不器用だと言われても、仕方がない。
 他に生き方を知らないから。
 表現の方法なんて、わからない。
 やり方なんて、知らないから。

 だから、戦う。
 守るために。
 だから、戦う。
 その想いを刃に乗せて。

 他に表現する方法なんて、知らないから。



 このところ、雑務に追われてゆっくりする暇もない。
 今日はカルサア、今日はアーリグリフ、今日はまた別の駐屯地、といった具合だ。
 何しろあの戦争のあと大幅に人員が減ってしまい、疾風騎士団団長までもがいなくなった分をウォルターと二人で埋めることになったところへさらに創造主とやらとの戦いが割り込み、かなり長いこと漆黒騎士団団長としての仕事を放り出していたのだ。忙しくて仕方ないと言われれば、それまでだ。
「魔物が湧いただと?どこに。」
 久しぶりに戻ったカルサア修練場の会議室に広げられた地図の一部を部下が示すと、形のよい眉をひそめる。
「シーハーツの目と鼻の先じゃねえか、阿呆。んなもん、あっちの連中にやらせとけ。」
 言いながら、机の上の一枚の報告書に視線を走らせる。
 それには目撃された魔物の種類が並べられている。
「では、別件の魔物の発生に関してですが…」
 それも束の間、すぐに視線を外して次の報告に耳を傾けた。
 一連の指示を終えた頃にはすっかり夜も更け、騎士団員たちはそれぞれ会議室をあとにする。
 誰もいなくなった会議室で、大きなテーブルに足を投げ出して溜息を吐く。
 開けっ放しの扉から、廊下を歩く部下たちの話し声が聞こえてくる。
「ちぇ、当分こっちか。早く町に戻りてえな。こんな女っ気のないところ、つまんねーったらありゃしねえ。」
「そう言うなよ。団長もひっくるめて最近お預けなんだからよ。」
「ああ、そういえば最近見かけないな、赤い髪の…。別れたとかじゃないのか?」
「そういうわけでもないみたいだぜ。何せ、最近全く女も買ってないらしいし。まあ、もともとそんな買う方じゃなかったけど。」
「へえ、意外に義理堅いんだなあ。っと、こんなこと聞かれたらやばいな。」
 …聞こえてる、阿呆。
 椅子に埋もれるように座ったまま、口の中で呟く。
 まったく、どこから聞きつけてくるやら。うるさい連中だ。
 そういえば、このところあいつを見ていない。
 目を閉じれば、あの射抜くようなスミレ色の瞳も、さらさらと香る赤い髪も、しっとりとした白い肌もありありと浮かんでくる。
 また強がって、一人で何もかも背負い込んでいないだろうな。また自分のことなど後回しにして、体に傷を増やしていないだろうな。
 体をもてあましても、他の女に触れる気など起きない。
 他の誰かにわたすつもりはさらさらない。
 ふとした弾みに出てしまう弱さを、他の誰にも見せてやるつもりもない。
 あの鮮やかな赤い髪に、柔らかな頬に…触れたい。
「……」
 でも、あいつは頑固だから。
 今もきっと、自分の我儘で任務をおろそかにすることなど到底できないと思っているだろう。
 それならば…
 アルベルは軽鎧の止め具を締めなおし、クリムゾン・ヘイトを掴むと足早に部屋を出た。
 門番が行き先を尋ねるのに対して適当に返事し、かまわずに夜のグラナ丘陵へと踏み出す。
 アルベルは先程見たリストにあった魔物の、それぞれのデータを順に思い起こす。
 …あの阿呆のことだ。
 これだけの数の魔物がいたら、絶対に自分で出てくる。
 こいつらが施術が効きにくいなどということは考えずに。
 二つに結った長い髪が、夜風になびいた。


