僕が生まれた日



 一年を通して、雪と氷に閉ざされた町、ギヴァウェイ。
 人工的なエネルギーフィールドに覆われた世界だとは思えないほどに、美しい白銀の世界を織り成している。しかしその総てが凍りついた光景は、永久に歩むことをを止めたエナジーネーデの姿を象徴しているようにも思えた。
 旅の途中で立ち寄ったこの小さな町を、一行は休息と息抜きを兼ねてそれぞれ自由な時間を過ごしていた。
 吐く息が瞬く間に凍っていく中、町の中を一通り見終えたレナは、宿へと戻った。
 早く部屋へ戻って、何か温かいものでも飲もう。
 そう思って階段をあがっていくと、二階に作られた広間の片隅の椅子に、見慣れた姿を見つけた。
 長身を黒い衣装に包んだその青年の両肩には、赤と青の竜がいる。
 そんなシルエットを持つのは、エクスペルとエナジーネーデを探し回っても、一人しかいない。
「何してるの?アシュトン。」
「あ、レナ。」
 呼びかけると、人懐こい笑みを浮かべて本から顔を上げた。
 手にした本を覗き込むと、表紙を見せてくれた。
「星占いの本?」
「うん、ここに置いてあったから、暇つぶしに読んでたんだ。」
 レナは星占いに興味はあるかい?と聞かれ、苦笑でもって応えた。
 残念ながら、レナはあまり占いに興味はなかった。ただひたすら、勇者の伝説だけに心を奪われていたせいかもしれない。
 逆に、アシュトンは男にしては珍しく、占いが好きなようである。本人が言うには、あまりに運が悪すぎて、どんな占いをやろうと最悪の結果しか出ないので、なんとかいい結果を見たいものだと片っ端から占いをやってみているらしい。
 ちなみに、未だにいい結果が出たという話は聞いたことはない。
「レナは確か、牡牛座だったっけ。えーと…」
 戦闘用の銀色の小手をつけたままの手で、ページを繰っていく。
「…怖れずに、自分の気持ちをはっきりと伝えると、吉。だってさ。」
 意味ありげなアシュトンの笑みに、レナは思わず頬を赤らめる。クロードは…とページをめくろうとするアシュトンを、慌てて止めた。
「わ、私はともかく、アシュトンはどうだったの?いい結果出た?」
 アシュトンは、肩をすくめて首を横に振った。また悪い結果だったのだろうか。
 しかしアシュトンが浮かべた表情は、レナが予想していたものとは違った。いつも陽気で泣いたり笑ったり、ころころと表情を変えるアシュトンとは別人のような影がさしている。
「僕の誕生日、いつだったか教えたっけ。」
「えーと…九月二十八日の天秤座じゃなかった?」
「…それでいいのかな…」
「え?」
 アシュトンは、白く凍った窓の外に眼を馳せた。
 白い結晶ごしに、白い町並みがうっすらと見える。
「…今の僕は、こいつらと一体化してるんだ。だから、今の僕は、昔の僕じゃない…」
 独り言のように呟く言葉を、レナは黙って聞いていた。
「ギョロとウルルンの生まれた日と、僕の生まれた日…今の僕は、いつ生まれたんだろうってさ…」
 レナは口を開きかけたが、言葉が出なかった。
 アシュトンは、魔物竜に取り憑かれただけでなく、二匹と一体化してしまった。彼ら三人は、一つの肉体を共有する運命共同体となっている。それは、何を意味するのか…?
 よほど妙な表情を浮かべていたのか、レナの顔を見たアシュトンが苦笑した。
「そんな顔しないでよ。僕が選んだ道なんだからさ。」
 そうなのだ。あのときサルバ坑道で、アシュトンはギョロとウルルンを祓うことができたはずなのに、あえてそれをしなかった。二匹とともに生きていくことを選んだのだ。
 アシュトンは本をテーブルの上に置き、静かに椅子を立った。
 立ち上がるとレナより頭一つ高いアシュトンの身長は、ギョロとウルルンの頭の高さまで入れると扉よりも高くなってしまう。そんなアシュトンが部屋へ去っていくのを、黙って見送ることしかできないのか。
 レナは小さく首を振って、そっと呼びかけた。
「…アシュトン…」
 アシュトンと、両肩の魔物竜が振り返る。
「ギョロとウルルンは、昔すぎていつ生まれたのかわからない。アシュトンは、九月二十八日に生まれた。」
「……」
「…今のアシュトンは、あのサルバ坑道で生まれたんだと思う。それじゃ、だめかな…?」
 アシュトンは、エメラルド色の瞳をいささか丸くしてレナを見た。
 自分が思っていた以上に深刻な苦悩を抱えた青年に対して、子供っぽいことしか言えない。レナは、自分が言ったことが少し恥ずかしく思えた。
 しかしアシュトンは、柔らかな笑みを浮かべ、
「じゃあ、僕の誕生日は七月三日だね。」
 嬉しそうだった。少なくとも、レナにはそう見えた。
 レナはほっとした自分の心を悟られないように、精一杯意地悪い顔を作り、
「じゃあ、アシュトンはまだ生まれたての赤ちゃんだから、お酒飲んじゃだめよ!」
「ええ!?そんなあ!」
 レナもアシュトンも、笑った。
 それは心の底からの笑いだったと思いたかった。
 きっとアシュトンは、これからレナたちの手の届かない遠い道を進んでいくことになるかもしれないのだ。
 レナは自分の笑顔が泣き笑いにならないうちに、部屋へ戻ろうとした。
 そして今度は、自分の背中にアシュトンの声が投げかけられた。
「…レナ、僕たちはこれからずっと、三つ目の誕生日を祝ってくよ。三人で、いつまでもずっと…。」
 扉に手をかけたレナは、唇がわななくのを押さえるのに必死だった。
「……三人じゃないわ、私たち皆で祝ってあげるんだから!」
 うまく平静を装えたかは、あまり自信がなかった。
 後ろ手に扉を閉めた背中に、アシュトンの声が聞こえた。
「…ありがとう…」
 窓の外に広がる白銀の世界は、熱い涙で溶けていった。


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