まるで鋼鉄の壁を叩いたような衝撃が腕に走る。 魔物の丸太のような腕が唸りを上げ、咄嗟に短刀でガードしたものの勢いよく跳ね上げられた。中空で猫のようにくるりと体を丸め、回転しながら落ちていく。しかし着地を心配する気持ちはなかった。眼下に、ひるがえる金と暗褐色の髪が見える。 背中をすいと折り曲げ、落ちてきたネルの体を背中で受け止めて後ろへ流す。ネルはアルベルの背中を転がるようにして、たいした衝撃も受けずに着地した。 「吹き飛べ!」 それを振り返りもせず、追いすがる敵に目にも留まらぬ刀の一閃から生まれる衝撃波を放ち、一瞬動きを止めた敵に向かってガントレットに覆われた左腕を突き出した。 「魔掌壁!」 地の底から湧きあがってくるような恐ろしささえ感じさせるオーラの獄に、敵が囚われる。軽く体を開いたアルベルの脇をかすめるように、その背後から施力で生み出された氷のクナイが飛び、敵の巨体を凍結させる。その隙を逃さず、アルベルが渾身の一刀を見舞った。 氷のきらめきとともに砕け散る魔物の破片を踏みしめ、次なる敵に向かう。 残る二体の敵は素早いものの、風属性に弱いことを知っている。 左右から向かってくる敵の間合いに入る前に、弧を描くように衝撃が大地を砕く。 「邪魔なんだよ!!」 衝撃波に弾き飛ばされた敵の一方に素早く間合いを詰め、ガントレットの鋭いかぎ爪で引き裂く。 仰け反る敵をかぎ爪で殴り飛ばし、もう一体の敵に叩きつける。 二対の魔物が激突したちょうどそのとき、魔物の頭上で轟音が轟いた。 「サンダーストラック!!」 逃げる間もなく、容赦ない雷撃が襲い掛かる。 豪雷が消えていくとともに消し炭となった魔物も霧散したのを見届けると、それぞれの武器を鞘に収めた。 戦いが終わり、何かを言うわけでもない。 戦う前に互いに示し合わせるわけではない。 戦いの合間に視線をかわすことさえしない。 ただ、自然に体が動いている。 そうすると、うまくいく。 いつの間にか、あたりまえのことになっていた。 「ネルさん、今日の晩御飯、何にしましょうか。」 一緒に夕食当番になったソフィアと、市場をまわる。 「そうだねえ…」 市場に並ぶ食材の中、店主がその場でさばいている肉の塊が目に留まった。脳裏をかすめた人物が、それを食べたがっている気がする。 「ステーキでも焼こうか。あとはスープと、デザートに果物でもつけて。」 「そうしましょうか。ちょうどお肉の特売してるみたいですし。」 同意しながらも、ソフィアがくすくすと意味ありげに笑っている。 その笑顔の理由がなんとなく察せられるが、気にするまい。他にもこのメニューが好きな仲間はいるのだ。 頭の片隅で想像したとおり、これが大好物な男は気持ちがいいくらいに食べてくれた。 黙々と食べていても、わかる。 …もっと食べたいんだろう? 自分がお腹いっぱいになって食べきれなくなった肉の切れ端をそっと皿の上に移してやると、待っていたかのように食べる。 …ほら、わかったから早くその器をよこしな。 こちらも黙って手を差し出すと、空になったスープの皿を押しやってきた。それはもういらないからどけたわけではないと、わかっている。 スープのおかわりを多めによそうと、当然のように受け取って飲む。 そんな二人の様子をソフィアが妙な視線を投げかけながらじっと見ているのに気づいたが、あえて気づかないふりをしていた。 しかし食事を終えてから後片付けに入ったところで、案の定捕まった。 「ネルさんネルさん!ものすご〜〜〜く知りたいことがあるんですけど。」 「…なんだい。」 「ネルさんて、アルベルさんとなんだか息ぴったりですよね!ツーカーって言うんですか?なんかもう、夫婦みたいじゃないですか。」 がしゃんっ。 洗いかごに、思わず皿を落とした。幸いたたえられた水がクッションになってくれて、割れずにすんだが。 「私、フェイトと子供の頃から一緒にいるのに…なんかテンポずれるんですよね。だからコツとかあったら教えてほしくて…」 「……あのね…」 眩暈を覚えながら、皿を拾い上げる。 「だってネルさんとアルベルさん、知り合ってからたいして経ってないでしょ?それなのに、あのシンクロっぷりはすごいです!戦ってるときなんて、うっとりしちゃうくらいきれいな動き方してますもん。まるでお二人で踊ってるみたいで。」 言われてみて、気がついた。 アルベルが共に戦うようになったのは、つい最近のことだ。 むしろフェイトやクリフのほうが一緒に戦っていた時間は長かった。 