ロザリアがアーリグリフ王妃となると聞いたとき、思わず素っ頓狂な声を上げてしまったほど驚いた。 ついこの間まで、戦争をしていた国の国王が相手なのだ。 しかもロザリアは、シーハーツとアーリグリフが戦争を始めるずっと前からアルゼイに思いを寄せてきたという。 戦争という嵐にも吹き消されなかったロザリアの恋心は、そういったものとは自ら距離を置いて生きてきたネルにとって、驚異でもあった。 その話を聞いたとき、もちろん不安が先に立った。 それでも結婚を控えた友人に向かって、そんなことを言えるはずもない。 「おめでとう、ロザリア。」 「ありがとう、ネル。あなたに祝ってもらえるかが一番不安だったのよ。」 「どうしてだい?」 「だってあなた、生真面目だから…」 ロザリアの言いたいことはわかっている。 ネルは精一杯の笑顔を浮かべ、 「ロザリアのその顔を見れば、どれだけ幸せかってわかるよ。だからおめでとうって言うのは当たり前さ。」 嬉しそうに微笑んだロザリアの笑顔が眩しかった。 戦争にも恋敵にも打ち勝った、勝利者の笑顔だ。 勝利は自信をも与えたのか、誇らしささえ感じられる。 「ロザリアは、本当に王が好きなんだね。」 「ええ。初めて遭ったあのときから、ずっとずっと夢見ていたもの。でもまさか、あのおにいさんが王様になっちゃうなんて思ってなかったけど。」 ころころと笑うロザリアにつられて、ネルも笑った。 アーリグリフの王である男には、戦争のせいもあってネルはどうしてもいい印象を抱けない。 それでも、王という肩書きをはずしたアルゼイという男は、好人物なのだろうと思える。 それはロザリアやエレナを見ればわかろうというものだ。 初めて会ったその日から、ずっと妻になることを夢見ることができるような男… それほどまでに想いを深く刻みつけられるような出会い… それは一体、どういうものなのだろうか。 隠密として、心ときめかせることさえ己に許さなかった少女時代をすごしたネルにはわからなかった。 わからなくてもいいと思っていた。 「ねえ、フェイトに初めて会ったときは、どんなだったんだい?」 女性陣で食事の後片付けをしていたとき、ふいにそんなことを聞いてきたネルを、ソフィアが丸い目をさらに丸くして見返した。 その視線にネルは慌てて、 「え、いや、変なこと聞いてごめん…忘れて。」 取り消したが、手遅れだった。 ソフィアは両目をきらきらと輝かせている。 しまった、薮蛇だった… 乙女モードのスイッチが入ってしまったソフィアは皿を洗いかごへ放り出し、 「それはもう、白馬に乗った王子様が現れたような…」 言いかけて、がくりと肩を落とす。 「…出会いじゃなかったです…。」 何しろソフィアが初めてフェイトに会ったのは、赤ん坊の頃だったのだ。物心ついたときには既に側にいた。 出会いなどという瞬間は存在しないに等しいのだ。 「だから、なんか物足りなくて…なんていうかこう、運命的な瞬間とか、衝撃とかがないんですよ!」 「ずっと一緒にいることが当然な関係なのは、羨ましいことじゃないのかしら?」 食器を拭いていたマリアが言う。 もし遺伝子改造などということがなければ、そこにマリアも加わって、三人で楽しく育っていたことだろう。 本来そこにいるべき資格を持っていたのに、運命のいたずらによって一人弾き出されてしまった。 「でも当たり前すぎて、なんだか妹扱いされちゃうんですよ…。マリアさんみたいに、ある日突然目の前に下り立った同じ運命を背負った女の子、ていう方がはるかにインパクト大ですもん!」 「そんなものかしら。」 「そうです!」 ぷう、と頬を膨らませてマリアを睨みつけている。 そんなソフィアを無視して、マリアはくすくすと笑いながら傍らのミラージュに振った。 「ミラージュとクリフの出会いは、面白かったのよね?」 「ええ。父の道場にひょろひょろした子が入門してきたのを見て、怪我をしないかと心配しました。だから鍛えてあげようと思ったんですよ。」 