星の船の中は、未開惑星と位置付けられる世界の人間にとって、摩訶不思議なもので満ち溢れている。 フェイトたちにとってはごく当たり前のものでも、アルベルとネルにとっては生まれて初めて見るものばかりだ。 テレビも、そんなものの一つだった。 部屋にはスイッチひとつで空中に浮かび上がる画面があり、全宇宙向けの放送からビデオまで、いろいろと見られるようになっている。 近くの惑星で流している現地の放送があれば、それにチャンネルを合わせて見ることもできるのだが、今いるのはエリクールのはるか上空のため、そんな放送は当然のごとく存在しない。 ネルが部屋に戻ってくると、静かなはずの室内が、様々に姿を変える光と音とで騒然としていた。 奥へ入ってみると、ソファーに腰掛けて手元の小さな機械をいじりまわすアルベルの前に浮かぶ光る画面が、めまぐるしく映る絵を変えている。 「これ、てれび…って言うんだっけ。何やってんだい?」 「さっき間違えて、りもこんとかいう奴のスイッチ押しちまった。消し方がわからん。」 ふーん、と応えながら、画面を見る。 初めてこれを見たときは、空中に浮かび上がった動く絵や小さな人間に、腰を抜かすほど驚いた。 最初は人間が閉じ込められてしまったのだと思い、手で触ろうとしたり、向こう側を覗いてみたりしたものだ。 テレビどころか写真さえない世界に生きる人間なのだから、当然の反応だろう。 それは絵が動いているのだと言われて、一応納得することにしたのは、どうせ詳しいことを説明されてもネルには理解不能だからだった。 アルベルが何かを押すたびに、浮かび上がっている絵が変わっていく。 かわいらしい少女が歌っているかと思えば、男女が寄り添って何か囁いていて、また画面が変わると何人もの男が囲いの中で小さなボールを追い掛け回していたり、生真面目そうな男女が淡々と何かを伝えていたり。 「別に無理に消すことないじゃないか。どうせ星の船にいる限り暇なんだし、何か見てみれば?」 「ああ?」 あまり乗り気でなさそうな男の手から小さなリモコンを取り上げて隣に腰を下ろし、適当に押してみる。 しかし機械5の人間が小さくても機械と呼ばれる物体に触ると、ろくなことがないらしい。 それまでの画像が消え、青い画面にいくつかの文字らしき記号が箇条書きに並んだ。 「……何これ。」 「俺に聞くな。」 ビデオに切り替えられ、タイトル選択画面に移ったことなど知る由もないネルは、別のスイッチをいくつか押してみる。 すると箇条書きのうちのどれかが選択されたのか色が変わり、画面が切り替わった。 宙に浮かぶ画面に岩に打ち寄せる荒波が映し出され、仰々しい音楽とともに何か記号のようなものが出る。 やがて画面が変わり、何やら郷愁漂う音楽を背景に、フェイトたちの世界から見ればやたらと古臭い、ある意味アルベルとネルの世界に近いような雰囲気の家が映り、暖簾をかきわけて帽子に腹巻に大きなトランクという妙な出で立ちの男が入ってくると、家の中にいた人々が驚きをもって出迎える。 これは何かの続きものだろうか。 人間関係がさっぱりわからず、おもしろくない。 他に何かやっていないかと、また別のスイッチを押す。 今度は人間ではなく、かわいらしい絵が動く画面になった。しかしやたらロリっぽい少女が変身して戦っていても、どうにも全く興味が持てない。 かちゃかちゃと、適当にスイッチを押してみる。 その直後、部屋の中に女のあられもない声が響きわたったではないか。 「うわっ!?」 ネルは大慌てで別のスイッチを押すが、画面は消えてくれず、かえって音が大きくなったり明るさが変わったり。 「……っっ」 必死に押しまくっているうちに、ようやく別の絵に変わってくれたときには、ネル一人を台風が直撃したかのような状態だった。 胸郭の中でめちゃくちゃに跳ね跳ぶ心臓に息を弾ませ、顔を髪に負けないくらいに真っ赤にしたネルの隣で、頬杖をついていたアルベルが意地悪い笑みを浮かべる。 「何を動揺しまくってんだ?」 その声が震えているのは、笑いをこらえているからだ。 「…こ、この大バカっ!!」 悔しさと恥ずかしさで、無駄に力いっぱいどつく。 なんでこんなものが映るのだ。 あんな公序良俗に反するものを、堂々と見られるようになっているなんて。しかもよりによって、こいつと一緒にいるときに出てきてしまうなんて。 きっとクリフのせいだ。 