「ね!ですから皆さんも一緒にチョコ作りましょう!」 マリア、ネル、ミラージュといった女性メンバーだけを呼び出したソフィアが、瞳をきらきらと輝かせて言った。 彼女の説明によれば、こうである。 明日は二月十四日。そして地球のある地域の古い習慣で、その日に女性が男性にチョコレートを贈るのだという。 それをしたいといういかにもソフィアらしい提案だが、まあ日頃いろいろと世話にもなっているし、恩を売るためにも作ってあげようということになった。 男性陣には内緒でペターニの街で材料を大量に買い込み、扉に「立入禁止!」と張り紙を貼り付けて工房にこもった。 「そのままわたすんじゃないのかい?」 板チョコを刻んでいるソフィアの手元を覗き込むネルに、 「それじゃ心がこもらないじゃないですか。ちゃんと自分で作るんですよ〜。」 「ふうん…そんなもんなのかい。」 ソフィアは三つの丸い小さな型と、一つのハート型の大きな型を用意している。 ミラージュはトリュフ作りに挑戦するつもりなのか、本を片手に中に入れるリキュールを選んでいる。 そしてマリアは、ディプロのメンバーにも配れるように、簡単に大量に作れるキスチョコにするつもりのようだった。 さて、どうしようか。 皆と同じようなものではつまらないだろう。しかしお菓子はほとんど作ったことがないため、アイデアが浮かばない。 困っているネルに、ミラージュが棚にある本を指し、 「そちらにいろいろとお菓子の本がありますよ。それを参考にしてはどうです?」 「そうだね。」 試しにお菓子の本を見てみると、見たこともないおいしそうなチョコレートのお菓子がたくさん載っている。しかしあまり手がかかるのも何だと思い、チョコレートクッキーを焼こうと決めた。 失敗しないように丁寧に分量を量って、小麦粉とバターと砂糖を混ぜる。そこに湯煎で溶かしたチョコレートを混ぜ込み、しばし冷蔵庫で寝かせる。 その間に、抜き型を選ぶことにした。 ソフィアが選んだだけに、かわいらしい型がそろっている。その中から、星型の型を選んだ。 ふと皆の様子を見る。 ミラージュは煮立てていた生クリームをうっかり焦がしてしまい、慌てている。用意してある酒は、アンリ・サンセールに…何故か張鹿ひやおろしがある。果たしてチョコレートに合うのだろうか。 マリアは、用意したミルクとホワイトとストロベリーのチョコレートの味見をしている。 「うーん、ちょっと甘いかしら。」 男の人ならビターなほうがいいわよね、と独り言を言いながら、何やら調味料に手を伸ばしている。あ、それは禁断の調味料、重曹…うわー、知らない。そっと首を振りながら、ソフィアに目を移す。 慣れたもので、アーモンドを並べた小さな丸い型に溶かしたチョコレートを流し入れている。そして明らかに大きさが全く違うハート型の型には、アーモンドの他にマカダミアナッツや胡桃にレーズンなどがふんだんに入っている。 「ソフィア、なんで一つだけ扱いが違うんだい?」 「これはですねー、義理と本命の差なんです!その他大勢さんには小さなもので充分ですけど、本命は特別に気合をこめるんですよ!」 「…案外シビアなんだね。」 「ネルさんは何作ってるんですか?」 「え?ああ、クッキーでいいかなって思って。」 「で、本命は?」 「は?」 きょとんとするネルに、ソフィアの笑顔が凍りつく。 「えええっ!?まさか、アルベルさんにもその他大勢と同じものあげちゃうんですか!?」 「なっ、ちょ、ちょっと待ちな!なんであいつに…!」 思わず声が裏返るネルの顔が真っ赤だ。 それを見て、ミラージュとマリアはくすくすと笑っている。 「あらあら、それでは拗ねますよ。」 「そうよね。きっといじけるわ。」 「あ、あんたたちまで…だ、大体、あんたたちも本命と義理とやらをわざわざ分けて作ってるのかい?」 慌てて矛先を逸らそうとするネルに、二人はそろって微笑を浮かべた。それも、ほんのりとどす黒い。 「「甘やかさない主義なの。」」 