アルベル一日体験教室



 一歩ごとに重みを受けた板が軋む音が、静まり返った廊下に響く。
 暗い廊下を歩くのはアルベルだった。
 宿の者も寝静まり、誰もいない階段を上っていく。そして迷うことなくある部屋の扉の前に立ってドアノブに手をかけると、鍵がかかっていなかったらしい扉は苦もなく開いてアルベルを部屋の中へと誘う。
 後ろ手に扉を閉めた彼は知らなかった。
 天井に這う小さな虫の目が、無機質な光を宿していたことを。
 光る目は昆虫の複眼ではなく、ガラスのレンズだった。そしてそのレンズが映すものを、クォッドスキャナの立体モニタ越しに食い入るように覗き込むのは…
「……」
「……」
 フェイトとロジャーだった。
「にいちゃん、便利なもの持ってるな。」
「趣味でね。」
 どんな趣味だ。
 それより、とフェイトが眉根を寄せる。
「……この部屋ってやっぱり…」
「ネルおねいさまの部屋じゃんよ。」
「……」
「……」
 モニタに映し出されている映像は、虫型カメラの移動に従って動いている。その映像が壁を伝い、扉の鍵穴に向かい、中を覗く。
「わお。」
「うわっ!」
 いきなりモニタを消してしまったフェイトに、ロジャーが抗議の声を上げる。
「なんで消しちゃうんだよ、バカチン!!」
「ここからは禁止!表に出せなくなっちゃうだろ。」
「表って何だよ。」
「まあ、それはともかく…」
 ごほん、と咳払いをする。
「…アルベルめ…」
「バカチンプリンめ〜…」
 フェイトの部屋を、重苦しい空気が包む。
「…そりゃあさ、わかってたよ。お互いに立場とか共通するものもあるし、同じ世界の人間だしさ…」
「おいらだって、同じ世界にいるじゃんか!」
「ネルさんが怪我すれば、自分がぼろぼろでも他の仲間が死にそうでもそっちのけでヒーリングするしさ…」
「そのせいで、おいら死んだことあるじゃん…」
「ネルさんが詠唱にはいれば、自分のキャンセルも中断してフォローに入るしさ…」
「おいらだってやってるのに…」
「ネルさんが倒れたら、必ずと言っていいほど怒りモード入るしさ…」
「おいらが何度死んだって、一度も怒ったことないじゃんよ…」
「あいつが仲間になってすぐに、こいつネルさんにめろめろじゃん!!とか思ったよ…」
「先にめろめろになったのはおいらじゃん…」
「その前に出会ったのは僕だよ…」
 最終兵器とタヌキが、同時に深い溜息を吐く。
「両親とソフィアとはぐれて辺鄙なとこに放り出されてわけわからんことに巻き込まれて筋肉オヤジにさらわれたと思ったらまた墜落してとっ捕まって拷問されて…そんなときに現れたネルさんの太も…じゃない、凛々しい姿の何と眩かったことか…!もう、天使が舞い降りたと思ったね。」
「男勝負のためにダグラスの森に入ったはいいけど汚い罠にはまって月影に捕まって変なにいちゃんとデカブツに食われるんじゃないかと怯えて…そんなときに現れたおねいさまは、女神に見えたじゃん…」
 再び、深く大きな溜息を吐く。
「それなのに僕の天使が…!!」
「女神様があんな変態露出狂に!!」
 何でー…と、二人同時に呟く。
「一人で修練場につっこんでったネルさんを助けたのも僕だし、シーハーツの危機を救ってあげたのも僕なのにさ…」
「アミーナってねえちゃん見つけられたのはおいらが案内したおかげだし、太古の書物を持ってきたのはおいらなのに…」
「なんで僕じゃなくてアルベルなんだよ〜!!」
「なんでおいらじゃだめじゃんよ〜!!」
「…いや、それはわかる気がするけど。」
「むきー!」
 ロジャーは丸い頬を膨らませながら、フェイトをびしっと指差す。
「だいたい、にいちゃんにはソフィアねえちゃんがいるじゃんか!ネルおねいさまは別にいいだろ!?」
「胸のでかい幼馴染もまあいいけどね…僕はネルさんに出会って初めて、『萌え』の真の意味を知ったよ。あの太腿は健全な青少年にはもはや犯罪だ!!」
