星の船に乗って自分たちの住む世界へと帰っていったと思っていたフェイトが、突然シランドを訪れたときは驚いた。もう二度と会うことはないだろうと思っていたから。 それなのに、ほんの二週間かそこらでひょっこりと現れた。 理由はともあれ長かった戦争も終わり、忙しさから開放され、その日は休暇をもらって久しぶりに自室でくつろいでいた。 しかし任務漬けの生活に慣れきっていたためか、かえって何をすればいいかわからない。 午前中の明るい日差しが差し込む部屋の中、本でも読むかとずっと読みかけのままだった本を取り出し、ページをめくったときだった。 控えめなノックの音がする。 「どうぞ。」 かちゃり、と開かれた扉から顔を出したのは、 「あんた…どうしてここに!?」 人懐こい笑みを浮かべたフェイトだった。 彼の背後には、クリフなど見慣れた顔や、途中で合流したマリアという娘もいる。もう一人のアミーナとかいった少女とよく似た娘は、きっとフェイトがずっと心配していた幼馴染だろう。ああ、無事に会えたんだ、よかったね。 またここへ現れた理由を尋ねると、フェイトは曖昧な笑みを浮かべて、ごまかすように答えた。きっとまた、何か厄介なことを抱え込んだに違いない。わざと詮索はせず、 「…また会えて嬉しいよ。ゆっくりしていけるのかい?」 「それが、そんなにはゆっくり出来ないんだ。近くに来たから寄ってみたんだけど、すぐに発たないと…」 どうやら以前よりももっと面倒なようだ。 「深刻そうな感じだね。一体どうしたっていうのさ。またバンデーンの奴らかい?」 「実は…」 まっすぐにフェイトを見つめると、フェイトはやむなくといった感じで事情を説明してくれた。 その話は、正直に言ってほとんどよくわからないものだった。それでも、このままでは世界が消えるということだけは理解できた。 この一見ひ弱そうな少年が、今度は状況に流されるわけではなく、重い運命を背負って自ら守りたいもののために戦おうとしている。守りたいものがあるから、戦う。その気持ちは痛いほどよくわかるから。 「今、危機に瀕している世界はあんたたちだけの世界じゃない、私たちの世界でもあるんだ。私の世界の危機なんだ。今度は断らせやしないよ。いいね?」 一瞬の困惑の色を浮かべた後、フェイトは強引な申し出を受け入れてくれた。 休暇とはいえ、急な任務もあるためにいつもの黒装束に身を固めていた。短剣を取り、フェイトについて廊下へ出る。 と、そこで意外な人物を見た。 今まで部屋の中から見えない位置にいて気づかなかったが、そこで背を向けているのは、暗褐色と金の混じりあった髪を持つ、独特の出で立ちの男。 何故こいつがここに!? 思わずそんな言葉が口をついて出そうになったが、その男は肩越しにちらと振り返ったのみで、 「用事がすんだなら、とっとと行くぞ。」 言うや、二本の触手のように束ねた髪を揺らしながら、足早に歩いていく。 そんな背中を見ながら、クリフがぷっと吹き出した。 「なんだよ、素っ気ねえな。ここに来るときは一番急いでたくせによ。」 「素直じゃないよねえ。」 フェイトと顔を見合わせて笑っている。 なんなんだ?と思いながらも、彼らとともに歩き出した。 彼らの説明はわけがわからないが、どうやらアイレの丘の途中に、そのFDなんとかという世界へ行く道があるそうだ。 そこから彼らはここに来て、必要な物資を仕入れているのだという。 一日かけていろいろなものを買い、その日はアイレの丘に近いアリアスに泊まることにした。 「ちょっとクレアのところに行ってくる。先に寝てていいよ。」 あのときは急ぐという彼らにそのままついてきてしまったが、不在の間の任務のことなど女王に相談しなければならないし、やっておかなければならないことが山ほどある。それに同じクリムゾンブレイドであり親友であるクレアに、何も言わずに行ってしまうわけにはいかなかった。 宿から程近い領主屋敷に、幸いクレアはいた。 「いらっしゃい、ネル。どうしたの?」 「やあ、クレア。ちょっと頼みがあるんだけどさ…」 突拍子もない自分の話をクレアは真剣に聞いてくれて、今後のことを夜更けまで相談していた。 「いつも面倒ばかり押しつけて、悪いね。」 「気にしないで。そんな話、できれば私も参加したいくらいだもの。こっちのことは心配しないで、がんばって。」 「ありがとう。」 「ちゃんと帰ってくるのよ。」 「もちろん。帰ってきたら、お礼に食事でも奢るよ。」 「約束よ。」 笑顔でいるが、事の重大さにクレアも危機感を感じているようだ。軽く抱擁を交わし、領主屋敷を出る。 もはや村は寝静まり、物音一つしない。 音をたてないように宿の扉を開け、既に宿の主人さえいなくなったロビーへ入る。 二階の部屋へ行こうとした足が、ふと止まった。 ランプもついていない暗がりに、その姿を見つけたからだ。 「あんた…何やってんだい。」 ソファに腰掛け、組んだ指に顎を乗せているのは、ついこの間まで敵だった男だ。 暗がりで、真紅の瞳が動いてこちらを見る。 一瞬身構えそうになったが、彼の視線から殺気はかけらも感じなかった。 火のついていない暖炉の前に彫像のように座っている男に歩み寄る。 