どこかのでかい人が聞いたら陰で涙をこぼしそうな、容赦のない切り捨て方だった。こんな恐ろしい二人と毎日顔をつき合わせていたのだから、外で暴れたくなるのもなんとなくわかる気がする。 「ほ、ほら、この二人だってそう言うんだからさ。そんなのわざわざ作らなくていいんだよ。」 「えー!」 「えー。」 「えー…」 「なんで一斉にハモるのさ!!」 「だってだって!バレンタインデーっていうのは、チョコにこめた愛の告白ですよ!?」 どかーん。 思わず盛大にすっころんだネルを無視して、ソフィアは大袈裟に、しかし真剣に嘆き悲しんでいる。 「アルベルさん、かわいそうですよ!」 「なっ、あ、あいつはこんな習慣のこと知らないんだから、普通におやつもらうのと変わらないだろ!?」 「きっと今ごろ、フェイトがしゃべってますよ。」 「この日に工房を締め切って女の子たちがこもってるんだから、察しのいい地球人ならわかるわね。」 「きっと期待してますよ。」 彼女たちの意見は、どう聞いても親切ごかしに面白がっているとしか思えない。 「そ、そんなわけないだろ!とにかく、私は作らないからね!」 ムキになって言い放ち、クッキーの生地を伸ばし始めた。 「な?だからきっと、皆でチョコ作ってるんだよ!」 何か作ろうかと思い立ったものの、「立入禁止」の張り紙に追い返された男性陣は、やることもなく宿にたむろしていた。 フェイトの言葉に、クリフも同調する。 「そういや、地球にはそういう習慣があるんだってなあ。俺も昔、マリアからもらったことあるぜ。」 「昔?最近は?」 「……あいつもな、小さい頃はかわいかったんだよ…」 「ちょうどオヤジを邪険にしたくなる年頃だもんね。」 「……っ」 「いい年こいてめそめそ泣いてんじゃねえ、阿呆。」 よってたかって容赦ないツッコミをくらい、巨体を丸めて部屋の隅でいじけてしまった。 「ふうむ。おもしろい習慣だの。わしもクレアに言って、作ってもらおうかのう。」 ま、わしの娘はいい子だから、父親を邪険にする反抗期などなかったがな!とこちらもさりげなくクリフに止めをさしていた。 「筋肉オヤジ一号二号はほっといて…。皆、どんなのくれるかなあ。」 「チョコなんだろ。」 「いやいや、チョコを甘く見ちゃいけないよ。この日にもらえるチョコによって、その女の子が自分へどういう気持ちを抱いてるかが如実に現れる、ものっすごく厳しくもすさまじい儀式なんだ!」 「…地球人てのは、阿呆だな。」 呆れたようにすくめたアルベルの肩を、フェイトががっしりと掴む。そして満面の笑み、それも何故かぞっとするような笑みをたたえて、 「ネルさん、どんなのくれるかなあ?」 「…知るか。」 「ネルさんが怪我したときは真っ先にヒーリングしてあげるようにしてるし、もしかして僕に本命チョコくれたりして♪」 「それはねえな。」 「なんでさ!!」 思わず言ってから、しまったと思ったがもう遅い。視線を逸らしながら、 「…あの女、菓子作るの苦手なんだよ。」 「でもきっと、明日は特別だからってがんばって作ってくれるさ!だって、本命チョコをわたすイコール愛の告白なんだから!!」 ぶーーーーーーーーーーーーっっっ!!! 思わず飲んでいた酒を噴きだした。 「おや?何か動揺してらっしゃる?」 「んなわけあるか、阿呆!」 「えー?アルベルにくれるかもしれないんだよー?」 「…っ、…んなわけねえだろ!!」 「顔が赤いよー、アルベルく〜ん♪」 「叩っ斬るぞ!!」 隣り合った宿と工房は、夜更けまで賑やかだった。 大きなハート型のチョコに、ピンクのチョコペンシルで「LOVE」の文字を大きく書き、まわりにマジパンで作った花をかわいらしく飾り立てた。 「じゃーん!完成〜!」 食べるのが惜しいくらいにかわいらしくできたそれを、丁寧にラッピングする。 「うわ、さらにそんなので包むのかい?」 「そうですよ〜♪これを明日わたせば、もう完璧です!」 