「ふふーん、おいらの位置からだと、おねいさまのスカートの中がよく見えるじゃんよ!」
 フェイトの手がさりげなく傍らの鉄パイプ−R8に伸びる。
「でももれなく、野郎の変態スカートの中まで見えちゃう特典がついてくるじゃん…」
「……ぐあ。」
 思い出してブルーになっているロジャーの肩を、労わりを込めてそっと叩いた。
「困ったことに、ネルさんもなんだかんだ言って好きみたいだしなー。」
「おいらがマリアねえちゃんに頼んで大きくしてもらっても、全然なびいてくれなかったじゃん…」
 そんなロジャーの呟きに、フェイトがはっと顔を上げる。
「なあ、ロジャー。」
 いきなりロジャーの肩をがっしと掴む。
「ん?」
「あいつが羨ましくないか?」
「当たり前のこと聞くなよ。」
「一度でいいから、あいつの立場になってみたいとか思ったことないか?」
「…んー、でもそれはおいらのプライドが…」
「あいつはディプロでネルさんとオフィシャルで同室だぞ!?」
「………なってみたいかも。」
 思わずそう答えると、フェイトがにやりと笑ってロジャーに耳打ちしてきた。その言葉に、ロジャーは夜中だというのに素っ頓狂な声を上げる。
「えええ〜〜〜〜!?」
「しっ。皆が起きちゃうだろ。どうだ?」
「……でもなー…」
「あの部屋、ベッド一つしかなかったんだよなー…」
「やる。」
「よし!そうと決まったら…」
 突然、胡散臭い作戦会議が始まった。

 早朝からその作戦は決行された。
 悪びれることなくネルの部屋から寝ぼけた顔で出てきたアルベルを捕まえ、
「アルベル!夜のうちに漆黒の人から使いが来て、これをわたしてくれって言ってたよ。」
 手紙をわたされ、アルベルは面倒くさそうにそれを開く。手紙には、確かにシェルビーの後について副団長になっている者の字が書かれている。
「…はあ?面倒が起きたから、至急修練場に来てくれだあ?」
 知ったことか、と今にも言いそうなアルベルの肩を掴み、
「そりゃたいへんだ!おまえの大事な部下たちだろ!?早く行ってあげなくちゃ!!」
「団長がいないと、きっと皆困ってるぞ!男なら行くじゃんよ!」
「僕たちなら大丈夫!アルベルが戻るの待ってるからさ!」
「心配せずに行ってこい!」
 アルベルが何を言う間も与えず、問答無用で叩き出した。
「よっし!偽手紙作戦成功!」
「にいちゃんの持ってる機械ってすごいじゃん!簡単に本物そっくりなの作れちゃったじゃん!」
 もはや未開惑星保護条例など、完全に無視している。
「さ、次行くぞ!」
「おー!」
 そして二人が真っ先に向かったのは、マリアのところだった。
「…で。朝っぱらからそんなバカなことを頼みに来たわけ?」
 呆れるマリアの前に、フェイトとロジャーが土下座している。大願成就のためならば、土下座くらいなんでもない。
「お願いいたしますマリアさま!!」
「お礼になんでもしますです!」
「ふーん…。あんたたち、男としてのプライドもへったくれもないわね。」
「プライドなんて萌えの前には無用の長物!」
「あなたさまにしかできないのです!」
 阿呆なまでの二人の真剣さに、マリアはついに頷き、
「わかったわよ。まあ、おもしろそうだし。」
「うわーい!!」
「やったー!」
「でも、なんでもするって約束は忘れないでね。」
「も、もちろんです…」
 にこりと微笑まれて一抹の不安を覚えながらも、作戦の遂行を優先した。


 今日は休憩ということになり、各々が思い思いの時間を過ごすこととなった。
 ペターニにいることもあり、ネルは部下といろいろ連絡をつけたりするために、連絡場所となっている家へと向かっていた。
 その後ろ姿を見つけ、思わず胸が高鳴る。
 期待と不安で心臓が爆発しそうになりながらも歩調を速め、ネルに追いすがる。
