いつもと違うあなたが見たくて



 ジェミティの入り口に立てられた看板と、係員の過剰な笑顔による説明に出迎えられた瞬間上がったのは、驚きの声と、歓声と、いかにもいやそうな声と。
「本日はコスプレデーでございます。ご入場の際には、必ずお着替えください。」
「コスプレー!?」
「こりゃまた面倒な日に来ちまったな。」
「…全くだわ。」
「でもでも、楽しそうですよ?」
 物資の補給に来ただけなのに、とこぼすパーティーのメンバーに問答無用でカタログが押し付けられる。
 目の前に浮かび上がるモニタに映る様々な衣装に、どうやら前から興味があったらしいソフィアは目を輝かせている。
「ねえねえフェイト!私が選んであげる!」
「えー?ソフィアが選ぶと、どうせ猫の着ぐるみとかになるんだろ?」
「なーなーおまえら、ナースとかメイドとかやらねえ!?」
「…イメクラじゃないわよ、エロオヤジ。」
「……」
「……」
 既に選び始めている四人を、後ろからネルとアルベルが傍観していた。
「…ねえ。」
「なんだ。」
「…こすぷれって、変装するやつだっけ。」
「そうらしいな。俺はやらねーぞ。」
 仲間たちの肩越しに見える、衣装の数々。そしてジェミティの中を思い思いの衣装に身を包んで歩く人々。
 隣りを見れば、腹と太腿が否が応でも見えてしまう、ある意味既にコスプレ完了のような衣装の男。
「……」
 しばしの沈黙の後にアルベルに向き直り、
「あんたも着替えな。」
「めんどくせえからいやだ。」
「着替えないと入れないっていうじゃないか。つべこべ言わずに着な。」
「買い物だけなら、てめえらだけで行ってこい。」
「着ないと殴るよ。」
「…頚動脈に竜穿突きつけといて、殴るどころの話か。」
 凍りつくような冷気をまとった切っ先を左手のガントレットで払いのけながら、
「なんで俺に着替えさせたがる。」
「決まってるだろ。今日一日は、あんたの腰巻がめくれるのに怯えなくてすむじゃないか。」
「いつも中見てるくせに、何言っ…!」
 回転を加えた肘鉄大攻撃を剥き出しの腹に喰らい、たまらずのめる。
 恐らく顔を真っ赤にしているであろうネルが仁王立ちしている足元を見たアルベルは、喉まででかかった文句を飲み込んだ。
「……」
 仕組みはわからないが、虹色のきらめきが瞬く地面は、立つ者の姿を鏡のように映している。
 それは黒いロングブーツに覆われたすらりと締まった足の持ち主にも言えることで、床に映る虚像はブーツが途切れたさらに上まで再現している。
「……」
 腹を押さえたまま顔を上げたアルベルが、案の定真っ赤な顔をしていたネルの顔をまっすぐに見据える。
「…な、なんだい。」
「てめえも、着るんだろうな。」
「そりゃあ、入るためには何か着ないとならないだろ。」
「よし。」
 何が、よし、なんだ。
 妙な火花を散らす二人の前に、係員がカタログを持ってくる。
「お連れの方たちは、皆様選ばれましたよ。」
 気がつけば、四人とも入り口に作られた特設更衣室に消えている。
 ネルは男性用の受付係員に、アルベルは女性用の受付係員にほぼ同時に詰めより、
「あいつに、ちゃんとしたズボンはかせな!」
「あいつに、もっと長いスカートはかせろ!」
「は?あの、私たちがお選びしてよろしいのですか?」
「「いい!」」
 シンクロ率400%を超えたような二人の剣幕に押され、係員たちは互いに頷きあって、それぞれを更衣室へと連れて行った。

 更衣室を出たところに並んでいるのは、猫耳、猫しっぽをつけて語尾に思わず「にょ」とかつけたくなるようなピンクのフリルだらけのエプロンドレスを着たソフィアと、案の定猫の着ぐるみを着せられたねこにんフェイトと、白と薄縹が清楚な尾花襲の十二単が重そうなマリアと、赤いマントを颯爽と翻す、スーパーマンの衣装を着たアメコミヒーロー体型そのままのクリフ。
