Summer Vacation



 ジェミティは訪れるたびに何かしらイベントを開催している。ただやっているだけならいいが、強制参加型はやっかいだ。しかしごく一部、密かに楽しみにしている者もいるようだが。
 今回は夏をテーマに、園内をまるごとビーチリゾートにしているようだ。
 ゲートをくぐった瞬間、本物ではないはずの太陽がぎらつく日差しを容赦なく浴びせてくる。景色もがらりと変わり、ちゃんと波の音や汐の匂いまで感じられる。
 そこまでやっているだけあって、もちろん入場者は全員水着が強制だった。
「あっちぃ…」
 来た早々椰子の葉でできたパラソルの下に逃げ込んだのは、やはりと言うか雪国育ちの男だ。しぶしぶ黒と紫のサーフパンツに着替え、テーブルにつっぷしたままメニューに浮かび上がるかき氷の立体映像を見て目から涼もうとしている。
 半分溶けたようなアルベルの頭上から、こちらは元気そうな声が降ってきた。
「そんなとこで腐ってないで、泳いだ方が気持ちいいよ。」
 他の誰かの声だったらきっと無視しただろうが、その声に対してはどんなときでも反応する。それでもかったるそうに視線を上げると、すらりとした足が目に飛び込んだ。
 施紋を刻んだ太股は素足である分いつも以上に露で、その白さに眩しげに目を細めながら、不機嫌そうな声を出す。
「なんだそりゃ。下着か?」
 黒いビキニが似合いすぎる赤い髪の女を見上げる。
「失礼だね、水着ってやつだよ。あんたも短パンいっちょじゃないか。…いつもの格好よりは何故かまともに見えるけど。」
 ちょっと頬が赤いのは、やはり着ている本人も恥ずかしいらしい。ならばそんなに露出部分が多い水着を選ぶな、阿呆。
 …似合ってるが。
 エリクールには、海水浴などという習慣はない。よってもちろん水着もない。泳ぎたければ服のまま飛び込むか、子供などは元気に裸で水に飛び込んだりするくらいだ。
 生まれて初めて水着というものを着たネルの姿は、一人で鑑賞するには文句のない姿だが、さらけ出した見事なプロポーションに通りすがる男どもが遠慮ない視線を投げてくるのが気に食わない。
 相変わらずくたばったままの姿勢ながらATK9999はありそうな眼光をぶつけてくる男に気づいて慌てて目を逸らす者もいれば、全く気づかずにネルに釘付けの者もいる。
 そんな密かな攻防も知らず、ネルはアルベルの隣のベンチにわずかな黒い布をまとっただけの白い小さな尻を下ろした。
 途端に、男つきか、という落胆の気配が流れてくるのが小気味良い。
 それでもめげずに視線を向ける男に容赦なく殺気をぶつけていると、これまた水着姿となったウェイトレスがトレイを持ってやってきた。
「お待たせいたしました〜!」
 にこやかなウェイトレスがテーブルの上に置いたものに、ネルは思わず目を見張る。
 氷の上に、濃いお茶の色をしたものとあずきとアイスクリームと練乳がてんこ盛りになっている。
「なんだいこれ。」
「宇治ミルク金時。…だそうだ。」
 冷たくて甘そうなそれを早速スプーンで切り崩しはじめる男を、呆れた顔で見つめる。
「酒飲みのくせに甘党なんて、あんたもなんだかねえ。」
「食うか?うまいぞ。」
 スプーンを差し出され、試しに一口食べてみると抹茶の苦味が効いて案外おいしかった。
「へえ、このお茶の味がするところはおいしいね。」
「てめえも頼むか?」
「いや、こんないっぱいいらない…」
 そうか、と言うと先程のウェイトレスを呼んで、スプーンをもう一本取り寄せた。
 ひょいとそのスプーンを渡されて、ネルはどうしたものかと考える。
 目の前には相変わらず宇治ミルク金時とやらを満足そうに食べる男がいて、自分はもう一本スプーンを持っていて…。
 てめえも食え。
 ということなのだろう。