 そして深呼吸をしてから、
「おい。」
 声をかけると、振り向いたネルが驚いた顔をした。
「あんた、出かけたんじゃなかったのかい?」
 振り返った視線の先にいるのは、アルベルだった。
「いや、やっぱり大丈夫ってことになって…」
「ふうん…」
 首をかしげるネルが、怪訝な顔で見上げてくる。
 その上目遣いの視線に思わずぎくりとして、
「な、なんだよ。」
「…いや…なんかやけに機嫌よさそうじゃないか。」
「そんなことないじゃん…いや、ない。」
 慌てて言い繕う様子を、ますます不審そうに見ている。
 確かに今のはまずかったじゃん。
 そう心の中で呟いたアルベルは…実はロジャーだった。
 マリアの力で、アルベルの姿に変えてもらったのだ。
 これが、フェイトとの作戦だった。
 名付けて、「アルベル一日体験教室」。
 しかし姿だけを変えても言動が違えば怪しまれるので、あらかじめしっかり研究をしておいた。
 アルベルがアルベルである条件として、
 無愛想、強引、阿呆、クソ虫
 この四つが必須項目として掲げられている。
 あとはアルベルの口調をいかに真似るかだ。
 しかし真っ先に表情の点をつっこまれてしまったあたり、まだ甘かったということだ。
 ロジャーアルベルは取り繕うように、
「…おい、ちょっと来い。」
「え?」
 必須条件その二「強引」だ。ネルの腕を引っ張って、ずんずんと歩いていく。
 本来の自分の手よりずっと大きな手でネルの腕を掴むと、なんとほっそりしていることか。
 またにやけそうになる口元を必死に引き締める。
 そして人気のない一角に連れてくると、後ろを向いて己を落ち着かせるために大きく深呼吸した。
「なんだってんだい?」
 ネルは明らかに不審を抱いている。
「用なら手早くすませてくれないかい?」
 これでは普段の調子と変わらない。相手がアルベルだからといってころりと態度を変えるわけではないところは嬉しいのだが、それでは目的が達せられないので複雑だ。
 それならば、どうしたものか。
 悲しいかな、そこは所詮お子様だった。大人の男女間の手練手管などわかるはずもない。
 背中を向けたままどうしようかと悩んでいるうちに、
「急ぎでないなら、私は行くよ。先にやりたいこともあるし。」
「え!?そんなっ!」
 ネルが行ってしまう。
 慌てたロジャーアルベルは、何を思ったかいきなりネルをその腕に抱きしめた。つい、いつも甘えて飛びついているのと同じ気持ちになっていたのかもしれない。
「わ…!」
 これにはネルも驚いたようだ。
 いつもは背の高いネルに下から飛びついて見上げているのだが、見下ろす立場になると抱きしめた体がなんとも小さく思える。
「い、いきなり何すんだい!離しなっ!」
 言いながら胸板を叩く手が、どことなく弱く思える。
 か、かか、かわいいじゃんか、バカチン…!!
 もうこれだけで天に昇ってしまいそうな気分だ。本当は、チューまでするぞ!というのが野望だったのだが、それ以前に幸せが頂点に達してしまった。やはりそこはお子様である。
「ちょっと…あんたどうしたんだい?そんなに緊張して…」
 腕の中から聞こえる声が、トリップしていたロジャーアルベルを現実に引き戻す。
 やはり中身がロジャーなだけに、ネルを抱きしめた昂奮で心臓が暴れてしまっている。本物ならこれくらい屁でもないだろうに、これはまずいと思っても、脈拍を自由にコントロールするなどガ○ダムに乗ったテロリストでもない限り普通の生物には不可能だ。
 あわわ、ばれたらまずいじゃん!
 慌ててネルを離すと、顎をマフラーに埋めて自分を上目遣いで探るように見上げている。その頬がほんのりと紅潮していて、よく見るネルの癖とも言える仕草なのに新鮮に見える。
 うっわー!!メラかわいいじゃん!!!