 そして…。
 金糸の刺繍で飾られた濃紫のジャケットとベストの、アビ・ア・ラ・フランセーズそのものな衣装のアルベルと、ビーズを星のようにふんだんに縫いつけた真紅色のローブとペティコートをクジラの骨でふわりと広げ、たっぷりとした純白のリボンに飾られたストマッカーが大きく開いた胸元を強調した、これまたロココから飛び出した貴婦人のような衣装のネルが、石化したかのように立っていた。
「…うわー、派手だね。」
「ネルさんもアルベルさんもすてき〜…ベル○らみたい…v」
「そこまでやってくれると、ここに来た甲斐があったって気がするわね。」
「おまえら、ちゃんと対で合わせたんだな。」
「違う!ここの奴が勝手に選んだんだ!」
 ムキになって否定するアルベルの顔も、赤い。
 どうやらあまりに息の合った二人を見て、ここの係員がわざわざ合わせた衣装を選んでくれたらしい。たとえ本人たちがどう思おうと、人に任せてしまったのが運の尽きだ。
 本日に限り衣装の変更はできません、という無情な通告に今更後悔するアルベルと、その後ろに隠れるようにずっと俯いて顔をあげないネルを残して、四人は楽しそうに手を振り、
「とりあえず解散てことで!」
「早く行かないと、次のAランクレース始まっちゃうわ!」
「限定のケーキが売り切れちゃう〜!」
「んじゃ、またあとでな!」
 そそくさとジェミティの喧騒へと紛れ込んでしまった。
「……」
 後に残されたアルベルはしばし立ち尽くしていたが、大きく溜息を吐いて後ろでまだ下を向いているドレスの女に声をかける。
「…おい。」
「……」
「おい。」
「……」
 返事がない。
 そんなに恥ずかしいのだろうか。
 と、アルベルの肩にネルの指がかけられた。
 何かと思って振り返ると、下を向いたまま胸の辺りを押さえたネルが、ふいによろけた。
「!?」
 崩れ落ちてきたネルを支えながらその顔を覗き込むと、紫色と言っていい顔色をしている。
「おい…!」
 ただ事ではないと感じて声をかけると、ネルはようやく顔を上げて、
「……い…きが…」
 奮える唇からそれだけ搾り出すのがやっとだった。
「なに?」
 ふと気づくと、彼女の呼吸が極めて浅い。もしかして、息が出来ない、と言いたいのだろうか。
 急いで周囲を見回して物陰にベンチを見つけると、もはや立っていることもできないネルを抱き上げてそこへ連れて行った。
 ベンチに横たえて改めてその様子を見る。
 ネルの細く締まった腰がいつにも増して細く見えるし、腰から胸のあたりにかけて不自然なラインを描いている。
 試しに振れてみると、ネルの胴を硬いものが覆っていた。
 ぐったりと横たわったままいかにも苦しそうなネルに顔を寄せ、
「もしかして、こいつのせいで息ができねえのか?」
 そう言うと、わずかにうなずいた。
 ならばこれを弛めてやるしかない。
 急いで衣装を探ると、背中に小さなボタンがいくつも並んでいるのに気づいた。
「これか。」
 息が出来ない人間をうつ伏せにするわけにもいかず、ネルを抱えた形で背中に手を回し、背中のボタンを外そうと試みる。
「…う…」
 ちょうどアルベルの目の前に来たネルの顔が苦悶に歪み、いつもより鮮やかな紅色に染めた唇から今にも途切れそうなほどにか細い喘ぎが漏れる。
 そんな女の服を脱がそうとしているこの状況に、思わず妙な気分になってくる。
「……」
 ひゅ…
 わずかに開いた唇から笛が鳴くような弱々しい呼吸音が漏れた瞬間、我に返ったアルベルはぶんぶんと首を振り、