 嬉しそうにかき氷をすくう男を見ていると、何故かネルまで嬉しくなってきてしまう。
 なんとなく周りを見回して誰も見ていないことを確認してから、アルベルが切り崩している反対側をスプーンですくった。
「ふふ…甘いねネルさん。」
 二人で仲良くかき氷をつついている姿を、砂の上に伏せてやたら楽しげに観察しているのはフェイトだ。
 何に使うつもりか例によって二人の映像を撮って、さらにネルの姿を拡大したりして楽しんでいるフェイトの背中が、いきなり踏みつけられた。
「フェイト!」
「ぐえっ!ソ、ソフィアか…何すんだよ!」
「カップル盗撮して喜んでないで、泳ごうよ!ハイダで中断されちゃったバカンスの続きしよ?」
「う…」
 それを言われると、フェイトとしても弱い。しぶしぶソフィアに引きずられるように、海へと走っていった。

「……」
 別の椰子の葉のパラソルの下で、一人トロピカルジュースを飲むのは、シンプルな白いワンピースの水着が青い髪に映えるマリアだ。
 かき氷をつつくアルベルとネルや海に飛び込むフェイトとソフィアを、ぼんやりと見ている。
 そんなマリアのもとヘ、落ち着いた色彩の水着を着たミラージュがやってきた。濃紺のビキニの上に長めのパレオを巻いた姿が大人の女らしい。
「泳がないのですか?」
 そう言うミラージュの後ろから、とても四捨五入すると四十になるとは思えないブーメランパンツのおっさんが顔を覗かせる。
「おう、水が気持ちいいぞ!」
 子供の頃からクオークで活動していて、これといった遊びをしていないマリアを気遣ってくれているのだろう。
「うん…どうしようかしら…」
 実は泳ぎが苦手なので渋っていると、それでは、とミラージュが別の提案をする。
「暑さの根源を埋めてしまうのはどうですか?」
「暑さの根源?」
 ミラージュのほんのり毒を含んだ微笑と、その後ろで豪快な笑みを浮かべているクリフを見比べる。そしてこれまた毒を含んだ笑みを浮かべ、
「いいわね。やりましょう。」
 立ち上がったマリアとミラージュの視線を受けても、クリフは一人わかっていなかった。
「暑さの根源て俺かよ!!」
「あなたの他に誰かいるとでも思いましたか?」
「アドレーのおっさんがいるだろー!赤フン締めてたあのおっさんに比べれば、俺なんざかわいいもんじゃねえの!」
「あの人なら、ものすごい勢いで水平線の彼方へ消えていったわ。」
「この場にいなければ関係ありません。」
 抵抗も空しく、ミラージュの腕力であっという間に掘られた穴に首まで埋められたクリフのまわりの砂を、マリアが踏み固めている。
 そのおもしろそうな行動を、フェイトとソフィアが見逃すはずもない。
「わー、ずいぶんちっちゃくなりましたね、クリフさん!」
「なあ、せっかくだから皆でスイカ割りしない?」
 どこに隠し持っていたのか、大きなスイカを取り出したフェイトが爽やかなくせにやけに黒い笑みを満面に浮かべる。
「おいおい、これじゃ参加できねーぞ。」
 首だけを砂から出した状態で抗議するクリフに、
「だってクリフがやったら、食べる部分がなくなるくらい粉砕しちゃうだろ。でも参加させてやるから大丈夫だよ。」
 慰めのように聞こえるが、なんだかいやな予感がする。
「じゃ、ソフィア、あそこのらぶらぶな人たち呼んできて。」
 さっさと指示しながら、どん、とスイカを置く。
 クリフの頭の上に。
「ちょっと待て!スイカって砂の上に置くんじゃねえのかよ!」
「動くなよ。スイカが落ちちゃうじゃないか。」
「俺の頭もかち割れるだろー!」
「クリフなら大丈夫だろ。」
「いや、だってよ…」
 ソフィアから説明を受けているアルベルとネルに視線を向ける。
「なんだ、スイカ割りって。」
「やったことないねえ。」
「ほう、ようするにあのスイカを叩き斬ればいいわけか。任せろ。」
