夕食後のちょっとしたひと時。 誰もいなくなった夜の食堂に居座り、フェイト、ソフィア、マリア、クリフは雑談していた。 とりとめもない話から、今日の戦いの話になる。 「私、今日はいつもよりがんばって戦いましたから、けっこう強くなった気がします!」 ソフィアが笑いながらガッツポーズを見せる。 彼女の場合は強くなると言っても、腕力などが上がるというよりは、紋章術の使い方がうまくなって術の強さが増すということなのだが。 「そういや、褒めてくれるかな、とか言ってたっけか。」 「がんばった結果手応えを感じたなら、そんな消極的に呟いてないでもっと堂々としなさいよ。」 「どっかの誰かみたいに高笑いしてみれば?そうすればソフィアが強くなったってすぐわかるよ。」 「えー!」 四人の脳裏に、返り血を浴びた姿で形のよい唇をにっと歪めて笑う男の凶悪な笑い声が響いた。 「……」 「……」 微妙な寒さがその場を支配する。 「…それはやめといた方がいいわね。」 「そ、そうですね…」 乾いた笑いの後、ふとフェイトが呟いた。 「そういやあいつ、普通に笑ってるの見たことないな。」 「アルベルさん?クリエイションで珍しく成功して笑ってるの見たことあるよ。」 「うーん…あれも微妙だろ。」 「なんかおかしくて笑っちゃったりとかさ。」 「そうだねえ。クリフさんがバカなこと言っても、呆れた顔してるだけだだもんね。」 「いや、あれは誰だって呆れるよ。」 「おい!」 「顔はいいんだから、普通に笑えば素敵だと思うんだけどなあ。クリフさんと違って。」 「こら!!」 抗議するおっさんを無視して、フェイトは腕を組んで何か考え込んでいたと思うと、ぽつりと呟いた。 「…笑わせてみようか。」 「え?」 「アルベルをさ、普通に笑わせてみようって思わないか?」 「あ、おもしろそう!」 「ばかばかしいけど、ちょっと見てみたい気もするわね。」 「そうそう、笑わないのは精神上よくないですよ!アルベルさんのためにも、是非やらなくちゃ!」 「それって、余計なお世話って言うんじゃ…っ」 「じゃあまず、どうやって笑わせるかだけど。」 クリフの喉元に鉄パイプを突きつけたまま、突発企画の作戦会議へと移行する。 「アルベルさんにとって楽しいことを聞けばいいんだよね?」 「だめだよ。どうせ敵を倒すとかいって、また凶悪な高笑いするだけだから。」 「そうね。あの人の楽しみって言ったら、戦うこと以外思いつかないわ。」 「うーん…じゃあ、おいしいデザートとか。」 「でも好物が出たくらいじゃ、笑い出すほどのことはないし…」 「思わず笑っちゃうようなもの…」 「思いつかねえなあ。」 四人で額を付き合わせて唸っているところへ、ネルが通りすがった。 「あんたたち、いつまでもこんなところにいたら宿の人に迷惑…て、何企んでるんだい?」 「え?やだなあ、企むだなんて。ちょっとした相談ですよ。」 「なんの?」 「アルベルさんを普通に笑わせようって、方法を考えてるんです。」 「あいつをかい?難しそうだねえ。」 「なんかネタありません?」 いきなりそんなことを聞かれても。 それでもちょっと首をかしげて考えてから、 「…いや、思い付かないねえ…」 「そうですか…ネルさんでも思いつかないとなると、ますます難しいなあ。」 「悪いね。じゃあ、早く部屋に戻るんだよ。」 思い付いたらネタくださいねー、と言う言葉を背にその場を立ち去った。 確かに、あいつはどうすれば笑うのだろうか。 アルベルが笑うときは、その凶悪さは置いておいて、いつも独りだ。 皆で何かやって、話して、一緒に笑い合うことがない。 仲間たちがどれだけ楽しそうに何かしていても、常にその輪から外れている。 いつも独りで、自分なりの何かに満足したときにしか笑わない。 …寂しいね。 ふと、思った。 だからフェイトたちが彼を笑わせようとすることはいいかもしれない。 意識して独りでいようとしているあの男に、仲間が常にいるということを思い知らせてやれるいい機会かもしれない。 自分では方法が思い浮かばないけれど、何か考えついたらフェイトたちに教えてあげようと思った。 誰もいなくなったロビーのソファに埋もれ、じっと腕を組んだまま目を閉じているアルベルの前に、ソフィアがこっそりやってきた。 柱の影からしばし様子を伺う。 