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ディプロの最下層にある格納デッキには、小型艇や脱出ポッド、様々な機材などが並んでいる。 普段は特に使うこともなく、必要最低限の灯りしかついていない薄暗い場所だ。 艦内のほぼ全域には重力制御装置が働いているが、この格納デッキだけは制御がされていない。よって、無重力だ。 重力から完全に開放されたその空間に、アルベルはいた。 腕を組んで静かに目を閉じ、無重力にその身を委ねている。 重く響くエンジン音しか聞こえない静寂の中、ドアが開く音がした。そちらを見ることなく漂うアルベルの耳に、 「あれ?うわっ!きゃ…あいてっ!」 素っ頓狂な声とともに、ごん、と鈍い音が聞こえた。 「……」 その声に聞き覚えがあったため、仕方なく目を開け、そちらを見る。 案の定、頭を押さえて体を丸めた格好でデッキの下部へ流れていくネルが見えた。 なんとか床に着地したかったようだが、ここは無重力だ。足を床につけた途端、また上へと浮き上がってしまう。 「な、なんなんだい、これ!」 アルベルは小さく溜息を吐いて軽く壁を手で押して、こちらに気づく余裕もなく一人でもがいているネルに向かって飛んだ。 「何を遊んでやがる、阿呆。」 「え!?あんた、なん…わっ!」 また天井にぶつかる寸前で、アルベルに受け止められた。飛ばされてきたネルの勢いもあり、そのままアルベルの背中が天井につく。 アルベルはネルを抱えたまま慣れた動作で天井を蹴り、下に並んでいる小型艇の縁に掴まって動きを止める。 ようやく落ち着いたネルは、ほっと大きく息を吐いた。 「た、助かったよ…なんなんだい、ここは。」 「重力ってもんがねえらしい。」 「重力?」 「よくは知らねえがな。宇宙ってやつは、こうやってなんでも浮いちまうんだと。他の部屋は、俺らが地上に立ってるのと同じように機械で制御してるらしい。」 「へえ…そういやあんたは、前にもこれに乗ったことがあったんだっけね。」 「ついこないだだがな。」 ネルはいきなりエリクールに戻ってきたフェイトたちと再会し、彼らがやらんとすることを聞いて同行することに決めたのだ。そこにまさかこの男がいるとは思ってもみなかったのだが。 そして生まれて初めて宇宙船というものに乗り、あちこち散歩しているうちにここにたどり着き、初の無重力体験をしたというわけだ。 「ったく…おかげで頭を思い切りぶつけたじゃないか…」 確かに、痛そうな音だった。 ふいにネルの赤い髪をアルベルの指がかき分ける。 「…っ!」 はっと気がつけば、まだネルはアルベルに抱えられたままだった。つい最近休戦するまでは敵だった男だ。思わず身を硬くしたネルの頭に触れたまま、 「…コブ、できてんぞ。」 「え…」 なるほど、言われてみれば触られた部分が痛い。 「これくらいなら、冷やしとけ。」 「…わかってるよ。」 ネルは逃げるようにアルベルの腕からすり抜け、自分も小型艇の縁に掴まった。一度勢いを殺せば、どこにも流れないようだ。 薄暗い中、アルベルの真紅の瞳に小さなランプの光だけが反射している。 それが不思議なまでにきれいに思えて、ネルは思わず目をそらしてしまった。 沈黙が流れる。 その沈黙が耐えられなくなって、ネルは自分から口を開いた。 「…なんで、こんなところにいたんだい?」 「なんだっていいじゃねえか、阿呆。」 言ってから、アルベルは少し首を傾け、 「…海に浮かんでるみてえで、落ち着く。」 「落ち着く?このうまく動けない妙な部屋がかい?」 「慣れるまでは俺も頭ぶつけたけどな。他の部屋は変に明るくて眩しいしやかましいし、石でもねえ硬い床や壁が気に食わねえ。」 言われてみれば、そうかもしれない。 そう思うとアルベルの言うこともわかる。 「それで、ここで一人で浮いてたってわけかい。邪魔して悪かったね。」 「別に邪魔じゃねえよ。」 真紅の瞳が、スミレ色の瞳をまっすぐに見据える。まるで射抜かれたように視線を逸らせない。 ぶっきらぼうな言い方だが、ネルは密かに胸の奥がざわめくのを感じた。 慣れないものや喧騒を離れてせっかく自分の落ち着いた時間を過ごしていたところを邪魔したのに、それでも彼はネルの存在を許してくれるらしい。かつての敵だった自分を。 そういえばこの男は、やはりかつての敵だったフェイトたちを助けるために重傷を負い、その結果ディプロに乗って同行することになったのだと聞いた。 