 こちらに向けられた真紅の視線に、クリフは頭から音を立てて血が引いていくのを感じた。
 斬られる。
 スイカごと真っ二つに。
「いやだあああああああああ!!!!」
「暴れないでください、クリフ。スイカが落ちます。」
 必死の訴えもミラージュの笑顔に一蹴される。
「目隠しをして十回まわってから、スイカを割ってくださいね。この棒さえ使ってれば何をやってもかまいませんから!」
「ちょっと待て!何をやってもって…って、鉄パイプを木の色に塗ってんじゃねーよフェイト!!」
「だめ?」
「だめ!!」
「ちぇ、しょうがないなあ…じゃあ、いくよー。じゃーんけーん…ぽん!」
「あ、一番は私ですねー!行きますよー!」
 一番目がソフィアと知って、クリフはほっとした。彼女なら、たとえ頭の上のスイカを叩かれても問題ない。
 かわいい顔に反して迫力のある胸のラインがピンクの水着によって露になって、密かに目を楽しませてくれるのもいい。
「おう、嬢ちゃん来な!」
 なんだか嬉しそうな、スイカを乗せたエロオヤジから10mほど離れたスタート地点で、ソフィアが目隠しをしてくるくると回る。
 そして目が回ったのか、ふらつきながら棒を振りかざして…
「イフリートソード!!」
「おわあっ!!」
 出現した炎の魔人が、巨大な炎の剣を振り下ろす。
 しかしその燃え盛る刃はスイカには当たらず、見当違いの砂の上を叩いた。
「はーい、ソフィアはずれ〜。」
「あー、残念…」
「おい!今のありかよ!」
 聞こえていないのか無視しているのか、楽しげに笑いあうフェイトたちを見て、クリフは砂の中で総身に汗をかいていた。
 …やばい。ソフィアがあれなのだ。あとの連中は…
 ぐるりと並ぶ面々を見回してみる。
 人の皮をかぶった凶悪最終兵器、クラウストロどころか宇宙最強の女、Gばりの銃使い女王、太腿に見とれているとえらい目にあう隠密、手加減という言葉を知らない極悪剣士。
 あの中なら、せめてマリアだろうか。彼女は蹴り技ならなんとかなるが、腕力は極めて弱い。
 頼む、マリア来てくれ!
 だがそんな願いも虚しく棒を手に進み出たのは、
「じゃあ、次は私だね。」
 ネルだった。
「マジ!?」
 回転する技を年中使っているだけあって、十回やそこら回っただけではよろけもしない。しかも隠密である彼女が、目隠しをしただけでクリフの気配を逃すはずもない。
 死ぬ。
「行くよ。」
 棒を手に、しっかりとこちらを向いて戦闘時のように身構える。回ったことも目隠ししていることもまるで意味がない。いや、ネルならば確実にスイカだけを割ってくれるかもしれない。
 でも、でも…
「黒鷹せ…」
「あー!水着の隙間から胸見えてるぞ!!」
「え…!?」
 咄嗟に叫んだクリフの声に思わず動揺した瞬間、ネルの手元が狂った。
 黒い旋風となった棒切れが、はるか頭上を飛んでいく。
「はー…あぶねー…あんなんくらったら死んでるっての。」
 ネルは慌てて目隠しをはずして胸元を見たが、見えてもいないしずれてもいない。はめられたとわかって、真っ赤になって怒る。
「な、なんともないじゃないか!」
「わははは!作戦だ作戦!」
 いつも眉間に皺を寄せて仁王立ちしてるくせに、意外に女らしいところもあるんだよなー、などとにやけていたクリフの耳に、空気を切り裂くような音と地響きが迫ってきた。
「ん?」
 何かと思ったときには、激しく巻き上がる砂の壁が目の前にあった。
「おわあああっ!!」
 どーん、という音と共に砂が砕ける荒波のように舞い上がり、クリフの巨体がスイカとともに宙に放り上げられる。
 そして落ちてくるところへ、立て続けに衝撃波が砂を巻き上げながら襲い掛かる。
「マジかっ…ぎゃああぁぁぁ…」
 遠くなる悲鳴を残し、クリフとスイカは星になった。
「…阿呆が。」