首にタオルをひっかけた風呂から出てきたままの姿で、転寝しているのだろうか、動かない。 抜き足差し足、音を立てないように近づいていくと、隠し持っていたねこじゃらしをアルベルの剥き出しの脇腹めがけてそっと伸ばす。 組んだ腕をかいくぐり、あと少し…というところで、真紅の瞳と目が合った。 射抜くような冷たい視線に、ねこじゃらしを持ったまま凍りつく。 「あ、あれ?」 「…何してやがる。」 「え、いや、その…ちょっとくすぐってみようかなーと…」 「斬るぞ。」 「はぎゃー!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」 ぶっ飛んで逃げ出したソフィアが投げ捨てて行ったねこじゃらしをつまみ、 「なんだありゃ…」 呆れたように呟いた。 命からがら部屋に飛び込んできたソフィアを見れば、結果は一目瞭然だった。 「不穏な気配を読まれたわね。」 「ここここ怖かったー!絶対寝てると思ったのにー!」 結局ろくな案が思いつかなかったため、それぞれが手を考えて実行してみようということになったのだ。 それでソフィアが「くすぐり作戦」に挑んだものの、未遂で失敗したというわけだ。 「よしゃ、俺にまかせときな!」 立ち上がったクリフが、自信満々掌に拳を打ち付ける。 「何をやるつもり?」 「ふっふっふ、それは笑い転げる奴を見ればわかることだぜ!」 意気揚々と出ていくクリフを見送り、フェイト、マリア、ソフィアは顔を見合わせた。 「…なんかろくなことを考えてない予感がするわ。」 「それも、すごくくだらない予感がします…」 「むしろアルベルに喧嘩売って、華麗に叩き斬られたあとに高笑いしてもらえる確立のほうが高そうだ…」 「笑ってもらえるほどの相手かしら。」 そんなひどいことを言われているとは知らないクリフは、まだロビーにいるアルベルのもとへやってきた。 先程のソフィアの襲撃から間もないクリフの妙ににこやかな登場に、アルベルは明らかに不審そうな眼差しを向けている。 「いよっ!」 「……」 あからさまに胡散臭い。 アルベルの冷たい視線を気にすることなく、後ろ手に隠し持っていたものをさっと前に出す。 「ブドウ、一粒どう?」 「いらん。」 「……」 「…いらんと言っている。」 「ブドウ、ひとつぶどう…だめ?」 「くどい。」 奇妙な沈黙が流れる。 しばし固まっていたクリフは気を取り直し、 「なあなあ、あとで食おうと思ってたプリン、知らねえ?」 「知らん。」 「そうか…プリンのことは知らんぷりん…なんつて。」 「……」 「……」 またも、痛い沈黙が流れる。 と言うかアルベルの視線がかなり痛い。 「ふ…ふふ…エリクール人には文明社会の高尚な言葉遊びが通じない、か…」 「……」 「じゃあこれでどうだ!布団が吹っ飛んだ!」 「……」 「ストーブがすっ飛ぶ!!」 「……」 「短大行ってどうしたんだい?駿台行ってどうすんだい!?」 「……」 「タワーがあったわー!仏像がぶつぞー!アルミ缶の上にあるみかん!干し芋が欲しいもん!妖怪に何か用かい!?電話に出んわ!墓地にぼちぼち行くぞ!貝は好きですかい!?これソース?そうっす!ジャイアン死んじゃいやーん!カレーはかれえ!ダオスをだおす!キールが木を切ーる!!」 怒涛のように連発する。 「うわはははは!おっかしーだろたまんねー!!…ん?どした?」 「……………」 「な、なんだその憐れむような目は!そんな目しちゃ、めっ!」 ぴしっ。 その場の空気が、凍りついた。 「だーっっ!!ディープフリーズかましてどうすんだっ!!」 「ぐおわ!!」 横合いからぶちかまされたリフレクトストライフで、駄洒落オヤジは強制退場となった。 「あ、危うく私たちまで凍るところだったわ!」 「アルベルさんがまだ凍ってますっ!」 「ほっとけっ!」 嵐のようにフェイトたちが撤収しても、まだアルベルは凍っていた。 「くそっ、俺の特選ギャグでも笑わないか!」 「いやあれは氷河期さえ招くって…」 「次はフェイトだよ。どうするの?」 「ふふふ、任せとけよ!このためにちゃんと下調べはしてあるんだから。」 いつもの一見爽やかな笑みをたたえ、親指をびしっと立てた。 ソファーに座ったまま呆然と凍りついていたアルベルの視界で、小さな茶色いものが蠢いた。 「…?」 はっと我に返ってそちらを見ると、どこから現れたのか、一匹の子犬がいた。 