それなのに、アルベルと組んで戦うのが一番楽に感じる。 いつの間にか、自分がこうしてほしいと思うことをアルベルがやってくれるようになっていて、自分が思っていなくても、自分にとってよかったことをやってくれるようになっていた。 それは逆も言えることで、アルベルがそのとき何を求めているか、彼にとってどうすることが一番いいか、考えるまでもなく感じとることができるようになっていた。 何故だろう。 やはり国は違えど同じ大地で生まれ育ったからだろうか? それとも… 「そんなの考えたこともないから、よくわかんないよ…」 首をかしげるネルの頬が、心なしか赤く染まっていた。 「おい。」 珍しくアルベルに呼び止められ、クリフとミラージュが驚いたように振り返る。 「なんだ?おまえが用なんて珍しいな。」 いつもまっすぐに相手を睨みつけるように見据えるはずの男が、真紅の瞳を逸らしながら、 「…明日、あのクソ女をディプロに連れてけ。」 「は?」 あのクソ女、という表現が誰を指しているかは、すぐにわかる。他の女なら普通に名前で呼ぶのに、約一名、滅多に名前を呼ばない相手がいる。 それを突っ込めば怒るに決まっているのであえて流し、 「なんでだ?」 「右手首の筋を痛めてる。ヒーリングじゃ捻挫は完全に治らねえ。だからって湿布貼れっつっても、おとなしく言うこと聞く奴じゃねえ。」 「そいつぁ気がつかなかったな。」 「ディプロの設備なら捻挫も治せますよ。明日、ネルさんを連れて行きましょう。」 かすかに顎を上げたのが、礼のつもりなのだろう。 黙って踵を返すアルベルの背中を眺め、クリフが感心したように溜息を吐く。 「マジで気づかなかったな。あいつ、そんな怪我してたのか?」 「私も気づきませんでしたよ。彼女は自分の弱みを隠すタイプですしね。」 「あいつ、よくわかったなあ。」 「それだけ彼女をよく見ているということでしょう。本人に言っても怒って否定しそうですけれどね。」 「ま、そういうこったな。ぶった斬られないように、黙って言うとおりにしとけ。」 「ええ、わかりました。」 いつもどおり事務的に頷くミラージュに、クリフがふと思いついたように、 「なあ…」 「はい?」 なんとなく頭をかきながら、 「…俺が怪我を隠してたとしたら、おまえは気がつくか?」 「ええ、もちろんです。」 「…そ、そうか…」 あっさりと答えられ、クリフは拍子抜けしたように息を吐く。 「あなたのわかりやすい嘘が私にばれなかったことがありましたか?」 「……そういやそうでした。」 今度は別の意味で深い溜息を吐いた。 ソファに埋もれるように寄りかかってテーブルに長い足を投げ出し、琥珀色の酒を舐めている男の横顔をじっと見つめる。 「…なんだよ。」 かなりの量を飲んでいるというのに酒精を全く感じさせない真紅の瞳を向けてくる。 「うーん…」 こちらはおとなしく隣に腰掛けたまま、何度も首を捻っている。 「ねえ。あんたは私の間合いとか、いつ見切ったんだい?」 「何をいきなり…」 脈絡も何もあったものではないネルの質問に、アルベルは鋭い目を丸くする。 「見切るだけなら、一度戦えばわかる。」 「…まあ、そうだろうね。でもそれとは何か違うんだよね…」 「さっきから何をぶつぶつ言ってやがる。」 「いや、なんであんたと一緒に戦うと、動きやすいのかなって思ってさ…」 「なんだ、そんなことか。」 「そんなことか…って、あんたわかるのかい?」 真剣な顔をして聞いてくる。 「てめえが何考えてるかわかりゃ、どう動けばいいかなんざ自然と決まってくる。」 「だから、それが何でって…」 「それくらいてめえで考えろ、阿呆。」 「なんだい、それ…」 はぐらかされた気がして、ネルはおもしろくなさそうに酒に口をつける。 アルベルは酒を置き、そんなネルの右手首を掴んだ。その瞬間、形のいい眉がわずかに歪む。 「さっきデカブツどもに言っておいたから、明日あいつらの星の船でこの怪我治してこい。」 「え…」 慌てて右手を引っ込めようとするが、離してもらえない。 「…参ったね。隠してたのにさ…」 「見てりゃわかる。」 「…こんな簡単に見破られてちゃ、私も隠密としてまだまだだね。」 溜息を吐いて首を振るネルに、アルベルはにやりと笑い、 「本当は嬉しいんだろ?」 「……」 そのまま腕を引っ張られて抱き寄せられ、おとなしく身を任せるネルの胸の奥に灯る暖かな光のようなものは、ささやかな幸福感…。 