 またしても空高く舞い上がってしまった。
 惚けているアルベルを、ネルは不気味なものを見るような顔で見上げる。
「…あんた、悪いものでも食べた?」
「いーえ、そんなこと…」
 既に口調も戻っているが、本人は気づいていない。
「だって、さっきから変だよ?」
「いえいえ、なんでもありません〜。」
 たとえ口調がロジャーのものであっても外見は完全にアルベルなので、ネルに正体がわかろうはずもない。
 不審そうな顔が、だんだん心配そうになってきた。
「熱でもあるんじゃないかい?なんか顔も赤いし…」
 自分より高い位置にある頭を掴んで引き寄せ、額をつけてみる。
「……っ!!」
 目の前に、ネルの顔がくる。
 その瞬間、
「邪魔なんだよっ!!」
 衝撃音がして、ネルの前からいきなりアルベルが消えた。
 顔をくっつけていた状態だったので、何が起こったかわからないまま呆然とするネルの前に、いつのまにかアルベルが戻っていた。
「ああ、いや、マジでなんでもねえ。」
 ふう、と何やら額の汗を拭っている。そしてちらと視線を横に馳せると、建物の影にひっくりかえっているロジャーアルベルの姿が見えた。
 その姿が見えないようにさりげなく体で遮るアルベルは、やはり本物のアルベルではなかった。
 …無愛想強引阿呆クソ虫、無愛想強引阿呆クソ虫…
 口の中でそう繰り返すアルベルは、フェイトだ。
 ロジャーよりはうまくやる自信はあるが、相手はプロの隠密だ。いかにばれないようにするかが腕の見せ所である。しかし演技などというものは、中学時代の学芸会でソフィアの陰謀で王子様役をやらされたとき以来だ。(もちろんそのときのお姫様はソフィアだった。)
 目を閉じて何やら口の中でぶつぶつ言っているアルベルを、ネルはさらに不審そうに見上げている。
「…なんでもないっていうなら、私はもう行くよ。」
 そう言った声が不機嫌に傾いていることに気づき、フェイトアルベルは我に返った。
 背中を向けたネルの腕を掴み、
「待てよ。」
「だから何だって…!用があるならさっさとすませな!」
「用なんてねえよ!」
「な…」
 狼狽したようなネルの表情を見た瞬間、開き直った。こうなったら、勢い任せだ。
「用がなけりゃ、てめえを引き止めちゃいけねえのかよ。」
「…っ」
 言葉に詰まって思わず視線を逸らすネルの仕草に、
 うわああああ!!ネルさんかわいいい!!!
 考えることはロジャーと一緒だった。
 自分の表情を読まれないように、ネルの腕を引っ張って胸板に赤い髪を押し付ける。今度は逆に、少し早いネルの心臓の鼓動が伝わってくる。
「…バカだね、あんた…」
 自分の胸に額を押し当てたままそう呟いた声は、魔物に向かって
「這いつくばりな!」
 などと高飛車に挑発しているネルと同一人物とは思えない。
 アルベルはいつもこんなネルを見ているのか。
 そう思うと、フェイトの中の謎のヒートアップゲージがすさまじい勢いで上昇していく。
 …今度戦闘中にイセリアルブラストに巻き込んでやる。
 そんなことを考えていると、胸の辺りからまたかわいらしい声が聞こえた。
「…あんた、もしかして今朝のことで拗ねてるのかい?」
 は?今朝のこと?
 アルベルではない自分にそんなことがわかるはずもない。
 今朝のこととは一体なんだ。ネルの部屋から出てきた瞬間にアルベルを捕獲したはずだ。ということは、今朝のこととはネルの部屋の中での出来事というわけで。
 またも謎のヒートアップゲージが上昇していく。
「…誰が拗ねるか、阿呆。だが…」
 動揺を必死に隠しながら、試しにカマをかけてみることにした。
「なんなら、ここでやってくれてもかまわねえぞ。」
 あてずっぽうに言ってみたのだが、がばと顔を上げたネルはその顔を髪よりも真っ赤にして、
「そ、そんなことできるわけないだろ、大バカっ!!」
 盛大に、しかしとてつもないかわいらしさで罵声を浴びせられてしまった。
 …アルベルめ、一体今朝何をやってもらおうとしたというのだ。
 思わず顔を真っ赤にしてしまうような、外ではできないような、日頃のクールビューティが吹っ飛ぶほどに動揺しまくってしまうような…
 考えているうちに、ヒートアップゲージが限界点を突破した。
 ……アルベルめ、イセリアルブラスト(大)決定だ。
 いつもの癖で黒い微笑を浮かべてしまったが、幸い動揺しているネルは気づかないでくれたようだ。視線を泳がせ、火照っているらしい頬に手を沿えながら、
「…い、いやだってわけじゃない…から、さ…」
 何を?