 吐き捨てるように呟くアルベルのこめかみに、くっきりと青筋が浮いていた。
「よりによって彼の前でネルさんにセクハラ発言をするなんて、身の程知らずですね、あなた。」
「いいなーいいなーこういうの素敵〜!」
「ふふふ、さすが棒切れ−R8の攻撃力は違うね。僕の鉄パイプには及ばないけど。」
「何よそれ。」
「レシピ指定バトルブーツ八個合成した棒を貸してあげたんだ♪」
「…そんなバカなことに貴重な素材使わないでちょうだい。」
「でも、スイカ(クリフ)割りができなくなっちゃったねー…」
 残念そうに呟くソフィアのスイカという言葉の裏に何かが隠れていたようだが、皆あえて何も言わない。
「じゃあ、ビーチバレーでもやるかい?」
 これまたフェイトがどこに持っていたのか、バレーボールを取り出す。
「でも、私そういう運動苦手なんだけどー…」
「私もそういうのは得意じゃないから、パスするわ。」
 ソフィアとマリアが辞退する。
「んー、じゃあ二人には審判をやってもらって、残る四人でビーチバレーをやろう!」
 他のメンバーの意見も聞かず、どんどん話を進めていく。
「じゃ、アミダでチームを決めよう。」
 砂の上にアミダくじを書き、名前を書いた後に適当に線を足してから辿っていく。そして同じ記号にたどり着いた二人をペアにすることにした。
 その結果、
「じゃー、僕とネルさんチーム対、アルベルとミラージュさんチームで決定だね!」
 ビーチバレー用のネットをどこからか勝手に持ってきて張り、コートのラインを砂の上に書いている。その様を見ながら、
「…ビーチバレーって何だか知ってるかい?」
「俺が知るか。つか、なんでそんなもんやらにゃなんねえんだ。」
「仕方ないよ、ちょっとは付き合ってあげよう。…で、どうすればいいのさ。」
「だから知らねーって。」
 ビーチバレーどころかバレーボールさえ知らない未開惑星人が二人いた。
「はーい、そこ!一緒に組めないからって拗ねない拗ねない!」
「だっ、誰がだい!」
「阿呆なこと言ってんじゃねーぞ!!」
 顔を真っ赤にして怒鳴る二人を無視して、フェイトとミラージュが先攻後攻を決めている。そしてソフィアもマリアも勝手に椰子の葉のパラソルの下に審判兼解説兼見物席を作り、準備万端だ。
 仕方ない、と肩をすくめてコートに分かれ、それぞれ簡単にルールを聞いている。
「いいですかネルさん。三回以内で相手コートにボールを返してください。」
「うん、わかった。」
「ボールは体のどこに当たってもかまいません。とにかく落とさなければいいんです。」
「ふん、なるほどな。」
「さー試合開始でっす!」
 笛の音とともに、先攻となったフェイトがサーブを打つ。
 それをまずまっとうに受けるのは、ミラージュだ。アルベルとネルはルールを聞いたものの実際にやるのは初めてなので、二人の動きを見ている。
「ネルさん、次、試しに受けてみて!」
「あ、ああ!」
「あの線の中に入れば、どこに打ってもかまいません!」
「おう!」
 さすがに二人とも運動神経の塊(むしろそれしかない)だけあって、卒なくこなしている。
 しかし…
「…ねえマリアさん。」
 左右を往復するボールを目で追いながら、バナナシェイクを手にソフィアが呟く。
「なに?」
「なんか物足りなくありません?」
「そうね。ちょっと発破をかける必要がありそうね。」
 癖とも言える、顎に指を添えて小首を傾げる仕草でやや考えていたマリアが、ボールがラインを割って動きが止まった間に立ち上がる。
「せっかくだから、賞品をかけましょう。勝ったチームには、ペア旅行チケットをあげるわ!全宇宙どこのリゾートでも行けるわよ。」
 どこに持っていたのか、二枚のカードを指に挟んでちらつかせる。
「おー、いいじゃんマリア!」
「それは楽しみですね。」
 勝ったチームにペア旅行チケット?
