Blade!!


<一>



 豊かな森に囲まれた国、バルドア。ここ二十年程は隣国との戦争もなく平和が続いていたが、かえって国内の貴族間の利権争いが激化し、内乱寸前の不穏な空気が蔓延している状態にあった。
 貴族たちが権謀術数を繰り広げる中、一つの家が台頭してきた。豪族上がりの新興の貴族だが、ドノー家は強力な武力によって次々と旧来の貴族たちを圧倒し、服従させていった。そしてついには現当主の娘ロンダが国王の愛妾となり、王妃亡き今、王宮を我が物顔で取り仕切っていた。今や宮廷内のことごとくは、ロンダなくしては動かない。ロンダの意思は、すなわちドノーの意思だ。国王に世継ぎとなる王子はいるが、ロンダに息子が生まれたら排除されると誰もが思ってはいるものの、決して言葉に出しては言わない。己の命が惜しいからだ。
 ドノーはもはや王家をも凌ぐ存在となっていた。

 街道沿いの町は、冬に入る前に大方の仕事をすませてしまいたい商人で賑わっていた。
 昼の稼ぎ時にテーブルを店の外にまで並べている店の片隅に、一人明らかに商人とは違う空気をまとう青年がいた。眼光鋭い端正な顔の真ん中には真一文字の傷跡があり、背負ったままの大きな剣は明らかに商人のものではない。
 その青年が盛りだけが自慢の料理を安酒で咽喉に流し込んでいた時、騒ぎは起こった。
 いかにもガラの悪そうな男に蹴られた老人が店の客にぶつかり、食器が割れる音と周囲の人々の悲鳴が重なった。
「このじじい!人を泥棒扱いしやがんのか?」
「今、わしの財布を掏ったじゃろう!」
 老人がよたよたと立ちあがろうとすると、男はその胸座を掴んで引きずりあげ、拳を振りかざした。
「言いがかりつけやがると、じじいだからって容赦しねえぜ!」
 その拳が振り下ろされようとしたとき、老人の前に飛び込んだ者がいた。
「乱暴はおやめなさい!」
 老人をかばって叫んだ声は、小鳥のさえずりのように軽やかであった。
「何だぁ?」
 いきなり割り込んで来た者をじろりと見ると、まだ幼さを残した、素晴らしく美しい顔立ちの華奢な少年であった。白磁のように真っ白い頬を紅潮させ、男をきっと見上げる。
「あなたはこの方にわざとぶつかったではありませんか!」
 やけに丁寧な口調の少年は、いかにも育ちのよさそうなお坊ちゃまだ。小柄で華奢な体を緊張させ、両手を広げて老人をかばうが、男はせせら笑い、
「へっ、でしゃばるなよ坊や。おとなしくママのお膝でねんねしてな!」
「あっ…!」
 男に襟首を掴まれ、ぐいと引き寄せられた。
「……。」
 酒をあおって飲み干した青年が、静かに席を立った。
「お節介は怪我するってことを覚えときな!」
 頭上にかざされた拳に少年は思わず目を閉じた。
「いてえっっ!」
 誰もが少年が殴られたと思ったが、上がった悲鳴は殴ろうとした男のものであった。襟首を開放された少年がはっとして目を開けると、目の前の男の手がいつのまにか現れた青年にねじあげられていた。
「じいさんとガキ相手に、大人げないぜ。」
「は、放しやがれ!」
「ほらよ。」
 青年がその手を翻すと、男は地面に叩き付けられてしまった。
「や、野郎!」
 飛び起きようとした男の目の前に、靴底が迫る。
 ぐしゃ。
 鈍い音とともに男は再び地面に叩き付けられた。青年は、鼻と口から血を流して目を回す男の脇に屈み、上着をめくって裏を探ると、財布を抜き出した。
「これか?じいさん。」
「あ、ああ、これじゃ!」
 ぽんと投げられた財布を手にとり、何度も頷くのを見て青年は立ち上がった。
「……」
 少年が我に返ったときには、青年は人だかりをかき分けて行ってしまっていた。
「ありがとうな、坊や。」
 老人に声をかけられ、少年は慌てて振り向き、
「だ、大丈夫ですか!?お怪我は?」
「いや、おかげさんで大丈夫じゃ。あの兄さんにも礼を言いたかったのう。」
「ええ、けれどもうお姿が…」