「ひょろひょろ!?」 「あの筋肉魔人なクリフさんが!?」 にっこりと微笑むミラージュの周りに衝撃が波紋となって広がる。 「私も写真を見せてもらうまでは、とても信じられなかったわ。」 「想像もつかないね…」 「私もその写真見たいですー!」 「今度ディプロに乗ったときにでも見せてあげますよ。」 ひょろひょろだったというクリフは想像がつかなくても、九歳も下の女の子にこてんぱんにされるクリフの姿は何故か違和感なく想像できたりした。 ひとしきり笑ったあと、ソフィアがぐるりとネルのほうへ顔を向ける。 「どうしていきなりそんなこと聞いてきたんですか?」 今の騒ぎで忘れてくれたかと思いきや、そうはいかなかった。 「いや…その、ロザリアから、アーリグリフ王との出会いの話を聞いたりしたから、さ…」 「そうなんですかー…」 ソフィアがじっとネルの顔を覗き込んでくる。 「な、何さその目は。」 「いーえー。ロザリアさんとアルゼイさんの出会いなんて、きっとロマンチックだったんだろうなーって。」 「ああ、うん。偶然出会った優しいおにいさんが実は隣国の王家の人間だったなんて、ソフィアが好きそうなシチュエーションだよね。」 「ほんと、素敵です憧れちゃいます!…で、ネルさんは好きじゃないんですか?」 「え…?」 いきなり切り込まれ、思わず言葉に詰まる。 「うん、私はそういうのには縁がなかったから…」 「ふーん…」 探るようなソフィアから視線をはずす。 そうだ。 自分には似つかわしくない。 そんな話とは無縁なのだから。 だって… 開け放した窓辺に頬杖をついて、ぼんやりと宿の外を眺めていた。 空一面を覆った白く分厚い雲は、今にも雪が落ちてきそうに寒々しい。 むしろ雪が止んでいる今のほうが珍しいようなアーリグリフの空を、見るでもなく見ている。 と、背後から腕が伸びてきて、ばたん、と窓を閉められた。 「寒い。」 緩慢な動作で見上げるまでもなく、その横柄な腕の主はわかっていた。 そんな格好をしているから寒いんだ、と思わず言いたくなるような露出っぷりの男、アルベルがいる。 もはや人の部屋に何をしに来たなどと聞くのも無駄なまでに、我が物顔でソファーへ移動している。 ネルはアルベルが座ったソファーの背もたれに寄りかかるように腰掛け、 「ねえ、あんたは私のこと、いつ知った?」 「あ?」 何を言い出すやら、と顔を上げる。 そして記憶を辿るように首をかしげてから、 「…いつなんて言われたって、シーハーツのクリムゾンブレイドっつったらそっちの名物だからな。でも今のそれが両方とも女だって知ったのは、それほど昔の話じゃねえな。」 「…そうだろうね。」 ごくごくかすかな、溜息が漏れる。 「何度かてめえらしき影を見たと思っていたが…こうやって実物を見たら、納得がいった。」 「納得って?」 「やけにはっきりとてめえが来たってわかるような痕跡があったり、わざとらしくちらちら姿を見せてたことがあったが…あれは偽装や偽者だった。初めて本物のてめえを見たのは、修練場だったってことだ。」 「…よくわかったね。」 「わからねえと思うか阿呆。」 真紅の瞳に見上げられ、胸の奥を針で刺されたような痛みが走る。 あのときは、こちらがアルベルを見上げていた。 ありったけの怒りと憎しみをこめて…。 「私も…」 あのときの光景が、瞼の裏に甦る。 痛みを伴って。 「あんたを初めて見たのは、修練場だったよ…」 胸の奥の奥、はるか奥底に亀裂が走るような痛みに、表情が歪む。 あのときは、敵だった。 攻め込むアーリグリフと、防衛するシーハーツ。 互いに必死だった。 だからネルは、グリーテンの技術者だと思っていたフェイトとクリフを冷たい牢から助け出し、その途中でタイネーブとファリンがアーリグリフに捕えられ…彼女たちを救うために、単身カルサア修練場へ乗り込んだのだ。 そこで、出会った。 