 それを聞いた瞬間、同時に固まっている二人がいた。
 真紅の瞳とスミレ色の瞳が同時に互いを見、また同時に互いが組んでいる相手を見る。
 勝ったチームにペア旅行……
 そしてやはり同時に口元を引き攣らせた。
「……」
「……」
 またもや示し合わせたかのように同時に自分が組んでいる相手に向き直り、
「…フェイト。何が何でも勝つよ。気ぃ抜くんじゃないよ。」
「あれー?ネルさん、なんか目が据わってますよ?」
「…おい。やるからには死んでも勝つぞ。手ぇ抜きやがったら叩き斬るぞ。」
「先程までの腐れっぷりが嘘のような気合の入り方ですね。」
 フェイトとミラージュに含んだような笑みを向けられても、二人とも意に介さない。
「いきなりやる気満々になったわね。」
「うふふふふ、作戦大成功ですね〜。」
 約二名はやる気と言うよりむしろ、殺気だっているようだが。
「いきますよ!」
「うわ…!」
 ミラージュが叩き込んだボールを受けきれず、砂の上にネルが倒れこむ。
「大丈夫ですか、ネルさん!」
 すかさず助け起こすフェイトが、ちらりとアルベルを見る。
 その勝ち誇ったような笑みに、アルベルのこめかみにびしびしと青筋が浮き上がる。
「あいてて…さすがミラージュが打っただけあって、受けたけど弾かれたよ…」
「腕が赤くなってますよ。」
 などと言いながらさりげなく手を取る。
 その度に相手コートからすさまじい怒気が流れてくるのがものすごく楽しいのだが、そんな本心はしっかり爽やかな笑みの下に隠している。
「やはり、パワーではこちらが断然上です。スピードで負けている分、パワー勝負でいきましょう。」
 思わず避けたくなるほどの怒りのオーラをまとうアルベルに平然と近寄り、その肩にぽんと手を置く。
 その様子を視界の端に収めていたネルの顔が強張った。
「……」
 顔の角度はそのままに、視線だけをぎろりと相手コートに向ける。
「あれ?ネルさんどうかしましたか?そんな拳固めちゃって。」
「さあ、早く自分のポジションについてください。」
 ミラージュもやけに楽しそうにアルベルの背中を押してコートに立たせる。そしてそれに対抗するように、フェイトもさりげなくネルの肩に手を回してポジションにつく。
 その度に、アルベルもネルも肩のあたりがひくついて見えるのがおかしくて、審判兼解説兼見物席のソフィアとマリアが腹を抱えて笑っている。
 さらに追い討ちをかけるように、フェイトが構えながらにこやかにネルに声をかける。
「ネルさん、アルベルはミラージュさんのちょっと後ろに構えてますねー。」
「それがなんだってんだい。」
 振り返りもせずに応える声に棘がある。
「いやー、ミラージュさんスタイルいいから、きっといい眺めだろうなーって。」
「……へえ。」
 びきっ、という音がした気がした。
 片やミラージュも、にこやかに微笑み、
「アルベルさん。フェイトくんはさっきから、ネルさんの斜め後ろ45度の角度をキープしていますね。」
「それがどうした。」
「いえ、彼女は自分が思っているより、はるかに男性の目を惹きつける人ですから。」
「……ほう。」
 ぶちっ、という音がした気がした。
「ねえマリアさん、なんかさらに殺気立ってません?」
「面白いことになりそうね。」
 ネットを挟んだ約二名が、暗黒のオーラをまとっている。
 そんな二人と対照的に爽やかに、そーれ、とフェイトが打ったサーブをミラージュが受け、それに合わせてアルベルが跳ぶ。
 そして利き腕ではない左腕を振り上げ、
「斬り裂いてやるぜ!!」
 どこかで見た構えですさまじい勢いでボールを殴り飛ばす。
「うわあっ!!」
 とんでもない勢いで襲い掛かったボールに、受け止めようとしたフェイトがぶっ飛ばされた。
「マリアさん、今のは…」
「剛魔掌だったわね。」
「てゆかよくボールが壊れませんでしたね…」
「あらかじめ私が変質させてあるから、大丈夫よ。」
「わあ、さすがマリアさん!」
 呑気に歓声を上げる審判兼解説兼見物席の反対側に落ちていたフェイトが、頭を振りながら立ち上がる。ボールが当たったダメージだけでなく、なんだかMPも削れた気がする。
「くそー、そう来るか。」
 小さく舌打ちし、ネルに素早く何かを小声で伝える。
 そして再び高く上がったボールをアルベルが打とうとした瞬間、フェイトの前にネルが飛び込んだ。
「!」