 少年は気遣いながら老人を見送り、まだ残っていた見物人をとらえ、
「先程助けてくださった方をご存知ですか?」
「さあ、この辺じゃ見ない顔だねえ。」
「そうですか…ありがとうございます。」
 少年は礼を言うと、自分の荷物を持って急いで駆け出していった。
 青年に蹴倒された男はようやく息を吹き返し、悔しげに唇を噛んだ。
「ちくしょう!あの野郎、ただじゃすまさねえぞ!」
 周囲の人々を突き飛ばし、これまた駆け出していった。
 一瞬の嵐が去った後、人々は口々に今の様子を噂し始めた。
「それにしても、あの坊主すごい美形だったなあ。女みたいだ。」
「いや、女でもあれほどきれいなのは見られないぞ。」
「いい服着てたけど、どこの坊ちゃまかねえ。その割に共も連れないで…」
 その少年は自分が噂されていることなど知らず、先程の青年を捜していた。
「お顔にこう傷のある、若い男の方はこちらにいらっしゃいませんでしたか?」
 あちこちに聞きまわり、西の方へ行ったとの情報を得、そちらへ急ぐ。
 黄色く色づいた木々に囲まれた街道を歩く青年は、ふと先程のことを思い浮かべた。
「今時珍しい奴もいたもんだな。腕に覚えもねえくせに、あんなじいさんかばうなんて。」
 しかしそれに実力が伴っていなくては、この世の中では早死にするもととなる。世間知らずのお坊ちゃんだからこそ、できたことだろう。口の中で独語する青年の後方から、聞き覚えのある声がかかった。
「お、お待ちください!そこの方…!」
 息を切らせた声に振り向くと、ちょうど今思い出していた例の少年が走ってくるではないか。少年は人違いでないことを確かめ、駆け寄ってきた。
「何か用か?」
 全力疾走してきたと見え、細い肩で大きく息をしている。少年は何とか呼吸を整え、
「さ…先程は助けていただきまして…ありがとうございました…」
「別に。情けなさすぎて見てられなかっただけだ。…で?」
「あ…その、お礼を申し上げる前に、お姿を見失ってしまいましたから…」
「まさか、それだけのために走ってきたのか?」
「はい。」
 きっぱり言い切った少年に、青年は思わず呆気に取られた。
…何だ、こいつ。
 呆然とする青年の前で少年は真面目な顔で、
「危ういところを救っていただきながら、お礼を申し上げないわけにはいきません。是非お名前をお聞かせください。わ…いえ、僕はフィルと申します。」
 ここまでばか丁寧に言われてはどうしようもない。青年はくすんだ金髪を掻きあげ、
「別に名乗るほどの代物じゃねーんだけどな。まあいいや、俺はロデリック。周りはロッドって呼ぶけどな。これで気が済んだか?」
「はい。お忙しいところを、ありがとうございました。」
 にこりと笑う少年フィルを改めてじっくり見ると、何やら全身むず痒くなってしまう。
 ちょっとくせのある柔らかそうな眩い黄金色の髪の、深い海のように透き通ったサファイアの瞳が何とも可憐な少年は、まるで大理石の彫刻のようだ。
…本当に男か、こいつ…
 思わず悩むロッドと名乗る青年に、フィルはまだ声変わりしていないらしい高い声で、
「では、僕はこれで失礼いたします。」
 立ち去ろうとしたとき、突如ロッドのアイスブルーの瞳が鋭く光った。
「動くな。」
「え…」
 厳しい声に驚いて立ちすくんだフィルの前にロッドが立ち、森の奥を睨み付けた。
「隠れてねえで出てきな。」
 その声に応えるように、木々の陰から十人程の男たちが現れた。その先頭に、顔に包帯を巻いた先程の男がいる。どうやら仲間を集めて仕返しに来たようだ。
「さっきはよくもやってくれたな。ぶっ殺してやる!」
「ふん。」
 男たちが武器を手にするのを見てもロッドはうろたえる様子もなく、背中からずらりと大剣を抜き払った。その刃を見て顔色を変えたフィルに、
「お前も剣持ってんなら抜いとけ。逃げられねえぜ。」
「は、はい!」
 慌てて腰に吊っていたレイピアを抜くが、どうにも頼りない構えを見て、ロッドは小さくため息をつき、
