真に戦うべき敵は
血みどろが苦手な方はご遠慮ください。
キルビルを見られる人なら大丈夫な程度ですが。




 刀を振るうたび、鮮血が散る。
 左手から来る敵を切り下げ、返す刀で右手の敵をすくいあげるように斬る。
 鎧を切り裂き、肉を断ち、骨を砕く感触が手に伝わる。
 足元には、腕や足を失ってのたうちまわりながら死へと向かう者、首を失って手足を投げ出して倒れている肉塊、未だに傷口から血飛沫を噴き上げる屍が無数に転がっている。
 それらを踏み越えて、敵は闇から滲み出ては次々と襲い掛かってくる。
 息はとっくに上がっている。
 全身に浴びた返り血が乾き、頬が強張る。
 むせ返るような血の臭いも、嗅覚が麻痺して既に感じない。
 真紅の瞳だけが異様にぎらついている。
 もはや目の前に現れるものを、次々と斬り伏せていくだけの自動人形に過ぎない。
 靴の裏でずるりと滑る柔らかく濡れた感触は、内臓だろうか。
 きっとここは、地獄だ。
 地獄でなければ、この光景は何だと言うのだ。
 そして俺は、この地獄でどれだけの間こうしているんだ。
 何も覚えていない。
 気がつけば、刀を振るっていた。
 血脂に曇る刀の切れ味は既に落ち、力任せに叩き斬っている。
 それなのに、戦うことをやめない。この体が、斬ることをやめない。
 敵が現れる限り、ひたすら斬り続ける。
 その敵が何者かも、わからない。
 目の前に現れる人の形をした肉塊を、ひたすら斬るのみ。
―殺せ、殺せ、殺せ、殺せ―!
 血に濁った頭の中で、くぐもった声が響いている。
―きさまにはそれしかないのだろうが―
 不快な声が、ささくれだった神経を逆撫でする。
 うるせえ…
―強さのみを求め続けるきさまに、他に何があるというのだ―
 やめろ…!
―この世の総ての存在が滅ぶまで、殺し続けるのだろうが―!
 黙れ…!!
 声に抗いながらも、その腕は刀を振るっている。
 もう刀も、腕も、心も限界なのに。
 自分のものではないかのように、体が言うことを聞かない。
―きさまが今までに殺してきた輩を見てみるがいい―
 せせら笑うような声に、つま先まで返り血に染まった足元を、見る。
 そこには既に人間の形をとどめていない肉塊の山がある。
 それらは、さまざまな鎧をまとっている。
 シーハーツのもの、グリーテンのものなどが入り乱れている。
 そして自分の足の下にあるものは…
 ……っ!
 ひとつの塊だけが、アーリグリフの鎧をまとっていた。
 血と肉と内臓の海の中で、それだけが血に染まっておらず、黒く、肉の焦げる臭いを放っている。
 親父…!!
 愚かな息子を守るため、迷うことなくその身を犠牲にした父。
 その炎を全身で受け止め、我が子を守った父。
 息子に遺されたのは、左腕に刻まれた火傷という一生消えない刻印。
―きさまは死の上に生きている…きさまの存在は“死”そのものだ―
 …違う…違う…!
 赤黒い返り血で凝固した髪を振り乱す背後から、新たな敵が襲いかかってくる気配がする。
 体が反射的に、刀を突き出していた。
 切っ先が、肉を突き破る感触がする。
 俺はゆっくりと振り向いた。
 淀んだ真紅の瞳が、大きく見開かれる。
 その瞳に映ったのは、短剣を振りかざしたままその胸を貫かれた、真っ赤な髪の女。
 ……!!
 立ち尽くした女の手から短剣が滑り落ち、足元の肉塊に突き立つ。
 スミレ色の瞳が見開かれ、紅の唇の端から鮮血がこぼれる。
 …う…
 震える手に握られた刀が根元から音を立てて折れ、支えを失った女の体が、ぐらりと揺れる。
 突き動かされるように抱きとめた女の体が、重く俺の腕にのしかかる。
 見開いたままのスミレ色の瞳は、既に光を失っていた。
 胸に突き立ったままの折れた刃を抜こうと掴む。
 刃が掌に食い込み、深く傷つける。指が千切れそうになるのもかまわず、力任せに刃を抜く。
 赤黒い細い穴の空いた胸から、血が際限なく溢れて俺の体を濡らす。どす黒く染まった服に、新たな鮮血が染み込んでいく。
―きさまに関わる者を待つのは“死”だけだ…たとえそれがいかなる存在であろうと―!
 うおおおおおおおおお!!!!
 魂を絞り上げるような絶叫が闇に木霊したとき、眼前の闇が眩い光に駆逐された。