 そう言いたいのを必死にこらえる。
 両手が不自然な位置でわきわきと動いている。このままネルをひっ抱えてお持ち帰りしたい衝動と戦っているフェイトアルベルが、思わず本能に負けてしまいそうになったとき、
「メラ汚え!!」
「うわっ!!」
 横合いから喰らったチャージに吹っ飛ばされる。
「おいらのことふっ飛ばしといて、自分ばっかずるいじゃんか!!」
「おまえが一人で暴走するからだろ!」
「そういう自分だって暴走してるじゃんか!」
「してない!おまえと一緒にするな!」
「今、お持ち帰りしようとしてたじゃんよ!」
 二人のアルベルが、全く違う口調で怒鳴りあっている。
「………ねえ……」
 呆然としたようなその声に、二人のアルベルははっと我に返った。
 ネルと、アルベルと、アルベル。
 三竦みのようにその場に固まっている。
 呆気にとられているネルの前で同じ顔を見合わせた二人のアルベルは、互いを同時に指差し、
「「誰だきさまは!!」」
 叫んでいた。
 しかしその直後、
「きさまらこそ、誰だ。」
「「へ?」」
 背後から響くドスの利いた声に、二人のアルベルが恐る恐る振り返る。と、そこにいたのは…
「げげっ!!」
「やばい…!」
 本物の漆黒騎士団団長が、鬼のような形相で立っていた。
「こ、これって…」
 わけがわからないところへさらに増えて三人になったアルベルに、ネルは驚き混乱している。
 二人のアルベルは互いに視線をかわすと、示し合わせたように本物のアルベルに突進する。
「!?」
 アルベルも自分自身が二人も向かってくるのだから、驚かないはずがない。一瞬反応が遅れたアルベルの腕をそれぞれ左右から掴み、
「うおりゃーーーーーー!!!」
「おわあっ!?」
 いきなりぐるぐると回転しはじめた。
 新技かと思うようなすさまじい回転の末に、三人とも目を回してひっくりかえる。
 呆気にとられて見ていたネルは、ひっくりかえったアルベルたちのもとへ恐る恐る歩み寄る。
「…一体、どうなってんだい…」
「こいつらは偽者だ、阿呆…!」
「本物は俺だ!」
「この俺を偽者と間違いやがったら、たたっ斬るぞ!」
「……」
 口々に言うアルベルたちを見回したネルは、脱力したように大きく溜息を吐いた。
「ったく、わけがわからないよ…説明してもらおうか。」
左端にいるアルベルに手を差し出すと、
「説明してほしいのはこっちだ、阿呆。」
 その手を取って首を振りながら立ち上がったアルベルを見上げて、他のアルベルたちは一様に抗議する。
「なんでそいつなんだ!」
「俺だっつってんだろ、阿呆!」
 二人のアルベルを各々見回して、ネルはもう一度大きな溜息を吐き、
「…並べてみたらわかったよ。あんたは表情がころころ変わりすぎる。あんたは腹の底でなんか企んでそうだ。まっすぐ単純に凶悪そうなのはこいつだ。だから、本物はこいつだよ。で、あんたたちは何者なんだい?」
「……」
「……」
 きっぱりと言われ、二人のアルベルは顔を見合わせた。
 そしてこちらも深い溜息を吐き、
「あーあ…いい感じだったんだけどなあ…」
「にいちゃんのせいでバレちゃったじゃんか、バカチン…」
 二人の口調に、本物のアルベルが眉をひそめる。
「てめえら…フェイトとロジャーか!?」
「…え?」
 ネルの目が点になる。
「ロジャーに邪魔されなければ、バレなかったのに…」
「そういうにいちゃんだって、ボロ出しまくりだったじゃんか!」
「…きさまら、俺に化けて何やってやがったんだ…?」
 さすがのアルベルも、怒るより前に呆れている。
「いや、一度おまえの生活ってものを体験してみたくてさ…」
「はあ?」
「だっておまえに化ければ、普段と違うおねいさまが見られそうだと思って…」
「……」
「まあ、一日体験教室ってことで…」
「なんでこんな早く帰ってくるんだよ、バカチン!!」
「……偽手紙だとわかったんでな。幸い疾風の奴がいて、ここまで送らせたんだ。」
 ちき、と鯉口を切る音がする。
「え…じゃあ、あれって…」