「っと、それどころじゃねえ!」
 慌ててボタンを外す作業に戻る。
 が、ただでさえ外しにくい体勢なのに、するすると滑りやすいサテンのくるみボタンがやたらびっしりと並んでいる。
 三つほど外したところで、細工レベル12の男はぶち切れた。
「ええい!こんなもんちまちまやってられっかよ!」
 言うやドレスを掴み、勢いよくボタンを引き千切る。
 ドレスを胸の下まで引き下ろしたところで、ネルの呼吸困難の元凶がわかった。
 体をびっちりと巻き締める、コルセットだ。
 硬い素材のコルセットがありえないほど硬く締められ、これでは呼吸しろという方が無理だ。
 これも背中に紐があり、その結び目を解こうとする。
「……」
 一体、どんな人間が着せたのだろうか。結び目は硬く締まり、びくともしない。
 衣装に合わないと言われたのをごり押しして、クリムゾン・ヘイトを差してきてつくづくよかったと思う。
 ためらうことなくその刃でコルセットの紐を切った。
 ぶつん、と大きな音がして、弾けるようにコルセットが広がる。
「…くはっ!」
 ようやく戒めを解かれたネルの胸郭が広がり、喘ぐように息を吸い込む。
 溺れた人間よろしくすさまじい勢いで酸素を求めるうちに、顔色も少しずつ戻ってきた。
 買ってきてもらった飲み物を飲んで人心地ついたところで、乱れた呼吸を整えるように大きく息を吐く。
「…ありがとう、助かったよ。」
「ドレスなんぞに絞め殺されてんじゃねえよ。」
 衣装を着せてくれる係員の女がクリフをも超える怪力で、ネルが悲鳴を上げようとかまわずにコルセットを締め付けてくれたらしい。もう一歩で肋骨が折れるのではないかと思ったくらいだった。遥か昔の地球の女とは、なんと窮屈な衣装を着ていたものか。
 ふう、と額の汗を拭ったネルに、ばさり、とアルベルがジャケットを投げてよこした。
「なんだい?」
「てめえの背中、破いちまった。」
 今のネルの格好は、破られた背中から紐を切られたコルセットが覗き、とても人前に出られる格好ではない。
「悪いね、借りるよ。」
 自分が着るには大きな濃紫のジャケットを肩から羽織ると、先程まで着ていた人間の体温が伝わってくる。その温もりが嬉しくてわずかな微笑を閃かせたネルは、隣でベスト一枚になって頬杖をついている男を見た。
 ジャケットと同色の膝くらいまであるベストとキュロット、白い絹靴下に黒のエナメル靴を履いている。
 貸してくれたジャケットは、きらびやかな金糸の刺繍がまんべんなく施された濃紫。
 この男がこれを着ていたかと思うと、ふいにおかしくなってきた。
「…なんだよ。」
 自分の格好がおかしくて笑われたのだと思い、アルベルは不愉快そうに、それでもどこか恥ずかしそうに睨んでくる。
「ごめんごめん、めかしこんだあんたが新鮮だなと思ってさ。」
「悪かったな、どうせ似合わねえよ。」
 ベストの襟元は大きく開けられ、下から覗くレースで縁取った絹襟もボタンが外されている。意地でもきっちり着るつもりはないらしい。
 どことなく拗ねたような表情に破顔しながら、
「いや、そんなことないよ。」
 アルベルの耳元に唇を寄せ、
 …かっこいいと思ったよ。
 彼にだけ聞こえるように、囁いた。
 目を見開いたアルベルに、ネルはいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「……ふん。」
 照れ隠しだとばればれの勢いのよさで視線を逸らすと、こちらも聞き取れないほどの小さな声で、
「……てめえもな。」
 呟いた。
 その呟きは隠密の耳にはしっかり届いていたが、ネルはあえて意地悪く彼の肩に手をかけて、
