戦争が終わった今、雪と厳しい寒さに閉ざされたアーリグリフは、今日も静かな一日となるはずだった。 総ての音が雪に吸い込まれたかのような静寂に包まれた真っ白い朝の城下町に、突如悲鳴が轟いた。 朝になって雨戸を開けた老人が、雪の上に倒れた男を発見したのだ。 行き倒れかと思って駆け寄ってみると、既に息絶えていたという。 通報を聞いて駆けつけた警備兵の肩越しに見守る野次馬の中から、またか、という声が上がっていた。 このところアーリグリフの城下町で、相次いで変死事件が起こっているのである。 被害者はいずれも男で、夜のうちに殺されていた。 しかし外傷はなく、凍死でも餓死でもない。 とにかく、死んでいるのだ。 そんな変死を遂げた者が、一週間ほど前から連日続いているのだ。 もちろんこのような怪事件を、国王のお膝元でいつまでも続けさせるわけにはいかない。 街の治安を守る警備兵たちも、全力で捜査をしていた。 久しぶりに故郷のアーリグリフに戻ってきたアルベルを出迎えたのは、そんな事件の報告だった。 戻ってきたといっても、FD人たちとの戦いの合間に立ち寄っただけに過ぎない。 「そんな連続殺人くらい、てめえらでなんとかしろ阿呆。こっちはそれどころじゃねえ。」 呆れたように言いながらも、漆黒の部下を何人か呼びつけた。 やはり要職にある者が長いこと国を空ければ仕事が溜まっているわけで、アーリグリフに到着するや城へ向かい、宿に帰ってきたのは深夜だった。 金と暗褐色の髪に積もった雪を払い落としながら宿へ入ると、ロビーのソファに腰掛けていた女が、暖炉の炎の明かりを受けて一層鮮やかな赤い髪を揺らして肩越しに振り返った。 「おや、おかえり。わざわざこんなところに戻ってこなくても、城に泊まればいいのに。」 読んでいたらしい本を閉じたネルの隣にどかっと腰を下ろし、冷えた手を暖炉にかざす。 「…城は居心地が悪い。それに、こんな時間まで一人で待ってる阿呆がいるからな。」 「誰が…わ、冷たい!」 ネルの頬に冷えた手を押し当てる。 その冷たさに小さな悲鳴をあげながら、 「こんな雪の日に腹と腿さらして歩くバカなんて、FD世界とやらにだっていないよ。こんなに冷えきって…いくらバカは風邪ひかないっていっても、限度があるだろ。」 「冷えたって、すぐに温まるあてがあるからな。」 「何だい、それ…うわ!」 ひょいと抱え上げられて、そのまま運ばれていく。 罵声を浴びせながら暴れるネルを抱えたまま階段を上がり、ネルが泊まっている部屋に入ると、ばたん、と荒っぽく扉を閉めた。 その音が響いた直後、廊下の反対側の扉がわずかに開いて、隙間からそっと覗く二人分の瞳があった。 「…帰りの遅い旦那を深夜まで待ってる妻、っていう以外の何でもないわね。」 「ネルさん、健気ですねー…いいなあ、ああいう夫婦。」 「そうね…って、一応まだ籍は入れてないと思うわよ。」 こそこそと小声で勝手な批評をしていた者がいることなど、当の本人たちは知る由もなかった。 朝早くに、扉をノックする音がする。 堂々と起きて返事をすればいいものの、ネルは慌てて布団をかぶって隠れる。 すぐに起きられないのは、ノックの音など気づくわけもなく爆睡している男が、がっしりと押さえ込んでくれているからだ。 「すみません、ネルさーん。」 ソフィアの声だ。 「な、なんだい!?」 とりあえず声を張り上げて答えるが、相変わらず真横にいるアルベルは起きやしない。 「アルベルさんに、お城からお迎えの人が来てますー。なんだかお急ぎのようですよー。」 「……そ、そうかい…」 ここにいるものと決めつけられるというかしっかりバレていて、さらに反論の余地がないところが悔しい。 ソフィアの足音が遠ざかるのを確かめてから、まだ夢の中にいる男に頭突きした。 鈍い音が頭蓋に響き、自分も強烈な痛みにもがく。 「…う…」 さすがにうめき声を上げるが、これで起きるようなら苦労はしない。 間もなく廊下を歩き去ったソフィアの耳に、とても人一人起こそうとしているとは思えないほどの大音響が響いた。 