もとはあいつの船なのだから、犯人はあいつに違いない。 ひどい責任転嫁だが、実は本当にクリフ秘蔵映像だなどということは、知る由もない。 しかもプロテクトをかけて簡単には見られないようにしてあったものなのに、超弩級機械音痴が偶然プロテクトを突破して見てしまったなどとは、さらに知る由もない。 激しい動揺を抑えながら、大きく息を吸って吐いて、ようやく落ち着くことができた。 そして改めて画面に顔を向けると、かわいらしい絵が映し出されていた。 まるで絵本の絵がそのまま動いているような雰囲気を見る限り、今度は無害そうだ。 下手に触ってまたあの画像が出てはたまらないので、リモコンを横に押しやってそのまま見ることにした。 貧しそうな少年と大きな犬が、牛乳を積んだ荷車を引いて寄り添って歩いている。 一人と一匹は何やら世間から冷たくあたられているようで、見ているとだんだんかわいそうになってきた。 絵を描いているようだが、それも評価してもらえないらしい。 おまけに放火の疑いまでかけられ、仕事も失って… 見ているうちに、ネルは涙が出そうになってきた。 そしてさながらアーリグリフにいるかのごとく寒そうな夜、少年と犬は聖堂らしき建物に入り、静かに横たわり… 『疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ…』 そっと目を閉じる。 やがて天から光が差し、少年と犬は翼の生えた人間たちに連れられて、空へと昇って… 「……っ」 なんなのだ、この全く救いのない哀れな話は。 熱くなった目頭を押さえながら、こいつにはさぞ退屈だっただろうと、隣をちらと見る。 …と、隣にいた男は下を向いていた。 ああ、寝ちゃったんだ。 そう思って顔を戻そうとしたが、その肩が震えているのに気づいた。 「…?」 何かと思って顔を覗き込もうとすると、すさまじい勢いで顔を背ける。 その様子があまりにも不審で… 「…ちょっと、こっち向きなよ。」 「……」 返事がない。 普段なら、うるせえだの何だの言うはずだ。 「ちょっと。」 「……」 意地でも顔を見られないように、手で顔を隠してまで向こうを向いている。 怪しい。 まさか… 「こっち向きな!」 肩を掴んでも、断固拒否の姿勢だ。 こうなったら… 「こっち向きなってば。」 その肩に手をかけ、暗褐色と金の髪を指先でかき分け、耳元に息を吹きかけた。 「…っ!」 飛び上がるように、思わずこちらに振り向く。 ふふふ、あんたが実は耳が弱いってのは、知ってるん… 勝ち誇った笑みを浮かべようとしたネルの顔が、中途半端な表情のまま凍りついた。 弾みでうっかり振り返ったアルベルの両目が、真紅の瞳の周りの白目の部分が… 赤かった。 そして、潤んでいた。 「……」 「……」 互いに石化したかのように、異様な沈黙が続く。 空気さえも固まってしまったかのような中、先に石化が解けたのはアルベルだった。 慌てて手の甲で目元を拭い、ぷいと向こうを向く。 我に返ったネルも、何を言っていいやら思いつかなかった。 「…笑いたけりゃ笑えよ。」 ふて腐ったような声がする。 「…いや、笑わないよ…でも、ちょっとびっくりした…」 実際、ちょっとどころではなかったが。 まさかアルベルが、泣きそうになっていたなんて。 いや、下を向いていたところを見ると、泣いていたかもしれない。 「ほんとに笑わないからさ、こっち向きなよ。」 「……」 「いいじゃないか、あんたが泣いたって。」 「泣いてねーよ!!」 ぐると振り向いて怒鳴るが、その目元にはまだ赤みが残っている。 「あー、はいはい。」 思わず肩をすくめて笑うと、 「やっぱ笑ってんじゃねえか。」 拗ねたようにまた向こうを向いてしまった。 「いや、おかしくて笑ったんじゃないよ。」 なんだか子供を相手にしているようだ。 図体ばかり大きくなって、この男にはこういうところがある。 だから放っておけないということもあるのだが。 このままでは堂々巡りな気がして、ネルは少し方向を変えようと、 「あんた、犬好きなのかい?」 今の話は、少年と犬の悲しい物語だった。 凍死した姿に、故国の状況を思い起こしたのかとも思ったが、そんなものは日常茶飯事だったというアーリグリフにいたアルベルが、いちいち涙するはずはあるまい。 それでも思わず涙を誘われたなら、その理由は一つしかない。 