そのぬるま湯のような心地よさに身を委ねながら、男の肩にもたれかかる。 「…まったく…本当にどうしてだろうね。」 「いいじゃねえか、理由なんざ。おまえの考えなんざお見通しだってこった。」 「ふん、こっちだってあんたの考えることくらいお見通しだよ。」 「じゃあ、俺が今何考えてるか当ててみろよ。当たったら褒美をやろう。」 「……」 悪戯っぽく笑うアルベルのシャープな輪郭を描く顎に白い指を添え、そっと口付ける。 「どうだい。当たってるだろ?」 同じく悪戯っぽい微笑を返すと、アルベルは満足げに笑い、 「少し甘いが、まあよしとしてやるか。約束どおり褒美をやるよ。」 「何をくれるんだい?」 「今の続きだ。」 「……バカ。」 深く唇を重ね、かき抱いたしなやかな肢体に体を預けるようにソファに倒れこんだ。 女王の命令で仕方なくアルベル・ノックスと一緒に戦うことになったのだが、そのときはまさかこうなろうとは夢にも思わなかった。 焼けついた銀の守護星を持ち、他者の存在を許せずに孤高に生きていこうとする男は、己の心の弱さ故に、他人を受け入れられない男なのだと把握していた。 それでも共に敵を同じくして戦うからには、いつまでもそれではいけないと思った。だからこそ一人でなんでも片付けようとする男を押し止め、なんとか皆とともに歩かせようと思った。 仲間を無視するように歩いていこうとする男に追いすがろうと、必死に早く歩いた。 いつしか、一人で歩いていた男は自分に合わせて歩調を弛めるようになってくれた。 己の弱さを克服し、真に心の強さを手に入れた証としてのクリムゾンヘイトを腰に差し、あいかわらず一人で歩いているようだけれども、それは追いつけない速さではなくなっていた。 そうして並んで歩いていくうちに、他人を寄せ付けないように纏った殺気の向こう側にあるものが見えるようになってきた。 そうしたら、聞こえた。 己の弱さ故に父を殺してしまった苦しみと後悔の叫びが。そして寒さと飢えに苦しむアーリグリフの人々を助けてやりたいという叫びが。 男はその思いを決して声に出さないため、秘められた優しさを知る者はほとんどいない。 理由はよくわからない。けれどそのことを、抗うことなく受け入れられる。 …だって私にはあんたの声だけがはっきり聞こえるんだよ。どんなに離れてたって、その腕に抱きしめられているときと同じように… ウォルターのじじいにまんまとはめられたと思った。 それでも、より強い敵を求められるならそれでよいと思った。 仲間などという鬱陶しいものがおまけについてきたけれど。 ついこの間まで敵だったネル・ゼルファーは、案の定堅苦しいまでに頑固だった。 信仰心の強さ故か、それともただの性格か、全くと言っていいほど自分を大事にしない。 たとえ自分が命の危険にさらされようと、かまわず仲間を助けようとする。 本当に、見ていて腹が立ってきた。 何故己の弱さ故に危機に陥る者を、そこまでして助けるのか。 そして気がつくと、仲間を助けるために敵の真っ只中で無防備に施力を集中する女を背に、立ちはだかっていた。 敵と自分との間に割って入った、かつて敵だった自分の背中に感じたのは、いつもの怒ったような視線ではなかった。それが不思議で、なんとなく振り返ってみた。 そこで初めて、その女の仮面の下にある表情を見た。 女は咄嗟にその仮面を取り繕おうとしたけれど、一度でも見たそれは、とても忘れられるものではなかった。 クリムゾンブレイドとしての冷徹さを装う仮面の下にあったのは、誰よりも純粋な女の顔があった。 信念を貫こうとする強さと、何かを信じてすがり拠り所としないではいられない弱さが共存した純粋さ。 その本当の顔をもう一度見たくてなんとか仮面を引き剥がそうとしても、女は用心深く仮面をしっかりとかぶっていた。 しかしあるとき自然に女の仮面が滑り落ちた瞬間があった。 そのときからだったかもしれない。 失われ続ける命に打ちひしがれ傷ついた、クリムゾンブレイドでも隠密でもない純粋な心が見えるようになったのは。 そんな心を隠して細い足を踏みしめて立っている女の肩が、触れれば壊れてしまいそうに思えたのは。 あまりに自然すぎて、いつしかそれを不思議に思うこともなくなっていた。 …てめえの心が何を求めているのか、俺にはわかるんだよ。遠く離れていようと、俺にすがりついているときと同じようにな… 違う道を歩んできた二つの魂が、導かれるように響き合い、重なり、ひとつに溶けていく。 今も、そしてこれからもずっと…。 |