迎えの者と一緒に不機嫌丸出しで宿を出て行くアルベルの姿を、二階の窓からぼんやりと眺める。 きっと、このところ続いているという連続殺人に関することに違いない。 そのせいで昨日も遅くなったらしいから。 アルベルがここを動けない限り、仲間たちも出発できない。それぞれ買い物や工房などに出かけたりして、宿に残っているのはネルだけだ。 ネルはしばし考えた後、窓を離れた。 城の中庭に、何かが横たえられていた。 大きなそれには布がかぶせられているが、その形状から中にはかなり大きなものが入っているようだ。 その前に兵士がかがみこみ、布をめくる。 そこには重鎧に身を固めた二人の兵士がいた。 面頬の隙間から覗く顔には、既に正者の息吹を感じられない。 そんな二人の兵士を、じっと見下ろしているのはアルベルだった。 薄めだが形の良い唇を噛み締め、静かに見下ろす真紅の瞳は、暗い炎のような光を宿している。 「…二人もそろっておきながら、むざむざやられるとはな…」 二人は、漆黒の兵士だった。 昨日、警備兵を手伝って犯人を探すよう命令を与えた者たちだ。 黒い鎧をはずしながら検分をする様子をじっと見つめる。 アーリグリフが誇る漆黒騎士団員ならば、殺人犯などにやられるはずはない。 それに傷はどこにもないのに、死んでいる。 恍惚とした表情で、死んでいる。 まるで心地よい夢を見て眠っているかのように。 「…こいつは明らかに魔物だな。」 「まさか、あの異形の魔物たちですか!?」 漆黒騎士団団長の言葉に、騒然とする。 彼らが言う「異形の魔物」とは、星触の日以降現れた魔物たち、エクスキューショナーのことだ。 「違うな。あいつらにやられれば無傷じゃすまねえどころか、肉片も残らねえ。」 中庭に集まった兵士たちが、不安そうに顔を見合わせる。 「ふん、どいつもこいつも役に立たん。」 アルベルは二本に束ねた髪をひるがえし、中庭を足早に歩き去った。 それと同時に、城壁の上からひとつの小さな影が消えたことに、気づく者はいなかった。 夕飯を前にして宿に戻ってきたネルを、フェイトたちが好奇心に溢れた表情で出迎える。 「で、どうでした?また事件てのがあったらしいですね。」 「え?」 「だってネルさんもアルベルを追いかけて、あの事件のこと調べに行ってたんでしょう?」 「私たちも実は、調べてきたんですよ!」 「……」 隠密ともあろう者が、これほど行動を読まれてどうするのか。 我ながら情けないが、自分のことをわかってくれるようにも思えて、嬉しくもあった。 とりあえず夕食を食べてから、それぞれが調べてきた話を披露しあう。 「となると、今度はアルベルが自分で動きそうだな。」 「でしょうね。口ではなんだかんだ言いながら、部下がやられることが我慢ならないみたいだから。」 「是非、犯人探しを手伝ってあげないと!」 「そうそう、僕ら仲間なんだし。」 やけに楽しそうに言いながら、フェイトたちは勝手に話を進めていく。 まずは、今まで得た情報を整理することから始まった。 「えーと最初にわかっていたことは、一週間くらい前から事件が始まった、と。」 「被害者は全員、男の人だって。」 「で、外傷なし。」 「夜のうちに往来で殺されているにも関わらず、悲鳴や騒ぎを聞いた者はないそうだよ。」 「で、死んだ連中は苦しんだりした顔もしてねえ、と。わけわかんねえな。」 普通、夜に魔物に出会って襲われたりしたら悲鳴を上げるだろうし、恐怖や苦悶の表情を浮かべていてもおかしくない。 それがネルが盗み見た限り、恍惚とした表情さえ浮かべていたのだ。 「どういうことかしら。」 「その魔物が、すっげーきれいなねえちゃんの姿してるとかよ。」 「…エロオヤジ。」 一同から冷たい視線を受け、三十六歳は巨体を丸めていじけていた。 「で、実際調べてみて新しくわかったことは?」 マリアが皆から聞いた話を箇条書きにしていく。 ・殺される瞬間を実際に見た者はいない。 ・被害者はいずれも男性で、偶然夜に外を歩いていただけで他に共通する特徴はない。 ・言い争う声、悲鳴などは誰も聞いていないが、話し声は聞こえた。しかし誰かと話しているようではあっても、一人分の声しか聞こえなかった。 ・カーテン越しに、不思議な光が揺らめくのを見た。 「…以上が、新しい情報ね。」 「中でも、話し声と不思議な光っていうのは、何人かが同じことを言ってるんだ。」 明らかに何者かと会話をしている口調なのだが、相手の声が全く聞こえなかったこと。時には笑い声さえ聞いた者もいたこと。 そして現場のすぐ側で、外から通常のランプなどの光とは明らかに違う謎の光が揺らめいていたこと。 「なるほど、それが鍵ってわけだな。」 「そいつに対して人間は恐怖を感じることなく会話ができる。だけど、話している本人にしか相手の声は聞こえない。」 「その不思議な光っていうのをまとって現れるのか、それとも不思議な光に被害者が誘われたか…」 「幻覚を見せられている可能性が高いね。」 「あ、そっか。それなら、笑顔のまま死んでいるのも納得いきますね!」 「幻覚を見せる敵となると、厄介ね…」 「てめえら、何をごちゃごちゃやってやがる。」 荒っぽく扉を開ける音とともに、その場にいなかった男の声がした。 「あ、アルベル帰ってきたんだ。」 「てめえらのことだから、おとなしくしてねえだろうと思えば案の定…」 こちらも一日中調べまわっていたのだろう。 どかっと椅子に腰を下ろしたその表情に、若干の疲れが見える。 「さっき、夜間外出禁止令を出したからな。これを破って外に出た奴は、容赦なく叩き斬る。」 「…外に出れば、謎の連続殺人で殺されるか、おまえに斬られるかのどっちかなわけね。」 「そういうことだ。」 アルベルに問答無用で叩き斬られるよりは、笑顔で死ねる連続殺人犯のほうがまだましな気がした。 不機嫌そうに座っていたアルベルの前に、料理が乗った皿が置かれる。 置いた主を見上げると、ネルが微笑を閃かせた。 「あんたのことだから、お昼も食べないでいたんじゃないかい?」 「のんびり食ってる暇はねえがな。」 早速食べ始める様を眺めていたソフィアが、こそっとマリアに耳打ちする。 「いつの間に一人分よけてたんでしょう。」 「…さすがね。全く気づかなかったわ。」 こそこそと聞こえる外野の会話を無視して食事をかきこみ、最後の一口を酒で流し込んで席を立つ。 と、それに合わせて全員が腰を上げた。 「…なんだ、てめえら。」 「え?これから見回りに行くんだろ?」 「外出禁止だっつっただろうが。」 「僕ら、アーリグリフ人じゃないもん。」 「水臭いじゃねえかよ、なあ!」 「被害者は全員男なんだから、男のあなたたちに任せておくのは不安だわ。」 「そういうことです!皆さん、仲良く行きましょう!」 諦めたのか、こういうノリに慣れたのか、大きく溜息を吐いて「勝手にしろ」と呟くと、刀を掴んで部屋を出た。 ―…夜六時以降の外出を固く禁ずる。禁を破った者は、国王といえど即刻斬る。 そんな物騒なお触れの効果があってか、雪に埋もれたアーリグリフの街には、人っ子一人いなかった。どの家も連続殺人に怯えて雨戸をしっかり閉ざしているため、外に漏れ出る灯りもほとんどない。 それでも明るいのは、一面の雪が月明かりを反射しているためだ。おかげで夜といえども視界が利く。 そんな静寂の中、見回りをするはずだった。…が。 「いくら魔物とはいえ、犯人をいきなり斬っちゃまずいと思ってね。鉄パイプ持ってきたんだ。」 「…おまえの場合、剣より鉄パイプのが攻撃力高いだろ。」 「そうだよ。ヴェインスレイに使うはずのバトルブーツ、鉄パイプに使っちゃうんだもん。」 「貴重な合成素材を、バカなことに使わないでほしいわね。」 やけに賑やかな集団が歩いていた。 「…ったく、てめえが城に覗きに来てやがるのを見たときから、いやな予感はしてたんだ…」 他人のふりをするように先を歩いていたアルベルが、頭を抱えて大きな溜息を吐く。 「おや、知ってたのかい。」 