 このところ、任務に追われてゆっくりする暇もない。
 今日はアリアス、今日はシランド、今日はまた別の街、といった具合だ。
 何しろあの戦争のあとぐっと人が減ってしまった上、創造主とやらとの戦いのため、かなり長いことクリムゾンブレイドとしての仕事を放り出していたのだ。女王の了解も得ていたし、クレアたちも快く不在の間のことを引き受けてくれたが、その恩は、働いて返すしかない。
「魔物が現れたって、どこにだい?」
 久しぶりに訪れたアリアスの領主屋敷の広間に広げられた地図の一部を部下が示し、クレアが頷いた。
「大丈夫よ。そこはアーリグリフ軍の駐屯地のすぐ側だから。幸い付近に人は住んでいないし、任せましょう。」
「うん…そうだね。」
 言いながら、提出された報告書に視線を走らせる。
 それには目撃された魔物の種類が並べられている。
「それでは、こちらとは別件の魔物の出現に関してですが…」
 それも束の間、すぐに視線を外して次の報告書を手にとった。
 一連の打ち合わせを終えた頃には、もう夜も更けていた。
「ネル、今日は泊まっていくでしょう?」
「ん…いや、今日はすぐ戻らないといけないから。」
「あらそうなの?じゃあ、ファリンやタイネーブは…」
「あ、いいんだ、私一人で。」
 曖昧に答えるネルの顔を覗き込むように、クレアが小首をかしげる。
「…ねえ、ネル。」
「なに?」
「寂しくないの?」
「…何が?」
「最近、会ってないんでしょう?」
「……」
 どこかいたずらっぽい鳶色の瞳に、微笑んでみせた。
「別に、寂しいなんて…そんなことないよ。」
「会いに行けばいいのに。」
 クレアの微笑に対して、一瞬棘に突かれたような表情を見せ、ネルは「それじゃ、またね。」と言って屋敷を出て行った。
 それを見送ったクレアは肩をすくめて困ったように笑った。
 寂しくない?
 …ちょっとだけ。
 嘘。
 会いたい。
 頬に触れるあの無骨なのに温かい掌の感触は、忘れたことがない。
 女王の優しい真紅の瞳を見ると、同じ色をした別の瞳を思い出してしまい、はっとして視線を反らしてしまうことがある。
 あの心の奥底までを見透かすような真紅の瞳には今、何が映っているのだろう。
 自分の影は残っているのだろうか…。
「……」
 でも、自分たちにはやるべきことがあるから。
 それをおろそかにしてまで、自分の我儘を押し通したくないから。
 きっとそれは、あいつもわかっている。
 だから…
 ネルは小さく首を横に振り、先程垣間見た報告書にあった魔物に関するデータを頭に呼び出す。
 ネルの頭の中には、己の知る限りの魔物の情報が列挙されていく。
 …あいつのことだ。
 これだけの数の魔物がいたら、絶対に自分で出てくる。
 こいつらを相手に接近戦は不利だなどということは考えずに。
 ネルの姿は間もなく夜の闇へと消えた。



 その山を目の前にして、ネルは呆気にとられていた。
 アーリグリフとの国境近辺に現れた魔物の討伐のため、現場へやって来た。
 この辺りにはわずかながら人も住んでいる。
 それがシーハーツ人であれアーリグリフ人であれ、同じ人間である限り、魔物から守らねばならない。
 それに、聞けばかなり強力な魔物たちだと言うではないか。
 部下たちを危険な目に遭わせる前に仕留めねば、と思って来たのだが…
 ネルの前に聳えるのは、魔物の屍の山だった。
「うわあ、壮観ですねえ。」
 ファリンが感心したように山を見上げる。
「すごいですね。どれも皆、一撃で斬り殺されています。アーリグリフ軍が倒してくれたのでしょうか。」
 魔物の屍を調べながら言うのはタイネーブだ。
 ネルも魔物の屍を確かめながら、報告書にあった魔物のデータを思い起こしていた。
 いずれも施術を吸収してしまったり、跳ね返してしまう魔物たちばかりだ。施術をメインに戦う自分たちにとってあまり得意な敵ではないが、やらなくてはならないと思っていた。
 魔物の屍に残された太刀筋に触れた指が、止まる。
「あれ?ネルさまぁ、何を笑ってらっしゃるんですかあ?」
「…いや、なんでもないよ。」
「そうですか?いやに嬉しそうですよ。」
 …あいつだ。
 私には、わかるよ。
 ここに残っているのは、全部あいつの…
「そうかい?…うん、そうだね。嬉しいね。」
 ネルは大木にまで刻みつけられた刃の痕に、そっと額をつけた。


 まるで災害が通り過ぎたようなあとに、漆黒の騎士たちは言葉を失っていた。
 あたり一面、黒焦げになって未だ煙をくすぶらせているものや、砕け散った魔物の屍が転がっているのだ。
 その焼け野原のような現場を、アルベルは歩いていた。
 シーハーツとの国境に程近いここに魔物が現れたと報告を受け、出張って来たのだ。それもかなりの数で、強力なものだと。
 創造主との戦い以来、なかなか強い敵と戦う機会がなかったアルベルは、他の件は部下に任せ、自らこの場にやってきたのだ。
 そして到着してみれば、この有様である。
「これは…施術ですね。シーハーツが動いたのでしょうか。」
 落雷の痕や、凍りついたまま粉々に砕けた魔物の屍を見れば、それが天災でないことは一目瞭然だ。
 アルベルは黙って魔物の屍を見回す。
 黒焦げになっていたり粉々になっていても、かろうじてその種類は判別できた。
 あのときの報告どおり、こいつらは接近すると毒を噴きかけてきたり、自爆したりする連中だ。
 そんな連中が、施術によって一掃されている。
 それも、雷や氷の術によって。
「…あの阿呆。」
「何か?」
「なんでもねえ。」
「は…」
 部下たちは、思わず返事を忘れてしまった。
 彼らは、確かに見た。
 歪みのアルベルの口元に、笑みが浮かんでいたのを。
 その刃物のような真紅の瞳に、温かく揺れる柔らかな光を。
「…帰るぞ。」
 未だに凍りついた岩肌を、そっと撫でた。



 たとえ会えなくたって、触れられなくたって、大丈夫。
 だって、同じ空の下で、同じ大地の上で、同じ空気を吸っているから。
 いつだって、互いのことを忘れないでいるから。
 どれだけ離れていたって、心は側にいるから。
 だから、大丈夫。
 もう少し、待っていられる。
 その想いが重なっている限り、きっとまた、逢えるから。


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