…ま、無理もねえな。
 フィルはレイピアを握り占め、小刻みに震えていた。
「やっちまえ!」
 男の合図とともに、一斉に襲い掛かってくる。
 激しい金属同士のぶつかり合う音がして、ロッドは大剣を一振りして一度に三人の剣をなぎ払った。
「うわっ!」
 バランスを崩す三人に、間髪入れず剣撃を見舞う。瞬時に三人の手が、足が飛び、血飛沫があがる。
 ロッドがちらりとフィルの方を見ると、こちらは一人相手に苦戦していた。相手の剣をかろうじて防いでいるように見えるが、実はただ遊ばれているだけで、腕力にも乏しいらしくどんどん押されて行く。
「…あーあ。」
 天を仰ぐロッドは、自分に切り掛かってくる敵をこともなげに弾き飛ばし、フィルに声をかけた。
「おい!残りは俺が片づけてやるから、一人くらいてめえで片付けてみろ!」
 絡まれた老人を助けようという心意気があっても、肝心の腕がなくてはどうしようもない。それくらいできるようになってから行動しろ、と言いたかった。
「ええっ!?あっ、は、はい!」
 大丈夫かね、と思いつつ、ロッドは襲い掛かる男たちをまるで塵を払うかのようにあっさりと撃退していく。一応殺してはいないが、いずれも失神したり、手や足を斬られて戦闘不能に陥っている。
 あっという間に仲間を失った包帯の男は、大剣を突き付けられて怒りと恐怖に震えながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
「つ、つええ…」
「あのままおとなしく逃げてりゃよかったのになあ。」
「そ、その一文字の傷…まさか、きさまロッド・ライド!?」
「だったらどうする。」
「うわ…!」
 地べたを這いずるように逃げ出す男の右手が、斬り飛ばされた。男はバランスを失って転げながらも、ほうほうの体で逃げていった。
 一方、フィルの方は木の根本に座り込み、追いつめられていた。青ざめてぶるぶると震える様子に、ロッドは小さく首を横に振った。
「ちくしょう!てめえだけでも殺してやる!」
 やけくそになった男が振り上げた剣に、フィルは頭を抱えて悲鳴を上げた。
「やっぱだめか。」
 いきなりすぐ側から聞こえた声に驚いた男が振り向こうとした瞬間、脇腹を思い切り蹴飛ばされてもんどりうって吹っ飛んだ。勢いで木に激突した男は気を失ったのか、立ちあがらない。
 それでもフィルはまだ震えている。
「おい。」
「!」
 ぽんと頭を叩かれ、ようやくフィルは我に返った。
「あ…」
 息を切らせ、怯えた瞳を動かして戦いが終わったことを確かめる。
 襲撃者たちがもう誰もこちらへ来ないとわかって、ようやく大きく息を吐く。ロッドはフィルの腕を掴んで引き起こしてやった。ゆったりとした上等の服に包まれたその腕は、とてもか細い。
「こんな腕じゃあ、剣は使えねえな。」
「は、はい…この旅に出るまでは、嗜みだけでしか剣を習いませんでした…」
「そんなんで一人旅か?」
「いえ…先日まで供の者がおりましたが…いずれも命を落としてしまいました…」
 フィルの表情が悲しげに曇る。この身なりからして、盗賊にでも襲われたのか。
「お前一人じゃ、すぐにあの世行きだ。さっさと家に迎えでも頼むんだな。」
 荷物を拾って立ち去ろうとするロッドを、フィルが慌てて引き止める。
「お待ちくださいロデリック様!お願いがあります!」
「あん?」
 家まで送ってくれとでも言うつもりだろうか。しかしフィルはロッドの前に跪き、
「とてもお強いあなたにお願いしたいのです!どうか…どうか助太刀してください!」
 その尋常でない言葉に、ロッドの目が光る。
「助太刀…?仇討ちでもするつもりか?」
「はい、両親と兄の敵です!」
「お前さんの腕じゃ、どう考えても返り討ちだな。」
「わかっております!ですから、どうか…どうかお力をお貸しください!!」