途中でフェイトとクリフが合流したとはいえ、シェルビーたちと戦い、疲れて傷を負った自分たちの前に現れたアルベル。 その独特の風貌は、聞き知っていた。 何故実際に見たことがなかったかと言うと、誰もこの男に近づけなかったからだ。 そんな男を目の前にしたとき…殺されると思った。 もしこのアルベルが噂されていたように、弱者でさえ問答無用で叩き潰すような男であったら、殺されていた。 しかし、そうはならなかった。 真に強い者を求めるこの男のプライドに助けられた。 確かに好戦的には違いないのだが、そんなところまでは誰も知らなかった。知ろうとも思わなかったのだろうし、本人も知ってもらおうと思っていなかっただろう。 それでも… もし、あのとき戦争が終わっていなかったら。 星の船が襲撃してこなかったら。 この空の彼方に、はるか広大な世界が広がっていると知らなかったら… 「ねえ…」 「なんだ。」 「私のこと…憎かったかい?」 「いや全く。」 あっさりと答えが返ってくる。 「てめえこそ、俺を殺しても飽き足りないほど憎んでただろうが。」 「…っ」 平気な顔でさらりと言われるだけ、胸の奥深くの痛みが増す。 「もしあのまま戦争が続いてたら…やっぱり私ら、戦ってたかな。」 クリムゾンブレイドと、漆黒騎士団団長だ。 激突しないはずがない。 「だろうな。」 またもやあっさりと答えが返ってくる。 適当な言葉を選んでお茶を濁そうという考えは、全くない。 それでもネルの思いは、アルベルに通じているようだった。 背もたれに腰掛けたネルの腰に、腕がまわされる。 「…最悪だな。」 アルベルが自嘲するように鼻で笑った。 それにつられるように、ネルも強張った笑みを浮かべた。 「…最悪だね。」 本当に最悪な出会いだ。 殺るか殺られるかの瀬戸際での、出会い。 ソフィアがうっとりと目を輝かせて夢見るような甘さは、かけらもない。 何がどうなって今に至っているのかさえ、わからない。 ネルだって、夢見ないわけではない。 もし戦争が起こっていなかったら。 平和な世界で出会えていたら、と…。 「…!?」 腰掛けていたネルの体がぐいと引っ張られ、アルベルの膝の上に落ちる。 不意打ちに驚いて顔を上げると、不敵な笑みを浮かべる真紅の瞳にぶつかった。 「まあ、そのほうが俺ららしいんじゃねえか?」 「え…?」 「ありきたりの遭遇じゃ、つまんねーだろ。むしろこれくらいの方がインパクトがあっていい。」 呆気にとられたように、目の前の男を見つめる。 インパクト? 一触即発の、あの遭遇が? 「でも私、あんたを殺してやろうと…」 「実際殺してねーんだから、関係ねえだろ。やってもいねえことを、ぐだぐだ後悔してどうする。」 「…!」 そうだ。 確かに一度、ベクレル鉱山で戦った。 それでもネルはアルベルを殺さなかったし、アルベルもネルを殺さなかった。 二人とも、生きていた。 生きて今、ここにいる。 確かにあのとき、命がけで戦った。 倒さなければならない相手だった。 それなのに今、その腕に、胸にかけがえのない温もりを抱いている。 命をかけてぶつかり合ったからこそ、普通では見えない互いの奥深くにあるものに触れることができたのだ。 膝の上に抱えたネルの肩に顎を埋めて、いたずら小僧のように笑う。 …あのときてめえをぶった斬らなくてよかった。 忍び笑いの中に、そんな声がかすかに聞こえた気がした。 「…いつか…笑って話せるようになるかな…」 「忘れなけりゃな。」 温かいアルベルの背中に、遠慮がちに腕をまわす。 「…忘れられるわけないじゃないか…うん…忘れちゃいけないんだ…」 人と人の出会いなど、千差万別だ。 過去は変えられないが、思い出にすることはできる。 自分たちの出会いを思い出にできるかどうかは、そのあとの自分たちにかかっている。 だから、過去に背を向けずに生きていこう。 いつの日か、皆に話せるように。 思い出として語れるように。 そのときはきっと、互いの国の人々に心からの笑顔が戻っていると信じて…。 |