応えたのは、その隣を歩いていたネルだった。 「あんなに堂々と見てたくせに、何言ってやがる。」 「はあ、何だか最近、クリムゾンブレイドどころか隠密さえ返上しなくちゃならないような気がしてきた…」 肩をすくめて、後ろの方の仲間たちを見やる。 「でもね、あんなバカ騒ぎはしてるけど、皆あんたのこと心配してくれてるんだよ。」 …私もなんだけど。 そこまでは、声には出さなかった。 「ふん、だといいがな。」 言い捨てながらもこうやって同行を許しているあたり、最初の頃に比べて随分心を許してきたということだろう。 ふと口元をほころばせたとき、アルベルが歩みを止めて後ろを振り返った。 「おい、そこの阿呆集団。」 「やだな、クリフなんかと一緒にしないでくれよ。」 「おいっ!」 「いいから、そこの無自覚阿呆と巨大阿呆はこっちに来い。で、てめえはあの女どもと後ろに下がってろ。」 あとの言葉は、ネルに向けられたものだ。 なんで?と問うより先に、 「敵は男を狙って出てくるんだろうが。だから女どもは後ろに下がってろ。」 確かにそうだ。 敵が男だけを狙ってくるなら、囮は男だけの方がよい。 その方が敵をおびき出せる確率も高いし、彼女たちを危険にさらされることもない。 頭ではわかっているのだが。 フェイトとクリフと並んで歩くその背中を、少し離れて追いながら、いつでも短刀を抜けるようにする。 どんな敵が来ようと、絶対にあいつをやらせない。 そんな想いを胸に、雪を踏みしめた。 白い息が、凍てついた濃紺の夜空に消えていく。 何時間くらい歩いているだろうか。 もう城下町を歩き尽くしているというのに、未だに犯人に遭遇しない。 「まあ、そうあっさり現れるわけないよね。」 「しっかし寒いな。一杯引っ掛けてえよ。」 「なんなら、てめえは帰ってもかまわねえぞ。」 「へっ、今更すごすご帰れるかっての。」 大きな体をぶるっと震わせ、また歩き出す。 そんなクリフの耳に、女が笑うような声がかすかに届いた。 「ん?何か言ったか?」 後ろの方を歩くマリア、ソフィア、ネルたちに声をかける。 「何も言ってないわよ。」 「私たち、ずっと黙ってました。」 「そうかー?今、確かに女の声が聞こえた気がしたんだけどなあ。」 「うん、僕も聞こえた。」 「……」 自然と、足が止まる。 耳を済ませてみると、やはり女が笑うような声が聞こえる。 …ふふ…うふふ… 艶然とした、低い笑い声だ。 「…聞こえたな。」 「ああ。間違いない。」 「おーい、嬢ちゃんたちは聞こえなかったか?」 「いえ、何も。」 「静かなもんです。」 「…!」 ネルの前方を、小さい不思議な光が、まるで蛍のように飛んでいった。 はっと気づけば、めまぐるしく色を変える不思議な光が、三人の男たちの周辺を無数に飛びはじめたではないか。 その光景は、美しいかもしれない。 しかしその光は、美しさの裏に何ともいえない邪悪な気配を隠し持っている。 「あんたたち…!!」 その異様な気配に気づいていたのは、彼らとて同じだった。 それぞれ身構えて気配を探っている。 「おかしな光を見たってのは、これか!?」 「気をつけろ!」 「…この感じ、ただの魔物じゃねえな。」 周囲を渦を巻くように妖しい光が舞い踊り、女の笑い声が響く。その甘い声は、とても魔物とは思えない。 様々に色を変えながら舞っていた光が、やがて一点に集中しはじめる。 集まってきた光は凝縮され、人の姿を形作る。 その眩さに目が眩みそうになりながらもかろうじて見ていると、間もなく光が解け、そこに一人の女が佇んでいた。 美しい、女だ。 艶然とした微笑を浮かべ、非の打ち所のない肢体を惜しげもなくさらしている。 しかしその女が人間でないことは、一目瞭然だ。 艶やかな髪の間からは二本の角が覗き、白い背中からは蝙蝠のような翼が生えているのだから。 「犯人はこいつだな!?」 「ほら見ろ!やっぱきれいなねーちゃんだったじゃねえか!」 「ふん…こいつは魔界のものだな。」 