 澄んだ瞳に涙を浮かべ、じっと見つめられるとロッドもたじろいでしまう。とても嘘を言っているようには思えないし、何やら胸の奥底がざわめく。…相手は少年なのに。
「フィル…とか言ったな。俺は傭兵だ。雇いたけりゃ、金がいるぜ。」
 どうしたものかと考えながら試しに言ってみると、
「かね?ああ、お金ですね。お金ならあります!」
 そう言って荷物から大きな袋を出して口紐を解き、ロッドに見せた。
「おお!?」
「このようなものでよろしければ、お好きなだけ差し上げますから…」
 ロッドの目の前で口を開けた袋の中には、まばゆいばかりの金貨がびっしり詰まっているではないか。しかも、庶民にはお目にかかれない大金貨まである。今までにこれほど豪華絢爛なお宝を見たことがない。これを「このようなもの」で片付けるあたり、この少年は並みのぼんぼんではなさそうだ。
「……」
 ロッドはしばし見とれていたが、すぐに顔をあげ、
「ほんとに、いくらでもくれるのか?」
「はい。本懐を遂げることが叶い、帰りましたらば、もっと差し上げられます。」
「…乗った。」
 ものの見事に財宝に目が眩んだ。しかし不純な動機に罪悪感を覚えるほどフィルは心底嬉しそうに目を輝かせ、
「ありがとうございます!」
 引き受けておいて、ふと肝心なことを聞き忘れていたのを思い出し、今更な質問をしてみる。
「…ところで、相手はどんな奴だ?居場所はわかってるのか?」
 嬉しそうだったフィルの表情がふいに凍り付き、強張る唇が震えた。
「…ダイロン・バル・ダン・ドノー…」
「ドノー…?」
 ロッドの記憶の端に引っかかる。が、すぐに思い出し、思わず目を見張る。
「まさか、あの貴族の!?」
 フィルは無言で頷いた。
「ドノー家っつったら、今は国王も意のままだって言うじゃねえか!そいつをお前が!?」
「そうです…!」
 フィルのサファイアの瞳に、悲しみと怒りがない混ざった炎が宿る。
「…ドノーは僕の家族を殺しました…!」
「……」
「…笑っていたのです!苦しむ両親を見下ろして…!兄も、殺されました……無残に殺された家族の無念を晴らしたいのです!ですから…どうか…どうか…!」
 フィルの両目から、大粒の涙が零れ落ちた。怒りか悲しみか、細い肩をぶるぶるとわななかせている。それをじっと見つめていたロッドは思案するより先に、口が動いていた。
「…わかった。ちゃんと助太刀してやるから、立てよ。」
「…ロデリック様…」
 涙に濡れたフィルの顔の妙な可憐さにロッドは一瞬詰まりながら、金の入った袋をフィルに突き返した。
「これはあなたに…」
「仇を討てたらもらってやる。持ち逃げされちゃ困るだろ?」
「は…」
 何だかよくわかっていないようなフィルを立たせ、
「そういうもんは、滅多やたらに人前に出しちゃだめだ。世の中悪い奴はいくらでもいる。」
「そうなのですか?」
 あまりに世間ずれしているフィルに呆れながらも、
「それと、俺を呼ぶときはロッドでいい。様、なんざつけられると気色悪くてなんねえ。」
「は、はい。わかりました、ロデリックさ…」
「ロッド。」
「あ、ご、ごめんなさい。」
 慌てて謝るフィルを見下ろしながら、ロッドは頭を掻いた。
…変な拾い物しちまったな…
 そうは思うが、先程のフィルのほとばしるような悲しみと怒りは、ロッドの胸に深く突き刺さった。それにどうもこの絶世の美少年が涙を浮かべて訴えかけてくると、いやとは言えなくなってしまう。
…ま、大貴族に喧嘩売るのもおもしれえかもな。
 ロッドは不敵な笑みを浮かべた。
 フィルは涙を拭うと天を仰ぎ、
…お父様、お母様、お兄様…あなた方のご無念を晴らせますよう、どうぞお力をお貸しくださいませ…
 フィルは小さな拳を胸に当て、祈りを捧げる。
 こうして、偶然の出会いによってできあがった、おかしな二人組の旅が始まった。



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