じっと答えを待っていると、ややあってからぼそりと呟いた。 「…ガキの頃、飼ってた。」 「どんな犬?」 「雑種だ。オヤジが拾ったとか言ってたな。物心ついたときには、もういた。」 「そうなんだ…」 歪のアルベルといえども、そんな幼少の頃から歪んでいたわけではないだろう。 よちよち歩きの幼児と、それを守るように一緒に歩く犬の姿が想像される。 それはきっと、先程まで見ていた絵とそっくりな光景で…最期の場面が、自分が飼っていた犬との別れの記憶に重なったのだろう。 それは、先程までの拗ねた顔とは違ってどこか遠くを見つめるような、懐かしげな真紅の瞳からもわかった。 「なんて名前だったんだい?」 「タマ。」 「……それって、猫の名前じゃないのかい?」 「知るか、オヤジが名前つけたんだ。」 「そ、そう…」 思わずソファーからずり落ちそうになったのを、かろうじて踏みとどまる。 何となく話には聞いていたが、グラオ・ノックスという人は、息子とは別の意味でかなり歪んでいた気がする。 幼い頃の愛犬のことを思い出しているのか、アルベルの横顔が柔らかい。 そんな顔を見ていると、不思議とこちらまで嬉しくなってくる。 「あんたのことだ。きっとその子とあちこち探検しまくったんだろう?」 「…まあな。アーリグリフからアリアスくらいまでは行ったことがある。」 「え?そんな遠くまで!?」 大人にとっても遠い距離なのに、子供にとってはとんでもない冒険どころか、家出レベルではないか。 「かなりでかい犬だったからな。ルム代わりに乗って動いてた。」 「…あんたの子供時代が目に浮かぶよ。」 わんぱくないたずら小僧を思い浮かべて、噴き出しそうになるのをこらえる。 自分のことばかり話していたことに気づいたのか、アルベルがふいに口をつぐんでこちらを見る。 俺ばかりにしゃべらせるなということだろう。 元々自分のことを話すのが嫌いなのに、思わず饒舌になったのは、タマという犬のせいか、それとも相手がネルだったからか。 それと察して、肩をすくめながら、 「残念ながら、私は犬は飼ったことないんだよね。」 ふうん、と言うでもなく適当な相槌を打ちながら、どことなく寂しげな影が真紅の瞳に過ぎったのを見るや、ネルは慌てて取り繕う。 「猫がいたからね。小さい頃、犬も欲しいって言ったら、喧嘩したらかわいそうだからって父に断られたのさ。」 「そうか。」 たいして興味もなさそうだが、どことなくわざとらしく感じる返事をしたアルベルの瞳から、先程の影は消えていた。 ああ、こいつは本当に犬が好きなんだね。 「でも、あんたが犬好きだなんて意外だったよ。」 「好きだなんて言ってねえ。」 この意地っぱり。 ネルはわざと眉を寄せ、 「そりゃ困ったねえ。」 「…何がだ。」 何のことやら、と不審そうな顔をするアルベルの肩によりかかり、上目遣いに見上げる。 「いつか犬を飼いたいと思ってるから、あんたが犬嫌いだと困るのさ。」 真紅の瞳がわずかに見開かれ、揺れる。 まるで自分の表情を見られまいとするかのように視線をはずしながら、 「…嫌いだとも言ってねえだろ。」 必要以上にぶっきらぼうに言う。 本当に、意地っぱり。 「そう、ならよかった。」 精一杯意地悪い笑みを浮かべると、不貞腐れたような顔をしているのがおもしろくて、ネルは笑いを引っ込めずにいた。 それがさらにおもしろくないらしく、 「…いつまで笑ってやがる。」 「さあ?」 精一杯意地悪く応えると、ネルの肩にかかった指が滑って何やら怪しい動きをする。 くすぐったさに身をよじり、 「何してんのさ。またさっきの絵を出すよ。」 「ほう、てめえにできんのか?またあの絵が出たって知らねえぞ?」 「…っ!」 アルベルが指した「あの絵」が何だか察したと同時に瞬時に顔中に血を昇らせた瞬間、立場が逆転した。 「なっ、なんのことさ!」 「わからなけりゃ、再現してやるよ。」 「うわっ、やめないかっ!」 慌ててリモコンに手を伸ばすが、先に奪われて遠くに放り投げられる。 「再現決定。」 「なっ、か、勝手に決めるんじゃないよ、大バカっ!!」 投げられたリモコンが落ちた弾みでスイッチが押されたらしく、偶然またあの少年と犬の物語が映ったのだが時既に遅し。 もはや眼中にないアルベルと、それどころではないネルに完全に無視された状態で、物語に反して明るい主題歌が虚しく流れていた。 |