尋常の魔物の放つ気配ではない。 相変わらず警戒は解かないものの、その妖艶な微笑を前にしては、今まで殺された男たちが骨抜きにされてしまうのも無理はない。 「うふふ…今夜はいい男が揃っているのねえ。」 紅い唇から囁かれる甘やかな声は、頭に直接響いてくる。 なるほど、これが聞いている本人にしか聞こえないという声か。 既に駆けつけてきて身構えている女性陣には、今の声が聞こえた様子はない。 その見事な肢体を見せつけられて、なんとも感じない男などいない。 魔物はその体を妖しくくねらせながら、赤い唇を血のように赤い舌で舐める。 「男の魂の中でも、おまえたちの魂はなんていい香り…さぞ美味なことであろう。」 「間違いないわ。この魔物が犯人よ!」 マリアの銃から放たれた光線は、そこにいたはずの魔物には当たらず、背後の雪の吹き溜まりを蒸発させるだけだった。 魔物はいつの間にかマリアの横に移動していた。 魔物は先ほどまで男たちに向けていたものとは全く違う、冷酷な視線を投げかけ、 「生臭い女の魂は、臭いを嗅いでいるだけで気分が悪くなる。」 「!」 魔物は全く動いていないのに、全身から放つ気だけで吹っ飛ばされた。 マリアの体をソフィアとネルがなんとか受け止めはしたものの、三人とも雪に倒れこむ。 「さあ、どの魂からいただこうかしら。」 「僕らを今までの連中と一緒にするなよ!」 「ふふ…もちろんただでとは言わない。このリリティがいい夢を見させてあげるよ。」 「お?じゃあ、どんな夢かちょっとだけ…」 「左手で全力でツッコミ入れてやろうか。」 クリフの背後で、ガントレットのかぎ爪が物騒な音を立てている。 リリティと名乗った魔物はころころと笑い、 「ならば、望みどおりおまえからいただくことにしようよ。」 しなやかな腕を伸ばし、クリフに向けて投げキッスをした。 その指先からほんわりと光が放たれ、クリフを包み込む。 「うおっ!?」 光に包まれたクリフが、頭を抱えて大きく仰け反る。 「クリフ!?」 慌てて駆け寄ったフェイトに、クリフが顔を向けた。 しかしいつも陽気なクリフの表情に浮かんでいたものは、残忍な笑みだった。 「え…!?」 唸りを上げて、拳がフェイトの鼻先を掠める。 咄嗟に避けはしたものの、拳の風圧だけで髪が数本切れ飛んだ。 ゆらりと大きな体を左右に揺らしながら、クリフがこちらへやってくる。 「なるほどな。魅了の能力を持つわけか。」 「えー!やばいですよ!」 「やっぱり男には不利だわ!あなたたちは下がりなさい!」 「早くそいつから離れな!!」 ネルが黒鷹旋を放つが、リリティは笑いながら避ける。 「ほほほ、そんな攻撃、魔族の私に効くものですか。」 「魔族だって!?」 「なるほどな。道理でそこらの魔物と比べ物にならねえくらいの邪気を持っているはずだ。」 言いながらも、クリフの攻撃を避けている。 味方にすれば頼もしいクリフの豪腕も、敵にすると厄介だ。 「やめろって、クリフ!」 「邪魔だ。殺すぞ。」 「きゃー!どうしよう!と、とりあえずクリフさんを止めなくちゃ…!」 「くっ、麻酔弾を持ってくればよかったわ…!」 「こうなったら…サンダーフレア!!」 暴れるクリフの足元から、ばちばちと弾ける音をたてて電光が吹き上がる。 大きな体が感電し、その場でがくがくと痙攣している。 「そう長いこと足止めはできないよ!この間に、そいつを…!」 「あらら…じゃあ、今度はあなたね。」 「え…うわ!?」 こちらに向かって飛んできた光をフェイトは慌てて避けようとしたが、ゆっくり飛んでいるように見えて、光は確実に追尾してくる。 「うわっ、たっ…!」 後ろに跳んだところで、雪に足をとられてしまった。 その一瞬の隙に、光がフェイトを包み込む。 「…っ!」 「フェイトっ!」 大きく上体を前後させたフェイトは、叫んだソフィアのほうへゆっくりと振り向いた。 その碧の瞳が、異様な光を放っている。 「っきゃー!!フェイトのバカー!!」 「そんな年増の色仕掛けにまんまとやられるなんて、見下げ果てたわ!」 