義理チョコが小さな袋に入れられて口を小さなリボン一つで簡単に結ばれているのに対して、こちらはかわいらしい包装紙で丁寧に包み、リボンの結び方も非常に凝っている。 「確かに、これをもらえばその扱いの差は一目瞭然だね…」 肩をすくめながら、さりげなくミラージュとマリアの様子を見る。 ミラージュは二種類のトリュフを一つずつ、これも小さな袋に分けて入れている。ディプロの面々にあげるだけに、量が多くてたいへんそうだ。 そしてマリアは、キスチョコ…のはずが、カラフルなバブルスライムの山ができあがっていた。しかし本人は気にする様子もなく、これもざらざらと袋に小分けにしている。 「ふん…」 これでいいんだよ、と誰にも聞こえない呟きを漏らしながら、ネルも無事に焦がさずに焼けたチョコレートクッキーをきれいな袋に分けた。 女の子にとっては勇気を振り絞る胸高鳴る一日、男にとっては審判を仰ぐ戦々恐々の一日が、エリクールにおいてはじまった。 宿の食堂に、朝食をとるために各々が集まってくる。 今日は珍しく、男性陣が先にそろっていた。 期待に胸をふくらませたフェイトと、はなから諦めたようなクリフと、引きずられてきただけでほとんど寝ているアルベルと、何だか別の夢を見て幸せそうなアドレー。 そこへ、女性陣が下りてきた。 ソフィアと、マリアと、ミラージュと。 「おはようございまーす!」 「おはよう。」 「おはようございます。お待たせしました。」 そこで挨拶の声は止まった。一人足りない。 「あれ?ネルさんは?」 フェイトの声に、ほとんど寝ていた男がわずかに顔をあげた。 「ああ、それがね…」 マリアが困ったように一枚のメモを見せた。 それには、 ――緊急の用事ができたから、ちょっと出てくる。遅くならないうちに戻る。 とだけ書かれていた。 「私たちが寝たあとすぐに出かけちゃったみたいなのよね。」 「そっか…ネルさんも忙しいもんね。残念だな…」 ね、と同意を求めるように振り向かれ、アルベルは慌てて目を閉じた。 午後になってから、一室に男性陣が集められた。 「それではこれから、男性の皆様に愛と感謝をこめて授与式を行います!」 マリアとミラージュとともに一段高いところへ立ったソフィアの宣言に、フェイトとクリフがお代官様に対する百姓のようにひれ伏す。 「…何やってんだ、てめえら。」 「それが儀式の形式かの?」 「そそ。今日ばっかりは女の子が偉いの。」 「逆らったらいけないんだぞ。」 …いつものことだけど。と口の中で呟くが、そんなことは声に出しては言えない。 「ほほう、おもしろそうじゃのう。こうするのだな?はは〜〜〜っ!」 アドレーは面白がって二人を真似るが、王にすら膝を折らないアルベルがそんなことをするはずもない。 「ふん、くだらねえ。」 「ネルがいないからって、拗ねないの。」 「なっ、そんなんじゃ…!!」 「さあ、はじめましょう。」 「じゃ、まずは私からでーす。」 うろたえるプリン頭を無視して、ソフィアが手を上げる。 「それじゃまず、その他大勢さん。はい、クリフさん、アルベルさん、アドレーさん。」 さりげなく差別を口にしながらそれぞれに小さな包みをわたし、 「はい、これはフェイトに!」 その差別が具現化された立派な包みをフェイトにわたす。 「ありがとう♪」 「…すげー差別…あ、でもこれうまそう。」 「わしもクレアからあんな大きいのをもらいたいのう。」 「……」 しかし義理だろうがもらえるものはしっかりともらう。 「次は私よ。」 続いて、マリアがどことなく不恰好なリボンの包みをわたしていく。 「あ、ありがとうマリア…。」 「…食い物か、これ。」 「思っても口に出すんじゃねえっ!」 マリアの視線を受けて、慌ててアルベルの口を塞ぐ。 「変わった形をしておるのう。じゃが、カラフルできれいじゃな。」 アドレーのフォローに感謝しつつ、ミラージュを必死に促す。 「それでは、私ですね。どうぞ。」 「ありがとうミラージュさん!」 「お、うまそうだな。サンキュー。」 