「…っと、ねえ…ねえってば!」
「…!!」
 はっと見開いた瞳を、覗き込む顔がある。
 驚いたような、心配するようなスミレ色の瞳。それはたった今、自分が殺してしまったはずの女の瞳…。
「……っ」
 慌てて周囲を見回すと、そこは見慣れた宿のベッドの中だった。
 …夢…
 大きく息を吐く俺を、きらめく光を宿したスミレ色の瞳が見おろしている。その白い胸には、赤黒い血を噴き出す穴などどこにもない。
「大丈夫かい?すごくうなされてたよ…」
 脂汗で額に張りついた前髪を、指先でそっとすくう。
「…なんでもねえ…」
「でも…」
 ものすごく苦しそうで、辛そうで、悲しそうだった。
 それは男の胸が荒く上下していることでもわかる。
「いやな夢、見たのかい?」
「……」
 緩慢な動作で上体を起こし、恐る恐る自分の手を見た。
 刀の握り胼胝ができている右手と、火傷で醜く引き攣れた左手。
 小刻みに震えるその掌が、鮮血に染まって見えた。
「…!!」
 咄嗟に両手を握りしめた。その肩が、わなわなと震えている。
「ねえ…本当に、どうしたのさ。」
 心配そうな女の朝日を浴びた赤い髪さえ、血の色に見える。
 蘇るのは、胸を貫かれて倒れる姿―。
―きさまは死の上に生きている…きさまの存在は“死”そのものだ―
 突如、頭の中にあの声が蘇る。
 違う…!!
 開けば、また血に染まった掌を見る気がした。
 強く握り締めた拳を、白い手が優しく包む。
 はっとして横を見ると、彼女は優しく微笑んでいる。
 剣を握るには不似合いな白い手は、暖かい。
 これは、生きている者のみが持つ温もりだ。
 己を落ち着かせるために、一つ大きく息を吐く。
「…おい…」
「なんだい?」
「もしあのとき戦争が終わってなかったら…俺はいつか、てめえを殺していたかもしれねえな…」
 突然の呟きに、少し驚いたような顔をする。そして首をかしげて考えた後に、
「うーん…どうだろうねえ。確かに戦うことはあったと思うけど…それはないんじゃないのかい?」
「…なんでだ。あのままだったら、俺とてめえは敵同士のままだ。」
「だってさ…前にあんた、言ってたじゃないか。私はあんたより格下で、弱い者いじめはしないんだって。」
「ああ…」
「それに結果の見えた勝負はしない主義だって。」
 そう言う彼女は、少しいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「阿呆。クリムゾンブレイド相手に、んな呑気なこと言ってられっかよ。」
「そうかねえ。でもさ、私らは確かに漆黒にさんざやられたけどさ…あんた自身に殺された部下は、ほとんどいないんだよ。」
「……」
「皆、重傷だったりしたけどさ。あんたはとどめを刺さなかったって、あとで聞いたよ。」
 だから…と、俺の拳に手を添えたまま、
「あんたは私を殺さない。」
 確信しているような言い方をする。
 それが何故だか、もどかしく思えて。
 俺は…
―きさまに関わる者を待つのは“死”だけだ…たとえそれがいかなる存在であろうと―!
 てめえが思っているような人間じゃ…
 目の前に現れる敵を殺し続ける男だ。
 あれが敵だったのなら、まだいい。中には戦争とは関係のない市民もいたかもしれない。そんな彼らを、父の亡骸を踏みつけながら殺す男だ。
 そして、おまえを…。
「…俺が今までに、この手で何人殺してきたと思ってやがる…」
 この拳を開けば、掌からどす黒い血があふれ出てくるのだ。
 俺の横顔を見つめる女がわずかに形のいい眉をひそめたかと思うと、いきなり掌を俺の顔面に叩きつけてきた。
「いでっ!いきなり何しやがる…!」
 目元を叩かれ、視界に星が散る。
 そんな俺の目の前に、見た目に反して暴力的な掌が突きつけられる。
「バカじゃないのかい?私だってあんたと変わらないよ!」
 目の前に突き出される、白い掌。
「悪いけど、任務のためにアーリグリフの人間だって何人も斬らせてもらったよ。」
 剣をとり、戦う女の華奢な手。
 その手は俺と同じ、血に染まっている。
 それなのに…眩しいほどに白い。
 俺を睨む女の顔が、悲しそうに歪む。
「私の手だって…血みどろだよ。」
 この、白い手が。
 暖かな、優しい手が。
「…どこがだよ。」
 思わず、そう呟いていた。
 ふっとかすかな笑みを浮かべた女の白い手が俺の拳にかかり、その指を開く。
「あんただって、きれいなもんじゃないか。」
「…!」
 どす黒い、血にまみれた掌だ。
 それをこの女は、きれいだと言う。
「…あんたは、私の手を見ても怖くないだろ?」
「…ああ。」
「私もあんたの手を見たって、怖くなんてないよ。」
「……。」
 互いに、血塗られた手を持つ者同士。
 同じ戦場を生きてきた者同士。
「他の連中が見たら、私らの手なんてどっちも怖いんだろうけどさ…でも…」
「…何だよ。」
「この手は、アーリグリフの人たちを守ってきた手だ。そして今は、私たちを守ってくれてる…」
 あんたが言うように、ただ強い奴と戦いたいだけなら、軍なんかにいる必要ないもんねえ…
 微笑んだ女の表情が、朝日よりも眩しく思える。
「私も、シーハーツの皆を守るために戦ってきたんだ。あんたと同じだよ。」
 最初はそのことに気づかなかったけどね。と付け加えた。
 もう一度、血に汚れた掌を見つめる。
 このどす黒い血から、目を逸らしてはいけない。
 俺がこの手を血に染めてでも、守るべき存在があるのだから。
 目の前の女の体を抱き、体重を預ける。
「わっ!」
 ベッドに倒れこんだ女の胸から聞こえる、心臓の鼓動。
 生きている。
 共にその手を血で染めながら、血みどろの地獄の中で足掻きながら、生きている。
「ちょっと、もうすぐ起きる時間だよ!」
「うるせえ、まだ時間はあるんだろうが。」
 早くなる鼓動と、暖かな温もり。
 そこに、死の臭いはない。
―きさまの存在は“死”そのものだ―
 違うな、阿呆。
 俺たちは、生きている…。


 

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