しかしただ拳を振り回して暴れているだけのクリフより、こちらのほうが凶悪だった。 鉄パイプを振りかざし、まっすぐに彼女たちのもとへ向かってくる。 「くっ!」 最初の一撃は飛び込んだネルがなんとか弾いたが、狂ったように打ちかかった男の力に跳ね飛ばされる。 「うわ!」 「寝惚けるのもたいがいにしろ、阿呆!!」 横合いからアルベルがフェイトを蹴り飛ばさなかったら、次の一撃を避けきれなかっただろう。 容赦のない鉄パイプの攻撃を刀で受けながら、背後にいるネルたちに怒鳴る。 「てめえらは退け!」 「だって、あんただって…!」 男なのだから、あの攻撃をくらってはひとたまりもあるまい。 もちろん、マリアもソフィアもおとなしく退く気などない。 「今の間に、なんとかあの女を倒しましょう!」 「ただの攻撃じゃ避けられるわ!」 マリアが放ったレーザーは通常より長く空中に留まり、その場で回転するに合わせて円を描いて広がっていく。 「!」 リリティは避けはしたものの、広範囲に広がったレーザーを完全には避けきれずに、翼の一部を焼いた。 「おのれ…!」 「逃がさないもん!レイ!!」 「うあっ!!」 魔物が苦手とする光の雨が降り注ぐ。 シャワーのように降り注ぐ光の中、リリティが身を捩って悲鳴を上げる。 しかしその間に、クリフが電撃の檻から解き放たれた。 いまやリリティの僕となったクリフが、同じくリリティの手に落ちたフェイトと戦っているアルベルに向かう。 「まずい!」 もう一度サンダーフレアを放つが、今度は避けられてしまった。 いくらアルベルでも、フェイトとクリフを相手に本気で戦えない(おそらく)状態では不利だ。 「アルベルさん下がってください!ディープフリーズ!!」 ソフィアの声に、咄嗟にフェイトを蹴り飛ばして後ろへ跳ぶ。 その直後、フェイトとクリフの足元が見る見る氷結し、二人とも氷に封じ込められた。 二人が身動きが取れない状態になるや、アルベルはリリティに向けて空破斬を放った。 「うっ!?」 光の雨によってダメージを受けてよろめいていたリリティだが、間一髪身を捻ったところへ衝撃波がかすめていく。 そして体勢を立て直すよりも早く、アルベルが打ち込んでいた。 「ぎゃあっ!」 リリティの翼が斬り飛ばされ、雪の上にどさりと落ちる。 フェイトとクリフの有様を見ても逃げるどころか接近戦に持ち込むアルベルに、ネルはぎょっとした。 「なっ、バカかいあんた!!離れろって言ってるのに!」 「この俺があんなもんにやられるかよ!」 「何を根拠に…!」 「万が一やられたら、殺しとけ!」 「できるわけないだろ!!」 叫んだ声は、悲鳴のようだった。 頼むから、離れてほしい。 逃げてほしい。 もしフェイトやクリフのように敵に魅了され、こちらに襲い掛かってきたら、自分は戦えない。 かつて敵だった男だというのに、今は剣を交えることさえ抵抗を感じるなんて。 片翼を失ったリリティが、美しい顔を怒りに歪めてアルベルを睨みつける。 「この…おまえも私の僕となるがいい!」 あの光がアルベルを包むのを見て、思わず悲鳴を上げる。 「ああっ!!」 どうしよう。 戦えない。 それでも自分がなんとかしなくては、ソフィアとマリアではまともに逃げ切れるかどうかさえ危ぶまれる。 竜穿を握る手が、震える。 どうしよう、どうしよう、どうしよう… なんとかしなくては。 たとえ刺し違えても… 必死に歯を食いしばるネルの眼前で、アルベルを包んだ光が消えていく。 アルベルの体が、がくんと揺れる。 ネルの全身に緊張が走る。 そしてゆっくりと顔を上げて、ぎらりと睨みつけたのは…リリティだった。 「な…!?」 「なんだ?今のは。」 にやりと笑って、ガントレットのかぎ爪で殴り飛ばす。 悲鳴を上げて吹っ飛ばされたリリティに追撃をしかけるアルベルを、ネルは竜穿を握り締めたまま呆然と見つめていた。 「…え…」 なんともなかったというのか。 いや、ダメージを受けて錯乱したあの魔物が、ミスをしたのかもしれない。 