「ほんのり酒の香りがするのが何とも言えんのう。」 「…ふん…」 もらったチョコを眺めている男性陣に、 「ネルさんがまだ帰ってこないですが、わたしといてと頼まれてるので代理でおわたしします。」 「拗ねないでねアルベル。ちゃんとネルの手作りだから。」 「だから…」 言い返す気力もなく、小さな袋を受け取る。 「公平作戦できたか…わー、クッキーだ!」 「へえ、菓子も作れるんだなあ。」 「うう…クレアに頼んでくるぞー!!」 こうしてエリクール組にとっては初めてのバレンタインのチョコレート授与式は、無事に終わった。 夕食を終えて部屋に戻ろうとしたところへ、フェイトが声をかけてきた。 「なあ、ネルさんまだ?」 「なんで俺に聞くんだ。いねえってことは、まだ帰ってきてねえんだろ。」 「そうなんだ…どうしたんだろ。」 「仕事だっつってんだから、ほっとけ。」 相手の返事も待たずに、後ろ手に扉を閉めた。 宿の部屋の小さなテーブルに、まだ手をつけていない四つの包みが乗っている。 そのうちの一つを手にとった。 小さな袋を開けると、チョコレートクッキーが入っている。 「…ふん、阿呆が。」 それを一つ口に放り込み、刀を掴んで二階の窓から外へ身を躍らせた。 ランプの灯りが揺れると、石の壁に映った影も大きく揺れる。 凹凸のある壁に映し出された影が、額の汗を拭った。 「これでよし、と。」 そう呟いたのはネルだった。 ここは、モーゼルの古代遺跡の工房だ。 訪れる者とてない砂漠の遺跡に、一人ネルはいた。 工房の片隅で、壊れ物を扱うかのように箱をそっと包む。 「だいぶ遅くなったね。急いで戻らないと。」 包みを抱えたネルのスミレ色の瞳が、ふいに鋭い光を宿した。 息を潜めて周囲の気配をうかがう。総ての生命に対して殺意を抱く人間にあらざる者の貫くような殺気が、冷気となって流れてくる。 「…ちっ、充分追い払ったと思ったけど、まだ残ってたようだね。」 包みを左手に抱えたまま、右手に竜穿を握った。 あちこち崩れた石造りの遺跡の狭い廊下に、轟音が轟く。 「サンダーストラック!!」 高まった施力の光が紋章を象って弾け、強烈な電撃となって炸裂する。 エクスキューショナーが雷撃に囚われている隙に、施力をこめた短刀を投げつける。 ブーメランのように回転する刃がエクスキューショナーを切り刻み、吸い込まれるように戻ってくる短刀を手にして地を蹴る。 宇宙の生命を滅ぼすために現れたのこ悪魔たちは、こんなものでは倒れてくれない。 相手が少数ならともかく、夜になった今、敵は朝よりも増えていた。 これら総てをいちいち倒すのは、一人では無理だ。とにかく足止めして、その間を駆け抜けるしかない。 「凍牙!」 施力で生み出した氷のクナイを投げつけると、エクスキューショナーの体が瞬時にして凍りつく。 その隙に敵の脇をすり抜ける。 工房は入り口から近いため、角を曲がれば出口はすぐだ。 扉が見えたところで、片隅に重なっていた瓦礫が蠢いた。 「!?」 咄嗟に飛びのいた直後、瓦礫が持ち上がり、見る見る魔物の姿を形作っていく。瓦礫に魔物の魂が宿った、ストーンゴーレムだ。 岩の塊なだけに、その攻撃は強烈だ。 振り上げられた岩の拳を、跳んでかわす。 身を捻って壁を蹴りながら、ネルは左手に抱えた包みに視線を走らせた。 あまり激しく動いてはならない。 しかし敵はこちらの思惑など知る由もなく、唸りを上げて巨大な拳を振り回してくる。 こう動き回っては施術を使う余裕もないし、片手だけではこの硬い装甲を持つ敵にダメージを与えるのは難しい。 「しつこいねえ…っ!」 抱えた包みを守りながら、ひたすらかわす。 そのうちに、勢いあまった岩の拳が廊下の壁を打ち砕いた。 崩れた壁から冷たい夜の砂漠の風が吹き込んだ瞬間、迷わず外へ飛び出した。 「…っ!」 が、ネルの足はそこで止まった。 濃紺の空と青い月の光に支配された砂漠に立ちはだかるのは、エクスキューショナーだった。 