 振り下ろしかけた腕に急ブレーキがかかり、中途半端に叩かれたボールがへろへろとネルの前に落ちてくる。
 それをネルが難なく受けてフェイトに上げ、フェイトが高く打ち上げる。
 そのボールめがけて宙高く舞い上がったネルが、くるりと身を捻り、
「紫電一閃!!」
 打った瞬間何故かボールが凍りつき、アルベルめがけて飛んでくる。
「うおっ!?」
 思わず避けてしまったため、ボールを拾いそこなった。
「そんなのありか、てめえ!!」
「うるさいね、あんたに言われる筋合いはないよ!」
「よし、作戦成功!やっぱアルベルはネルさん相手じゃ本気で打てないぞ。」
「やられましたね…アルベルさん、こちらも作戦をたてましょう。」
 何やら耳打ちするミラージュの姿を見て、ネルのこめかみが痙攣を起こしたかのように引き攣る。
 そんな様子を楽しげに見ながら、フェイトがサーブを打つ。それをアルベルが高く打ち上げ、ミラージュが跳んだ。
「ちっ、ミラージュさんで来るか!」
 ミラージュが相手だと、先程の作戦は通用しない。フェイトがボールの落下地点を予測して走ろうとした瞬間、
「魔掌壁!!」
「うわわわっ!!」
 いきなりフェイトの足元から、地獄から這い上がってくる怨霊のようなエネルギーが噴き上がり、全身を捕らえる。
「マイトハンマー!!」
 その隙に両拳で叩きつけられたボールが、フェイトに襲い掛かった。
「風陣!!」
 素早く印を結んだネルの周囲に突風が巻き起こり、隕石のごとき勢いで落ちてくるボールを巻き込む。そしてボールはフェイトにぶつかって砂の上に落ちる寸前に、空に舞い上がった。その隙を逃さず、ネルが思い切り横殴りにボールを打つ。
 黒い旋風となって飛来するボールの前にアルベルが立ちはだかり、
「衝裂波!!」
 弧を描く衝撃波が砂を巻き上げて壁となり、ボールを弾き返す。
「すごーい!あれって刀がなくてもできるんですねー!」
「なんだかもう、バレーじゃなくなってるわね。」
 ようやく立ち上がったフェイトが、跳ね返されて力を失ったボールに横から蹴りをくらわせる。
「リフレクトストライフ!!」
「私が落としますっ!キャノンブレイズ!!」
「ショットガンボル…」
「させるか!!空破斬!!」
「すっごい応酬ですねー。もう点数がわからなくなっちゃいました。」
「もうボールに触れるのは三回なんてルールは忘れてるわね。何ヒットしてるんだか。」
 いつの間にやら周辺の一般客は悲鳴を上げて逃げ惑っている。
「てめえ、さっきから俺ばっか狙ってんじゃねえよ!」
「そっちに賞品はわたさないよ!」
「それはこっちの台詞だ阿呆!」
「そんなにミラージュと旅行行きたいのかい!」
「てめえこそフェイトと行きてえのか阿呆っ!!」
 二人が怒鳴るたびに砂浜が粉砕され、既にネットも吹っ飛んで跡形もない。
「…なんかどさくさ紛れに思い切り痴話喧嘩になってませんか?」
「火に油を注いでたミラージュはおもしろがって見物してるけど、フェイトは見事にアルベルの集中砲火くらってるわね。」
「だって怒りのベクトルが、ネルさん→アルベルさん→フェイトですからねー。さすがミラージュさんは上手ですね。」
 かつてビーチバレーコートだったところを中心に、半径50mほどが壊滅状態となっているのに、何故か審判兼解説兼見物席だけは無事だったりする。
 トロピカルフルーツ盛り合わせの皿から最後のひときれをつまむと、マリアは、さて、と手を打った。
「そろそろ止めてあげないと、いくらFD人とはいえ巻き込まれてる一般人がかわいそうだからね。」
「そうですねー。それにしても、まだちゃんとボール使ってるとこがすごいですねー。」
 ソフィアも、おいしかった♪とバナナシェイクの残りをストローで吸った。
「あんたみたいな男は闇の炎に抱かれて消えなっ!」
「どっかで聞いた台詞パクってんじゃねーよ!って、逃げんなフェイト!!」
「うわあっ!」
「ちょっとー、アルベルにネルー。」
 マリアが呼んでも、二人とも聞いちゃいない。
「ちょっと…」
「結局女なら誰でもいいのかいっ!」
「てめえこそ男の形してりゃー最終兵器でもかまわねーんだろうが!!」
「危ないじゃないかアルベルっ!!」
「二人とも…」
「誰がいつそんなこと言ったんだい!」
「そっちこそ勝手に決めつけやがってブチ切れてんじゃねえ!!」
「ネルさんの方見ながら僕を攻撃すんなー!!」
「……」
 どん!