「…い、今の、アルベルさんには効かなかった…?」 「そうみたいね。今のうちにやるわよ、ソフィア!」 リリティに、マリアのレーザーとソフィアの紋章術が炸裂する。 氷に囚われていたフェイトとクリフが、術が解けると同時にこちらへ向かってくる。 この二人には間違いなくリリティの魅了の術がかかっている。 それなのに。 「そ、そんな…私の前に跪かない男なんて…!」 全身を血に染めながらも、もう一度アルベルに向けて魅了の光を放つ。 が、アルベルは再びその光を受けても、リリティの僕となることはなかった。 「バカな、なんで…!」 「てめえごときクソ虫の分際で、この俺を落とせると思うな、阿呆!」 魔物の血に濡れた刃が、リリティを袈裟懸けに叩き斬った。 雪の中、魔物の絶叫が轟きわたる。 斬り裂かれたリリティの肉体が霧散した瞬間、武器を振りかざして走っていたフェイトとクリフの体が突然力を失い、その場に倒れこんだ。 「…ふん。クソ虫のくせに梃子摺らせやがって。」 刀を血振るいし、鞘に収める音が雪に吸い込まれてもなお、ネルは立ち尽くしていた。 全身から力が抜け、こうして立っているのもやっとだ。 戦わなくて、すんだ。 あいつは本当に、魔物の魅了の力に屈しなかった。 今、体のどこかをつつかれたら、そのまま倒れてしまいそうだった。 雪の上に倒れているフェイトとクリフを、マリアとソフィアが足先で小突いていると、やがて低くうめいた。 「…う…」 「いてて…」 のそのそと起き上がり、きょとんとして周囲を見回す二人の顔から、あの邪悪な影は消えていた。 二人とも、何も覚えていない。 光に包まれた直後から今まで、記憶が完全に欠落している。 そんなフェイトとクリフだが、仁王立ちして見下ろすマリアとソフィアになんとなく不穏な気配を感じて怯えていると、 「…あの魔物から変な光をくらったとき、どんな感じがした?」 「え?いや、覚えてないんだけど…」 「その瞬間はなんかこう…すっげー気持ちよかっ…いや、そんなことねえぞ!」 「ふうん…」 冷たく相槌を打ち、肩越しにアルベルに呼びかける。 「ねえ、なんでアルベルは平気だったの?」 「は?俺が知るか。」 「でも、二回もくらったのに効かなかったんですから。何か理由があるんですよ。」 「なんともねーもんはなんともねーんだから、理由なんざ知ったことか。」 言いながら、未だに立ち尽くすネルのもとへ歩いていく。 「何をぼーっとしてやがる。」 「…あ、ああ…」 「俺があんな奴にやられるとでも思ったか?」 「そ、そりゃそうさ!だってフェイトやクリフがあんなになったのを見ちゃ…」 あんたと戦わなくちゃいけないのかと、死ぬ気で覚悟を決めたのだ。 俯いて肩を震わせるネルの頭に、大きな掌がぽんと乗せられた。 「俺はこっちのほうがいい。」 赤い髪をくしゃくしゃとかき回して、にやりと笑って歩き去っていく。 「……え?」 あとに残ったネルがその言葉の意味を理解するまでに、しばしの時間を要した。しかしその言葉の意味にやっと気づいたと思われた瞬間、その頬が赤い髪よりもさらに赤く染まった。 そんな二人の会話をこっそりと聞いていたマリアとソフィアが、顔を寄せる。 「やるわね。」 「ていうか魔物の魅了攻撃って、好みかどうかって問題で跳ね返せるんですか?」 「ネルの他には、本気で全くかけらも魅力を感じないってことでしょ。」 「うわー、ネルさん、一生浮気の心配はしなくてすみますね。」 「あはは、さすがアルベル。」 「本気でネル一筋なんだなあ。」 ちょっと退いたところで笑っている男二人に向けられたマリアとソフィアの目は、魔物に魅了された男どもよりも恐ろしかった。 「…フェイト。あっさりあの女に誘惑されてたね。」 「え゛…」 「…クリフ。なんか喜んで敵に魅入られてたみたいだけど。ミラージュに報告しておくわね。」 「なっ!ちょっ、ちょっと待てっ!!」 連続殺人は、最後に二人の被害者を加えて収まったとかなんとか。 |