仮面のようなエクスキューショナーの顔の前に、エネルギーが集中していく。 「滅ビヨ。」 抑揚のない機械的な声が響いた直後、眩い閃光が襲いかかってきた。 「うあっ!」 咄嗟にかわしたが、右肩を焼けつくような激痛が襲う。 弾みで短刀を取り落としてしまったが、拾う余裕はない。それでも激痛をこらえながらなんとか体勢を立て直す。 びりびりと痺れる右肩を見ると、右袖が千切れて右腕が鮮血にまみれていた。もし身を捻っていなかったら、右腕は吹っ飛んでいただろう。 この傷のため、短刀どころか包みを持つこともできない。ヒーリングを唱えようにも、敵はそんな時間を与えてはくれない。 こんなところで死ぬわけには行かない。 帰らなければ。 絶対に帰らなければ。 そして、これを… 左手に守るように抱えた包みに視線を落とす。 痛みを振り払うように首を振り、後方へ跳びながら詠唱を始める。 「アイスニードル!」 攻撃力は低くても、詠唱が早くすんだほうがいい。 無数の氷の刃が敵に突き刺さり、エクスキューショナーの体が凍結する。 「よし!」 しかし敵はあっという間にその氷を打ち砕き、眼前に迫ってきた。 「…!!」 かわしきれない。 咄嗟に包みを守るように身を捻ったとき、炎のような無数のドラゴンが濁流となって敵を飲み込んだ。 「え…?」 悲鳴を上げ、エクスキューショナーが消滅していく。 敵を飲み込んだドラゴンは、咆哮と共に夜の大気へ溶けるように消えた。 「……」 呆然とドラゴンが消えた彼方を見つめていたネルの背後から、怒ったような声がかかった。 「何やってやがる、阿呆。」 「あんた…」 砂を踏みしめて近づいてくる男の姿に、驚きとともに言いようのない安堵感を感じてその場にへたりこんでしまった。 そんなネルの前に、相変わらず怒ったような表情のままアルベルが屈みこむ。 「どうしてここに…?」 ネルの疑問には答えず、その右腕をとった。 「…っ」 痛みに形のいい眉をしかめるネルの肩に手をかざし、ヒーリングを唱える。 暖かな緑の光が傷を包み、見る見る傷が癒えていく。 「…あ、ありがと…」 礼を言っても相手は相変わらず不機嫌な顔のままで周囲を見回し、砂に突き刺さるように落ちていた短刀を拾って戻ってきた。 「ほらよ。」 「ああ…」 「てめえの親父の形見を簡単に捨てんな。」 「わかってるよ…」 愛用の短刀、竜穿を腰の鞘に戻し、改めて問いかけた。 「あんた、なんでこんなとこにいるんだい?」 何気ない質問だったが、相手は予想以上に動揺したようだった。 落ち着きなく真紅の瞳を逸らし、 「…通りかかったんだよ。」 「何をどうすれば、こんなところを通りかかれるのさ。」 アルベルの反応が面白くて、ちょっと意地の悪い言い方をする。 「うるせえな。俺がどこを散歩しようと勝手だろうが。」 「ふふ、そういうことにしておいてやろうか。」 「…阿呆。」 そっぽを向いて、砂漠の風に吹きさらされた暗褐色と金の髪を乱暴にかきあげる。 そして話題を変えようと思ったのか、ネルの左手に視線を走らせ、 「その包みをこんなところまでとりに来たのか?」 「え…」 今度はネルが動揺する番だった。 慌ててその箱を体の後ろにまわすが、もう遅い。その奇妙な反応に、アルベルも怪訝な顔をする。 「なんだよ。」 「あ、いや、その……」 心なしか頬を紅潮させ、慌てて周囲を見回す。 もちろん、このような夜の砂漠に他に人がいるはずもない。 そして意を決したように向き直る。 その睨みつけるようなものすごい形相に一瞬たじろいだが、さらに持っていた包みを胸に押しつけられて呆気にとられる。 「ほら!」 「は?」 「受けとりな!」 「何で俺が…」 「いいから、あんたにやるって言ってんだよ!!」 やけくそのように怒鳴られ、仕方なく包みを受け取る。 仕事だかでこれを取りに来たのだろうに、何故それを自分に押しつけるのか、わけがわからない。 受け取った包みを掌に乗せると、下の部分がほんのりと温かかった。 