 鼓膜を破りそうな破裂音が轟いた。
 砂の上に落ちるボールも見ずにその音が放たれた方を振り返ると、煙を噴く銃口を空に向けたマリアがいた。
 そしてゆっくりと銃口を彼らに向け、
「私の声が聞こえないっていうの?」
「え、いや…」
「う、うるさかったからな…」
「血が、止まらない…」
 かろうじてHP1で生き残っているフェイトを無視して、マリアは満足そうに頷く。
「あのね、賞品についての説明をしておこうと思って。」
「はあ?」
「ペア旅行云々とかいうやつがなんだってんだ。」
 その言葉に、二人とも反射的に思い切り不愉快そうに互いを横目で睨む。
「勝ったチームにペア旅行チケットをあげるって言ったでしょ?それは、勝った人それぞれにチケットをあげるの。だから別に勝った二人で行くんじゃなくて、それぞれが勝手に好きな相手と行けばいいわ。」
「……へ?」
「……あ?」
 あっさりとしたマリアの説明に、アルベルもネルも目が点になっている。
「まあ、ネルがフェイトと旅行行きたければ行けばいいし、行きたくなければ他の誰かを誘ってもかまわないし。あ、それはもちろんアルベルもだからね。」
「……」
「……」
「それだけ言いたかったの。じゃ、続けて。」
 くるりと踵を返して審判兼解説兼見物席に戻るマリアの背中を、アルベルもネルも呆気にとられたように見つめていた。
 それからゆっくりと相手の顔を見て、砂の上に転がるボールを見る。
 先程までの殺気を超えた大地を轟かすような怒気はどこへやら。すっかり毒気が抜かれている。
「うふふー、やっぱり二人とも同じ誤解してましたねー。やきもち焼きさんなんだから♪」
「ネルはともかく、男の嫉妬は見苦しいわね。」
「二人とも素直じゃないくせに正直ですねえ。」
 いつの間にかミラージュまで審判兼解説兼見物席にいたりする。
 そんな無責任な人々の感想をよそに、アルベルとネルはなんとなくそっぽを向いている。頭をかいたり体についた砂を払ったり、いかにもいたたまれない感じで立っていた。
 そして先に口を開いたのはネルだった。
「…続けて…って言われても、さ…」
「…まあ、これじゃ無理だわな。」
「そ、そうだね…」
 しゃべってはいるものの、互いに顔を見ないままだ。
 そのまま会話が途切れてまた気まずい空気が流れていると、ざっ、と砂をかいて立ち上がる音がした。
「ふ…ふふ…」
 振り返ると、相変わらず瀕死のフェイトが立ち上がっていた。
 ボールを手に。
「…あ。」
「生きてやがったか。」
「アルベルがネルさんと旅行行きたくても、僕はネルさんと行っちゃうもんね〜…」
 血だらけの顔でにやりと笑ったフェイトの背中が輝いて、真っ白い翼が翻った。
 そして空高く舞い上がったかと思うと、
「これが耐えられるなら耐えてみせろっ!」
「…げっ。」
「イセリアルブラ…っ!!」
「タイタンフィストー!!」
 どかーん。
 横合いから巨大な拳にぶっ飛ばされ、フェイトはFD世界の星になった。
「んー?なんじゃ、でっかい虫がいたと思ってぶっ飛ばしたんじゃがのー。錯覚じゃったかな?」
 きょろきょろと見回しながら海から上がってきたのは、筋骨隆々たる体躯に赤い褌をはためかせたアドレーだった。
「……」
「ん?なんじゃ?おまえら鳩が豆鉄砲食らったような顔しおって。」
 わはははは!と豪快に笑うアドレーに呆気にとられていたアルベルとネルだったが、どちらからともなく顔を見合わせて、肩をすくめた。
「…そろそろ帰るか。」
「そうだね。なんか無駄に疲れたし。」
 互いに意識せずにほっとした笑みを浮かべ、ゆっくりと歩き出した。



 ビーチの状態からもとに戻ったジェミティの物陰で、スイカを頭に乗せたまま震えていた巨大なおっさんが回収されたのは、エリクールに帰ってきたものの、なんだか食料の減りが遅いことでようやく約一名いないことにパーティが気づいた三日後のことだった。




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