ここは宿の中だ。こんなところに子犬が入ってくるはずがない。 「なんでこんなところにいやがる?」 ぽわぽわとした綿毛に覆われた茶色い子犬は、無邪気にアルベルの足元へやってきた。 「……」 おもむろに伸ばされた長い腕にひょいと持ち上げられると、好奇心いっぱいの尻尾を振り始めた。 子犬にとっては、歪のアルベルだとかそんな名前は関係ない。 相対する人間に恐怖を与える鋭い真紅の瞳も、子犬にとってはどうということはなかったようだ。 ピンク色の舌を出し、小さな尻尾をせっせと振り続けている。 「どこから迷いこみやがったんだてめえは。」 話しかけられたのが嬉しかったのか、きゃん!と甲高い声で一声吠える。 真紅の瞳を黒い瞳でじっと見返していた子犬は、小さな舌でアルベルの鼻先をぺろと舐めた。 「ったく…宿の人間につまみ出されるぞ。」 小さな溜息を吐き、子犬を片手で抱えたまま階段を上がっていった。 「…あれ?」 「…笑わなかったわね。」 「やってることとか言ってることは確かに犬好きっぽいんですけど…」 「仏頂面で押し通しやがったな。」 壁に隠れて様子を伺っていたフェイトたちが、首をかしげる。 「本当に犬好きなんでしょうね?」 「ウォルターさんにも確認したんだから、間違いないはずだよ。」 「子犬もなついてたし、外に放り出さなかったから好きなんだと思うけど。」 「だったらちょっとくらい笑顔見せろよ!」 「部屋の中で笑ってたら怒るぞ!」 「…これは一応、失敗と考えていいのかしら。」 「うーん、皆の前で笑ってくれないとだめですもんねえ。」 「くそー…絶対いけると思ったのに!」 「まあ、おまえにしては珍しくまともな手だったけどな。」 「残るは私ね。」 マリアがきらりと碧の瞳を輝かせる。 「くすぐり、オヤジギャグ、子犬でもだめでしたけど、どうするんですか?」 「うふふ…これで笑わない人間はいないわ!」 ばん!とマリアが取り出したものは、キノコだった。 「それって…」 「このキノコを食べると、あまりのおいしさに誰もが笑い出すそうよ。だから私が手ずからキノコスープを作ってあげたのよ!」 「笑い出す…って、それワライダケとかじゃないの!?」 「毒キノコじゃないですか!」 「てゆかおまえの料理食ったら笑う以前に倒れるぞ!」 「仮に食べられるものができたとしても、そんなんで笑わせたら反則だって!」 「あなたたち、さっきから失礼よ!」 階下から銃声が聞こえた気がしたが、アルベルは気にせず自分の部屋の扉に手をかけた。 部屋に入りかけた足が、歩み寄ってきた人影を認めて立ち止まる。 「おや?あんたその子犬どうしたんだい?」 意外なものを持ったアルベルを見つめるのは、ネルだった。 「下で拾った。」 「はあ?」 「水持ってこい。」 「え?」 「こいつのだ。」 「あ、うん…」 わけがわからないまま台所から器を借りて水を満たし、アルベルの部屋へ戻る。 アルベルは非常食に持ち歩いている干し肉を子犬に与えていた。 細かく裂いた干し肉を、尻尾を振りながらぱくついている子犬の首根っこを、アルベルの長い指がぐりぐりと撫でている。 その様子からは、いつものとげとげしさが感じられない。 そんなアルベルを見ながら、ネルはふと気がついた。 もしかして、この子犬はフェイトたちがアルベルを笑わせようという計画によって差し向けられたのではないかと。 相手の感情に敏感な子犬は、自分を嫌う人間には近寄らない。その子犬が尻尾を振って甘えているのだから、心底かわいがっているのだろう。アルベルなりに。 しかし、アルベルは特に表情を変えていない。 何の表情も浮かべず、ひたすら子犬をかまっている。 …犬が好きなら、子犬と遊んでいるときくらい微笑んだっていいのに。 この様子では、きっとフェイトたちはアルベルの笑った顔など見られなかったであろう。 …なんであんたは笑わないの? 口を開きかけた瞬間、 「なんでてめえは笑わねえんだ?」 自分が言おうとした言葉を、別の声が言った。 ネルは一瞬わけがわからず、それがアルベルの声だと気づいたときには、声が裏返ってしまった。 「は?な、なにを…」 動揺を隠せないネルに対して、アルベルは相変わらず子犬をかまいながら続ける。 「いつも仏頂面しやがって。このちび見たって、笑いもしねえ。」 「え…」 それはそっくりそのまま、自分が言おうとしていたことだった。 