「何が入ってんだ?」 「……」 聞いても、ネルは思い切り真横を向いてしまっていて、応えもしない。 なんとなく興味もあり、その場に座り込んで包みをといてみる。そして中から出てきた箱を開けると、甘く香ばしい香りがたちこめる。ますます不審に思って中を覗いたアルベルの鋭い切れ長の眼が、大きく見開かれた。 「なんだこりゃ。…ケーキか?」 引っ張り出してみると、焼いたばかりとわかる温もりが残るチョコレートケーキがひとつ出てきた。 「……」 「……」 妙な沈黙が、二人の間に流れる。 首がおかしくなりそうな角度でそっぽを向いている髪よりも真っ赤なネルの横顔と、チョコレートケーキを見比べているうちに、アルベルも何か思い当たったようだった。そしてふいにくつくつと笑い出し、 「…っくく…阿呆だな、てめえは。」 「……何がさ。」 「何も、こんな辺鄙なところまでこっそり作りにこねえでもいいだろうに。」 「う、うるさいね。いいだろ別に。」 アルベルはなおも笑いながら、チョコレートケーキを手にとって口に運ぼうとする。それを見てネルはうろたえ、 「い、今食べるのかい!?」 「こんなとこまで来たら、腹が減った。」 「で、でも…」 「俺専用なんだろ?」 「………うん…」 消え入るように頷くのを満足げに眺めて、無造作にケーキにかじりつく。 「……」 「……」 夜の砂漠の真中で、黙々とケーキをかじる男の顔色を横目で伺いながら、 「……あんまりそういうの作らないから、知らなくてさ…」 「……」 「ソフィアが持ってたレシピを見ながら作ったんだけど、けっこう難しくて…」 「……」 「なかなかうまくできなくてさ…」 言いながら、相手が何も言わないのでだんだん不安になってくる。 上目遣いに男の顔を覗き込むようにして、 「……おいしくない?」 ネルの不安などおかまいなしに黙々と食べていたアルベルは、小さめとはいえ1ホールのケーキを平らげ、指についたチョコレートも舐めながら、 「…また今度作れよ。」 「え?」 聞き返したネルに、アルベルは視線を逸らして、 「また食いてえから、作れっつってんだよ。」 照れくささを隠すように語気を強めるアルベルをじっと見つめていたネルの顔容に、花が咲くような微笑が広がった。 「……ちぇー、ネルさんが心配なのは自分だけだと思うなよなー。」 僕だって探し回ったんだぞー、と、岩陰に座り込んだフェイトが大きな溜息を吐いた。 「チョコレートケーキのページが破れてると思ったら、ネルさんが持ってってたんだー。あれ、オレンジピールが入っててすごくおいしいやつですよー。」 「クッキーとケーキね…なんだかんだ言いながら、ものすごい差別のつけ方ね。」 一緒に隠れていたソフィアとマリアが頷きあう。 ところで、とソフィアが首をかしげる。 「そういえば他の方たちはどうしたんですか?アドレーさんが『クレアにチョコ作ってもらうんじゃー!』って叫んで走ってったのは知ってるんですけど。」 「それがね…」 フェイトが言いかけて、マリアと目が合った瞬間口篭もる。 「何よ。」 「あ、いや、その…ぼ、僕は知らないよ!」 本人を目の前にして、クリフがマリアの重曹たっぷりチョコを食べて泡を吹き、ミラージュに担がれてディプロに収容されていったことなど、とてもではないが言えなかった。さらにそれを見て、自分は食べたふりだけして机の下に落とし込んだことなど、口が裂けても言えなかった。 人一人病院送りにしておいて自覚のないマリアは明るい声でぽんと手をたたき、 「あ、そうそう。チョコ作りすぎちゃって、結局余ったのよね。だからフェイト、あなたにあげるわ。」 にこりと微笑んで最初にくばったものより大きな袋を差し出した。 「えええええっっ!!!」 「大丈夫よ、義理だから。数が多いほうが皆に自慢できるでしょ?」 「うああぁあぁぁああぁぁう…」 ペターニへ帰ろうと夜の砂漠を肩を並べて歩く二人は、岩陰で泡を吹いて倒れたフェイトのことなど知る由もなかった。 |