「ん?なんだって?」
「なんでもねえ。」
「なんでもなくないだろ?もう一回言ってごらんよ。」
「なんも言ってねえよ。」
「ほら、遠慮しないで。」
「いやだ。」
「はっきり言ってごらん。とってもきれいだよって。」
「なっ…!」
 思わず振り返った目の前に、ネルの意地悪い微笑がある。
 アルベルはまた目をそらし、
「…阿呆か。」
 そう言った彼の肩に、とん、とネルの顎が乗る。甘えるようなその姿勢でアルベルをじっと見上げ、
「…似合わないかい?」
 打って変わった寂しそうな顔で、呟いた。
「……っ」
 いつも黒装束に身を包んだ彼女がその衣装を替えただけで、がらりと雰囲気が変わっている。ローブもコルセットも破いてしまったために、ストマッカーの上から覗くと肝心な部分を絶妙に隠してくれるシュミーズが呪わしいほどに胸の谷間が深くまで見えるし、何より艶やかな真紅のサテンがいつも以上に女を意識させる。そんな姿で潤んだスミレ色の瞳でじっと見上げてくるのだ。
 アルベルは観念したように大きく息を吐き、
「……んなこたねえよ。」
 精一杯のその言葉に、ネルは心底嬉しそうに微笑んだ。

 借りたジャケットの長すぎる袖を折り上げ、胸元だけ衣装の乱れを直したネルは、
「…どうしようか。」
「あ?」
「いつまでもここでぼーっと座ってるのもなんじゃないかい?」
「破れたドレスでうろつく気か?」
「うーん…これじゃ変かい?」
 借りたジャケットで一応破れた背中は見えないが、アルベルとしては納得いきかねる。
 渋面を作っている男の顔を覗き込んでいたずらっぽく笑い、
「大丈夫だよ、他の奴には見せないからさ。」
「………あたりめーだ、阿呆。」
 鼻を鳴らしてそっぽを向くアルベルの表情がおかしくて、ネルはくすくすと笑っている。
 そんなネルを横目に小さく舌打ちし、ことさら勢いよく立ち上がって手を差し伸べた。その手を見て、ネルはきょとんとする。
「なに?」
「どっか行くんだろうが。」
「おや、エスコートしてくれるのかい?」
「慣れねえドレスの裾踏んでコケそうだからな。」
 こちらに顔を見せようとしないが、その顔にどんな表情が浮かんでいるか、充分に想像がつく。ネルは微笑んでその手をとり、
「じゃ、お願いするよ。」
 アルベルに手を引かれ、真紅の裾をふわりとひるがえして立ち上がった姿は、大輪のバラが咲いたようだった。

 本人が好むと好まざるとに関わらず、すれ違う人々を思わず振り返らせる豪奢な衣装をまとった見目良い男女の姿が、四角いモニタの外へ消えていく。
「……あーあ、見えなくなっちゃった。」
 モニタを覗き込んでいるのは、ねこにん、で○こ、王朝の姫君、スーパーマンである。
「あちこちにハッキングして遊んでたら、ここの警備システムのカメラにつながるとはねえ。」
「…で、あのお二人、何してたんでしょう。」
「いきなりネルを攫って押し倒して襲ったとしか見えなかったな。」
 残念ながら警備システムのカメラでは音声は拾えない。
「マリア、今のデータ落としといてくれないかな。」
「もうやったわよ。」
 マリアが黒い微笑を浮かべてメモリーカードをひらひらと振ってみせ、それにフェイトがさらにどす黒い微笑でもって応えた。

 『漆黒団長、美しき封魔師団隊長に欲情していきなり街中で押し倒す事件』の映像は、漆黒とクリムゾンブレイドの執拗な追求をもかいくぐり、後々までエリクールどころか全宇宙のマニアの間で高値で取引されたという。




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