。」
 返事がない。
 もう寝てしまったのだろうか。
「…もう寝たのかい?」
 試しにもう一度声をかけてみると、
「寝てねーよ。」
 無愛想な返事が返ってきた。
 なんだよ、と微妙に機嫌の悪そうな顔で振り返る。
 ネルは膝に顎を埋めながら、
「………こっち来な。」
「あ?」
「その窮屈そうな格好見せられちゃ、寝られるものも寝られない。」
「ほう…」
 顔を背けていると、足音がして、すぐ側に重みがかかってベッドが沈んだ。
 こん、と音をたて、壁に頭をもたせかけている。
 そんなアルベルを横目で見ながら、
「…あくまで、同情だからね。窮屈そうなのが哀れだっただけだからね。」
 図に乗って変なことをしてこないようにと釘を刺したつもりだったのだが、
「素直に寂しかったって言えねえのか、てめえは。」
「なっ、バカなこと言ってんじゃないよ!」
 噛み付きそうな勢いで食ってかかるネルに対して、アルベルは壁によりかかったまま、妙に余裕のある笑みを浮かべている。
「図星指されたからって、逆切れすんな。」
「誰が図星指されたって!?」
「顔が赤い、声が上ずってる。」
「……っ」
 思わず詰まってしまった。
 ああ、そうだ。図星だ。
 私は寂しかったんだ。
 独りでいたくなかったんだよ…
 ネルは再び膝を抱え、ぷいと顔を背けた。
 と、その体が突然引っ張られた。
「え…!?」
 どさ、と軽い衝撃を背中に感じ、自分がぶつかったものを肩越しに見る。
 そこにあるのは、男の胸板で。
「なっ…!」
 驚いて離れようとしたが、その肩をがっちりと押さえられて抜け出せない。
「なっ、なな、何考えてんだい、バカっ!!」
「うるせえ暴れんな阿呆。」
 慌てるネルを後ろから抱え込むように、両腕がまわされる。そしてあれよあれよという間に、膝の間に抱え込まれていた。
 全身を硬直させて心臓を暴走させているネルを抱え込んだアルベルは、落ち着いたものだ。
 いや、落ち着きすぎている。
 まるでこうすることによって、安らぎを得ているかのように。
 恐る恐る見上げたアルベルが静かに両目を閉じているのを見て、ネルも諦めたように体の力を抜いた。
「ったく…人の都合なんかおかまいなしなんだから。」
 唇を尖らせながら、その肩に頭をもたせかける。
 相変わらず静か過ぎる部屋だが、今は互いの心臓の鼓動が何よりもよく聞こえる。
 その鼓動の音に、脱力感にも似た安心感を覚える自分がいることに驚きもしたが、だんだん受け入れられる気がしてきた。
「…なんであんたはさっきから平然としてんだい。自分の部屋に邪魔者が転がり込んできたってのにさ。」
「別に邪魔じゃねえ。」
「え?」
 さらりと言ったその台詞を、ネルは一瞬聞き間違いかと思った。
「それにここは俺の部屋でもない。俺はあくまでよそ者だ。」
 独り言のように呟く男の言葉に、不思議と胸が騒ぐ。
 邪魔じゃない?それは…
 …私がここにいてもいいってこと?それとも…
 そんな想いを巡らせているうち、我知らず口が動いていた。
「…じゃあ、マリアやソフィアでもよかったんだ…」
「は?」
 呆気にとられたような声に、自分が何を口走ったか気づいた。
 これではまるで…
「嫉妬してんのか?」
「違う!自惚れんじゃないよバカ!」
 慌てて顔を背けたが、自分が今どんな顔色をしているか考えただけで恐ろしい。頬がやたら熱く、押し殺したように笑うアルベルの息が耳にかかってこそばゆい。
 そんなアルベルがふいに笑いを引っ込め、ぽつりと言った。
「そういうてめえはどうなんだ。」
「え?」
 思わず顔を上げると、その端正な横顔は、ばかなことを言ってしまった、と後悔しているようでもある。
 そんなアルベルに対して、
 …平気だよ
 そう答えたらきっと不愉快そうな顔をする。
 不思議とそんな確信があった。
 何故なら先程の自分の質問に対して、
 …かまわねえよ。
 そんな答えが返ってきたら、きっと不愉快だっただろうから。
「…バカなことばかり言ってんじゃないよ。」
 自分の中の矛盾する想いを振り切るように、小さく首を振った。
 アルベルの膝の間にちょこんと納まったまま、部屋の中を見回す。
 鉄のような陶器のような、何でできているのか全く分からない材質でできた壁や天井や床。何でそこに人の顔が浮かび上がったり声が聞こえたりするのか、全く原理がわからない謎の機械。
 知らないものに囲まれているのは、落ち着かない。神経がぴりぴりする。
 そんな、何もかもわからないことだらけの部屋。
 その壁に立てかけられた、一振りの長い刀。
 鋼を鍛え上げて作られた、人を斬るための武器。