鎧や左腕のガントレットは外しているが、その刀は脇に立てかけられている。 眠れないでいたのだろうか。それとも… 「…寝ないのかい?」 そう問いかけてみた。 しかしそれには応えず、 「…てめえは阿呆だな。」 「なんなんだい、急に…」 いきなり阿呆と言われて、気分がいいはずがない。 「てめえ、これから何をするかわかってんのか?」 「え…」 抗議しかけたところで、出鼻をくじかれた気がした。 暗がりでもはっきりと見える真紅の瞳に見据えられ、何故かたじろいでしまう。しかしそれを悟られないように、 「…フェイトから聞いたよ。このままじゃ、私らの世界が消えてしまうんだろ?そんなことを黙って見てられると思うかい?」 「……」 かすかな舌打ちが聞こえる。この男は何をそんなに苛立っているのだろう。 相手の視線が逸れたことで余裕を取り戻し、逆に問い返す。 「あんたは、なんでフェイトたちと一緒にいるのさ。もう戦争は終わらせたんだし、用はないはずだろ?」 「断罪者とかいう強ぇ奴らが現れたからな。そいつらをぶっ倒す。」 「…それだけ?」 目が合うと、今度は相手が視線を逸らす。 「…FD人だかなんだか知らねえが、そんな胸糞悪い連中に俺らの世界を好き勝手にさせたくねえ。」 仕方なく答えたといった言葉に、思わず苦笑した。 「なんだい、それじゃあ私と変わらないじゃないか。それなのに人を阿呆呼ばわりしてさ…」 「一緒じゃねえ。」 暗がりの男は、ますます苛立っているように見える。 何故かその理由が気になって、側の椅子に腰掛けた。 「ねえ…さっきから何を怒ってるんだい?かつての敵と一緒にいるのが、そんなにいやかい?」 自分で言っておいて、一抹の寂しさを覚えた。 自分自身も、この男を「かつての敵」というフィルターを通して見てしまう。もう戦争は終わっているのに。 そんな問いかけに、真紅の瞳が動揺したように見えた。そしてほとんど聞き取れないほどの声で、 「違う…」 そう呟いたのが聞こえた。 その言葉に、胸の奥で怯えたようにうずくまっていた何かが、ほっと緊張を解いたように感じた。 「じゃあ、なんで…」 相手の顔を覗き込むようにたたみ掛ける自分を睨みつけてくる。その瞳は真剣に怒っているようで、それでいて不安で溢れている。 「今度の相手はな…あの星の船でも全く歯が立たねえ連中だ!てめえ、死ぬぞ。」 星の船の圧倒的な力は、ついこの間思い知らされたばかりだ。あの力を前に、自分たちはなす術もなかった。それが今度は、その星の船さえ歯が立たない相手だという。 果たしてそんな敵を相手に、自分にどこまでできるだろうか。 「……」 「…だからてめえは、おとなしくここに残ってやがれ。」 感情を押し殺すような言葉に、彼の苛立ちの理由がわずかながら察せられる気がした。 「…あんたは、どうなんだい?」 「なに…」 「あんたは、そんな相手に勝てるのかい?」 「…勝つ。」 「根拠のない自信だねえ。」 肩をすくめ、暗がりを見据える男の髪を引っ張り、こちらを向かせる。 「悪いけど、私は残る気はないよ。」 「死にてえのか!?」 「死にたくなんかないさ。でもね、ここでぼさっとしてても、あんたが負けたらこの世界は消えちまうんだろ?だったら自分で乗り込んでったほうがよっぽど落ち着く。」 「負けねえって言ってんだろうが!」 「本当に負けないかどうか、見ててやろうって言うんじゃないか。」 「死んだって知らねえぞ…!」 「あんたは、生き残るつもりなんだろう?」 「あたりめえだ。」 「私も同じさ。それに、私がおとなしく待ってられるような性格じゃないのは、あんたも知ってるだろ?」 「てめえは…!」 「…私が死ぬのが、そんなにいやなのかい?」 激した男の息を飲む音が聞こえた気がした。 ああ、やっぱり… それでさっきからずっと… 胸の奥に、暖かな灯が点る。 言葉の続かない男を残して、席を立つ。 「…なんと言われようと私は行くよ。いいね。」 踵を返した背後で立ち上がる音がして、振り向こうとした矢先に腕を掴まれた。 「…っ!」 何を言うより早く、唇が塞がれる。 弾みで背中が壁にぶつかり、そのまま押し付けられる。 驚きで反応するのが遅れ、気がつけば身動きがとれなくなってしまった。 だんだん息苦しくなってきて、男の胸を叩く。しかしその拳には全く力が入らない。 胸郭の中を、心臓が好き勝手に暴れまわっている。 かなり長い時間が経過したように思えた。 唇が離れた瞬間、大きく息を吐くと同時に、全身から力が抜けるのを感じる。 そんな自分を抱えたまま、耳朶に触れそうなくらいに唇を寄せ、 「死なせねえからな。」 そう呟いて、ようやく開放してくれた。 刀を掴み、足早に階段を上っていく。 後に残された自分は壁に背を預けたまま、ずるずるとずり落ちた。 まだ温もりの残る唇にそっと触れる指が、かすかに震えている。 「……それはこっちの台詞だよ、バカ…」 きっと今度の戦いは、熾烈なものとなるだろう。でも絶対に生きて帰ろう。あのバカと一緒に、この大地に帰ってこよう。 大丈夫、必ず帰れる。 胸の奥に灯った光は、そんな確信だった。 |