まさか、自分がそのように言われるとは夢にも思っていなかった。 「私…笑わない、かい…?」 アルベルは自分の眉間をとんとんと叩き、 「しわ寄ってんぞ。」 「……」 自分の眉間に触れてみる。 思えば、いつも気を張っていた。 アーリグリフと戦争をしている間は、何をするにしても緊張し、必死だった。 そして創造主と戦っている今は、仲間たちを守ろうと気を張り詰めていた。 仲間たちが楽しく談笑している間も、敵の気配がないか常に気を配り、神出鬼没の敵がいつ現れても戦えるように身構えていた。 いつの間に、自分の顔から笑顔が消えていたのだろう。 全く気づかなかった。 そしてよりによってそのことを指摘したのが、アルベルだなんて… そう思った途端、おかしくなった。 「っ…」 思わず吹き出していた。 「ふふ…あはは…」 こんな感覚は、久しぶりだ。心の底から笑いがこみ上げてくる。 笑い出すネルに、アルベルが一瞬驚いたように切れ長の目を見開いた。 「なんだ笑えんじゃねえか、てめえ。」 「だって…皆、あんたを笑わせようと思って必死になってたのにさ…そんなあんたに、笑わないって自分が言われるとは思わなかったんだよ…」 「…なるほど、そういうことか。あいつら、さっきからわけのわかんねーことをやってると思ったら…」 呆れたように溜息を吐き、 「俺が笑うのなんざ見て、何が楽しいってんだ?」 「それは…ほら、仲間だから、さ…あんたとも楽しい時間を共有したいんだよ。」 「てめえもそうか?」 そう言ったアルベルの顔を見た瞬間、ネルは思わず頬が熱くなるのを感じた。 「…なんだよ。」 「い、いや、その…」 胸に当てた手に、高鳴る心臓の鼓動が伝わってくる。 言葉の意味より何より、その表情が、ネルを困惑させる。 …あんた、そんな顔するんだ… 今、確かに見た。 まるで少年のように、いたずらっぽい微笑。 「今、あんたが笑ったから…びっくりした…」 「は?」 きょとんとした顔をしたあと、その肩が震えた。 「っくく…」 干し肉を食べ終えた子犬も、アルベルを見上げる。 「く…ははは…!」 アルベルが、笑っていた。 さもおかしそうに、素直に笑う声。 敵を倒したときとは違う、邪気のない笑い声。 「阿呆!俺だっておかしけりゃ笑う…」 「ふふ…そっか、それもそうだよね…」 笑うアルベルを見ているうちに、ネルも自然と笑った。 互いに笑い合いながら、 「…ところで、その子どうすんだい?連れてくわけにいかないだろ。」 「どうせフェイトあたりがそこらからパクってきたんだろ。首輪つけてるから、飼い主に戻すさ。」 「じゃあ、手伝うよ。」 「はなからそのつもりだ。」 二人の間で、子犬は機嫌よく尻尾を振っていた。 「…笑ってるわね。」 「笑ってるね。」 「ネルさんも。」 「しかもめちゃめちゃ普通に。」 扉の前で聞き耳を立てていたフェイトたちは、一斉に肩を落とした。 「結局、笑わせたのって…ネルさん?」 「そうみたいね…」 「なんだよ、俺らがあれだけやっても、にやりともしなかったくせによ…」 四人がかりで完敗だった。 マリアは深く溜息を吐いてから気を取り直したように、 「せっかく作ったキノコスープ、もったいないからあなたたちにあげるわ。」 「え!」 「けっこういっぱいできたから、三人分は充分あるわよ。」 「ええっ!!」 「今よそってきてあげるわね。」 「えええっっ!!!」 その夜、宿ではいつまでも笑い声が絶えなかった。 「…なんか楽しそうだね。」 「どことなく悲痛な笑い声に聞こえるのは気のせいか。」 そう言った二人の顔には、自然な笑みが浮かんでいた。 「今度から素直に笑うようにしとけ。でないと、あいつらに何しかけられるかわかんねえぞ。」 「そうだね。あんたも気をつけなよ。」 でも少しだけ、アルベルのあの笑顔を自分だけが見られたということが、嬉しくもあった。 だからどうしてアルベルが笑ったのか、皆には悪いけれど内緒にしておこうと思う。 そんなことを思っていると、また自然と笑みが浮かんできた。 笑うことは、決して難しいことではない。 そこに想いを分かち合いたいと思える相手がいれば、自然とこぼれるものなのだ。 アルベルはまたきっと笑ってくれる。 そして自分も、笑える気がする。 だって、誰よりも想いを分かち合いたい相手がここにいるのだから。 |