 震えるか細い声に振り返ると、爆発しそうなほど顔を真っ赤にしたネルがいた。
 そして三人のアルベルと目が合った瞬間、
「……っ」
 ネルは顔を両手で覆ってその場にへたり込んでしまった。
「ぐあああああ!!おねいさまかわいいじゃんよ!!!」
「ネ、ネルさんかわいいいいい!!!」
 思わず煩悩ゲージが臨界突破した二人の目の前に、冷たく輝く白銀色の刃がずらりと鞘から抜き放たれた。
「……てめえら…ありえねえほどぶっ殺ス!」
「それはこっちの台詞じゃんよ、バカチン!!」
「おまえみたいな奴は、ディストラクションの刑だー!!!」
 ペターニの片隅で、また星の船が襲撃してきたかのような破壊音が轟いた。


 部屋の隅に、闇のオーラを全身にまとったかのような暗さでもって膝を抱えている女がいる。そして椅子に逆向きに腰掛けて背もたれに頬杖をついた男が、何度目かの溜息を吐いた。
「いつまで落ち込んでやがるんだ、てめえは。」
「…うるさいね…あんたこそ、早く自分の部屋に戻りな。」
「今日に限って戻る気はねえよ。」
「…あんたがそうだから、あいつらが変なこと思いつくんじゃないか…」
「ちっ、相変わらずめんどくせー思考回路だな。」
「…あんたが単純すぎるんだ…」
 相手がフェイトやロジャーだと知らずにとってしまった自分の言動を思い出すと、どん底に落ち込む。
 そんなネルの背後に腰を下ろす音がして、その膝と腕に抱え込まれた。
「今更悔やんだってしょうがねえだろ。」
「だって…いくら完璧に化けてたって、偽者と本物の区別もつけられないなんて、隠密失格だ…」
「だな。この俺と偽者の区別もつけられねえとは、修行不足もいいとこだ。」
「…悪かったって言ってるだろ。」
 俯いていたネルの顎に指をかけて、上を向かせる。
「あいつらが見たってのが、おもしろくねえな。」
「何を…?」
「てめえのそういう顔だ。」
「……っ」
 頬を赤らめて顔を背けようとするのを、面白そうに笑いながら眺める。
「まあ、これに懲りたらキスのひとつやふたつ、ケチらねえこったな。」
「それで終わらないくせに何言ってんだい!」
「どうやらもっと俺ってもんを教えてやらにゃなんねえようだからな。ついでだから、二度と間違えようがないくらいに叩き込んでやる。」
「バカ…!」
 怒ったように言いながらもその白い腕をアルベルの首に絡めるように巻きつけ、そっと唇に触れるような口付けをする。
 アルベルはまだ唇が触れそうな位置でにやりと笑い、
「これじゃまだまだ足りねえな。」
「…間違えないよ、もう。」
 拗ねたような声とは裏腹に、そのスミレ色の瞳は微笑んでいた。
 そして今度は、ゆっくりと、深く唇を重ねた。



「なんでおいらがこんな目に遭わなくちゃいけないじゃんよ、バカチン!!」
 つるはしを放り出し、ロジャーが地面に転がって叫ぶ。
「全部にいちゃんのせいだー!」
「なんだよ、自分だって大乗り気だったじゃないか!」
 こちらもつるはしを持って言い返すのは、フェイトだ。
「善良な少年を甘い言葉で悪の道に引きずり込んだのはにいちゃんだー!」
「人聞きの悪いこと言うなよ!」
 言い合う二人の鼻先を掠めるように熱を持った風が疾り抜け、岩壁に音を立ててめりこんだ。
 漂ってくる硝煙の臭いに、二人がそっと振り返る。
「手元がお留守になってるわよ?」
 微笑を浮かべて、しかしその目は少しも笑っていないマリアが、銃口をふっと吹く。
「クォークの小型艇が落ちたのは?」
「…僕のせいです。」
「もう一機も壊れたのは?」
「…僕のせいです。」
「なんでもするって言ったのは?」
「…おいらです。」
「じゃあ、無駄口叩かずに修理代を稼げるだけの宝石を掘りなさい。」
「……はい。」
「…はーい…」
 ベクレル鉱山のさらに奥深くで、岩を掘る音が三日三晩休むことなく鳴り響いていたという。




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