何故そんな行動をとったのか、聞いてもきっと答えてくれないだろう。それともいつの日か、答えてくれる時も来るだろうか。 じっとネルを見据えていたアルベルが、ふと視線をはずしてある方向を見た。何かあるのかと自分もそちらを見ようとしたとき、アルベルがおもむろにその体を右腕で抱え、小型艇を蹴った。 「わ…!」 何かと思うより先に、壁際まで飛んでいる。アルベルはわずかな窪みにガントレットのかぎ爪をひっかけて、うまく勢いを殺した。 何をするんだい、と言おうとしたネルの目の前に、小さな窓があった。 「……!」 窓の向こうに広がるのは、無限の宇宙。 黒だけではない、ところどころにいろいろな色がちらばっていたりする。そして大小の岩が浮き、遠くには星空そのものが広がっている。 「…私、本当に星空の真中にいるんだね…」 思わず素直な感慨が漏れる。 無重力の空間で星空を見ていると、自分自身が宇宙に漂っているような気さえする。 子供のように窓にはりついていると、アルベルが隅の方を指差した。 その先を目で追うと、青い美しい球体が浮かんでいるのが見える。 「あれ、なんだい?」 「俺たちがいた星だとよ。」 「あれが…!」 青いのは海だろうか。そして緑と茶色が入り混じっているのは、大地だろうか。それらを覆うように白く煙っているのは、雲らしい。 生まれて初めて見た自分の住む惑星の姿に、ネルは息を飲んだ。 「なんてきれいなんだろう…」 「…ここから見ると、アーリグリフもシーハーツもねえな。」 独り言のような呟きに、ネルははっと隣の男の顔を見上げる。 あの大地のどこに国境があるのだろう。あの美しい惑星のどこかもわからないほどの狭い片隅で、自分たちは見えないもののために血で汚していた。その血さえも、ここからは見えない。 途端に、ネルは笑いがこみ上げてきた。笑うしかなかった。 「…ふふ…」 「何を笑ってやがる。」 「…だってさ…私ら、バカみたいじゃないか。今までいかにちっぽけなものしか見てなかったか、思い知らされるよ。」 「だな。世の中、もっと強い奴らがいるってことだ。」 「あんた、そればっかりだね…」 「俺は強い奴とさえ戦えれば、他のことはどうでもいい。」 ネルは呆れたように肩をすくめたが、弱いものには目もくれない彼の性格のおかげで今までに自分も部下も助かったことがあるのだから、文句を言うつもりもない。 「これから行くところに、強い奴はきっといっぱいいるよ。それよりさ…」 ふいに形のいい眉をしかめる。 「なんだか、だんだん気分悪くなってきた…」 頭が痛み、胃がむかつく。 「宇宙酔いとかいうやつだろ。俺はもう慣れた。」 「そ、そうかい…」 薄暗くてよくわからないが、確かに顔色の悪くなってきたネルを小脇に抱え、ドアの方へと飛ぶ。その間に片手で赤い髪を掴んで上へ引っ張った。 「あいてっ!何すんだい!」 「髪を上に強く引っ張ると、宇宙酔いってやつに効くんだとよ。」 「ほ、本当なのかい、それ!?痛いよ、ほんとに…」 「ここの連中に文句言うんだな。奴らから聞いたんだからよ。」 小さな窓の向こうの広い宇宙が遠ざかっていく。 「この先は、もっとおもしろいものが見られそうだね。」 「せいぜい土産話にでもするさ。誰も信じちゃくれねえだろうけどな。」 他の惑星の人間たちからエリクールと呼ばれている自分たちの世界で、この宇宙を見たのも、これから先にあるまだ見ぬ世界を見るのも、この二人だけだ。 ずっと敵だと思っていた相手が、もっと高い場所から見れば、同じ大地で同じ道を歩む人間だった。その道は、今は同じ目的を持つ仲間という言葉で完全に重なっている。 そんなことも、このはるか空の彼方である宇宙という空間に来なければ、気づかなかったかもしれない。最初から国のことなど二の次で、己の戦いの道のみを求めてきたアルベルは、いつそのことに気づいたのだろうか。 その横顔を見るだけでは、わからない。 でもきっと、あの美しい惑星を見たときに自分が今思っていることと同じことを思ったからこそ、この窓際まで自分を連れてきてくれたのだろう。 同じ世界の同じ大地に立つ、同じ人間として、か…。 「…悪くないね。」 「何がだ。」 「…いや、こっちの話さ。」 ネルの髪を掴んでいたアルベルの手が、赤い髪をくしゃくしゃとかきまわした。 髪を押さえるネルの口元には、微笑が浮かんでいた。 |