 この部屋の中の、数少ないネルが理解できるもの。
 そしてもうひとつ。
 自分を抱え込む、暗い炎のような真紅の瞳を持つ男。
 この部屋の雰囲気に全くそぐわない男と刀を見比べているうちに、
 ああ、そうか…
 ネルの中で、もやもやしたものがさっと消え失せたような気がした。
「…変な連中だとは思ってたけど、まさか星空の彼方から来たとはね。」
「あ?」
 いきなり話が飛んでアルベルが怪訝な顔をするが、ネルはかまわずに喋り続ける。
「空の光る星にまさか私たちみたいに人が住んでるなんて、夢にも思わなかった。それも遥かに文明が進んでてさ。シーハーツとアーリグリフと…あの大地が総てだと思ってた私には、神話よりも想像がつかない世界だったよ。」
 アルベルは否定も肯定もせず、黙って聞いている。
「あいつらを勝手にグリーテンの人間だと思い込んだりしてさ。あいつらから見れば私らなんて原始人もいいところだろうし、ちっぽけな世界で何やってるんだろうって感じだったろうね。」
「……」
「でも、それが私にとって精一杯の世界の広さだったんだよね。それに気がついたときにはもう…いつのまにか、蚊帳の外って感じだった。」
「…寂しいのか?」
 聞きながら、アルベルが鋭い棘でも刺さったような顔をする。実際、胸の奥がちりちりと痛むのだ。
 その痛みの正体が何か気づいてはいるが、決して口に上せることはない。
 そんな想いを知ってか知らずか彼女は微笑み、
「そうだね。話の内容は全く理解できないしついてけない。なのにあいつらと同じ世界に生きる仲間が増えていく。完全な置いてけ堀だ。私だけ取り残された感じがしたよ。」
 でも…と言葉を切って微笑む。
「やっと、独りじゃなくなった。」
「…?」
「だって、これから取り残されるときはあんたも一緒だろ。」
「…だな。連中の話はさっぱりわけがわかんねえ。」
 やっぱり。
 微笑んで、ネルはアルベルの真紅の瞳を覗き込むように見上げた。
「あんたは今まで一人で星の船にいて、寂しくなかったのかい?」
「わからねえもんはわからねえ。あいつらはあいつらだ。宇宙人どもは勝手につるんでりゃいい。」
「ふふ、あんたはそういう奴だったね。」
「だが…今、ほっとしてねえと言えば嘘になる。」
 そんな言葉が、不思議と嬉しく感じる。ネルはその口元に微笑を浮かべ、
「…なんで私がなんだかんだ言いながらあんたの部屋にいるか、わかるかい?」
「俺が知るか。」
「さっき気がついたんだけどさ。この部屋は、空気が違うんだよ。」
「空気だと?」
「部屋の作りこそこんなだけどさ…この部屋だけは、あいつらがエリクールとか呼んでる私らの世界の匂いがする。」
「ほう…」
「…やっぱり国は違っても、同じ世界の、同じ大地の空気を吸って生きてきたんだもんね。今更ながら自覚させられるよ。なんて言うか…あんたからは同じ匂いを感じるよ。」
「血の匂いか?」
「かもしれないね。」
「珍しく素直だな。」
「あんたに言われたくないね。」
 互いに皮肉めいた笑みを浮かべる。
 星の船にそぐわない空気をまとう二人がいる。その空気をまとう相手こそが、はるか星々の海の中にいても、自分と遠い故郷をつなぎとめてくれるのだとも感じられる。
「このへんてこな部屋に、一人で放りこまれなくてよかったとかも思うよ。」
「このまま押し倒して欲しいのか?」
「バカ。あんたなら、私が機械の使い方がわからなくて変なことしてたって、理解してくれるだろ?だから劣等感とか感じないんだよ。」
「なんだ、少しは気にしてたのか。機械5。」
「…もうご飯大盛りにしてやんない。」
「……」
「……」
 最初に吹き出したのはどちらだったか。
 同時だったかもしれない。
 そしてそんな互いの顔を見て、また笑った。
「…ねえ。」
「なんだ。」
「話してよ。」
「何を。」
「あんたが見て来た、私の知らない世界のこと。」
「話す必要なんざねえだろ。おまえもこれから見に行くんだ。」
「でも、聞きたいんだよ。」
「…てめえも人の都合なんざ無視するのは一緒じゃねえか…」
「どういう都合だい。」
「まあ、いろいろとな…」
 溜息を吐きながらも、そのときの記憶を手繰り寄せるように真紅の目を細めた。
 心地よい温もりに身を委ね、ネルはいつの間にか居心地の悪さも、孤独感も消え失せていることに気づいた。
 …まあ今回だけは、クリフをこらしめるのはやめにしておいてやろうかな…
 無数の光が煌く星々の大海を進む星の船の中、二人がいる空間は今紛れもなくエリクールという小さな世界になっていた。


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