街道は山道に入っていた。石で舗装はされているがこの辺りは整備が行き届いておらず、だいぶ荒れている。 ロッドとフィルが山肌を蛇行して上る道を行くと、前方に人だかりがあった。道のど真ん中に大きな岩が転がっていて、その岩をどける作業をしようとしているところらしい。 「悪いがちょっと待っててくれ。夜のうちに落石しちまってなあ。」 なるほど、上の方の岩と土が混じった山肌に、その跡らしき穴がぽっかりと空いている。 「どうしましょう?」 「めんどくせえ。避けて通れりゃいいじゃねえか。」 しかし岩は大きく、また道も壊れてしまっていて、とても横を通ることはできそうにない。どうするのだろうとフィルが考えるより先に、ロッドは岩が削った斜面に足をかけて身軽く歩いて行ってしまった。フィルも慌ててついて行こうとするが、どこに足をかけていいかわからない。それでも無理矢理に踏み出そうとして、滑ってしまった。 「いたっ!」 尻餅をつくフィルに見かねた男が、ロッドに声をかける。 「おーい、兄さん!お連れさんが置いてけぼりだぞー!」 「なにい?」 言われて振り返ると、もがいては失敗しているフィルが見えた。 「はぁー…」 大きな溜息をつき、引き返してきた。 「何やってんだ。」 「も、申し訳ありません。」 「あー、俺がばかだったよ。」 頭をかき、フィルの前に屈み込んだかと思うと、荷物ごと背負ってしまった。 「えっ!?」 「落ちるなよ。」 フィルを背負ったまま、三度斜面を乗り越えていく。フィルは落ちないように掴まりながらも、どうして斜面をあっさり歩けるのか、信じられないという面持ちだ。 「お前、軽いなあ。メシほとんど食わねえからだろ。」 「そうですか?確かにこのところ少し痩せましたが、あまり変わっていませんよ。」 だとしたら、もともとかなり痩せているようだそれでは体力のあろうはずがない。そんなことで旅など…と振り返って口を開きかけ、背中からふわりと花のように甘やかな香りが漂うのに気づいた。はっとして思わず口を閉ざし、急いで顔を前に向けた。 ようやく落石現場を乗り越えると、背中からフィルを下ろした。フィルの頬が紅潮しているのは、背負われたことが恥ずかしかったからであろうか。そんな表情を見て、先程の香りが鼻腔の奥に甦る。 「ほら、とっとと行くぞ!」 ロッドは慌ててその香りを脳裏から追い払い、フィルを促して歩き始めた。 夕方になり、たどり着いた町も賑やかなところだった。こぎれいな宿に入り、窓から外を見ていたロッドが、 「酒でも飲みに行くかな。」 そう言い出すと、フィルは少し困ったような顔をした。 「酒飲んだことないのか?」 「いえ、葡萄酒を少しだけは嗜みますが…」 そんなフィルを見て、ロッドは初歩的な疑問にぶつかった。 「…ところでお前、いくつだ?」 「はい?えっ…い、いくつに見えますか?」 「うーん、声変わりしてねーけど、そこまでガキでもなさそうだし…十三かそこらか?」 「…まあ、そんなところです。」 フィルの笑顔は、どこか曖昧だ。 「ロッドはおいくつなのですか?」 「二十。」 フィルは、少し意外そうに大きな目を丸くした。 「もう少し上かと思いました。落ち着いておいでですから…」 「育ちよくねえと、いつまでもガキでいられねえんだよ。」 「そうなのですか…」 フィルは何か考え込むように俯いてしまった。 結局、二人は夜の酒場に繰り出すことにした。未成年はアルコール禁止などという法律はないため、フィルのような子供でも払うものさえ払えば酒を売ってくれる。 夜の酒場は化粧をこらした酌婦などがいて賑やかだが、とびきりの美少年の客は店の中の全員の目を引いた。酔客の視線にフィルが臆した表情を見せるのは、こういった場所に馴染みがないためだろう。 「気にすんな。俺がいれば酔っ払いも絡まねえよ。」 ロッドはフィルを引っ張ってカウンターにつくと、自分にビールを頼み、フィルに蜂蜜入りの温めたワインを頼んだ。 「ずいぶんかわいい連れだねえ。弟かい?」 「そうだ。」 面倒臭いので、適当に返事をする。 「似てないねえ。」 「よく言われるよ。」 ジョッキを口に運びながら、ロッドは人の悪い笑みを浮かべた。かたや眼光鋭い傷だらけの逞しい青年で、かたや美しく優しげな痩せっぽちの少年だ。兄弟と名乗るには無理がありすぎる。 フィルはそんな妙なやりとりを気にもせず、温かいワインにそっと口をつけた。 「おいしいです。」 「そりゃよかったな。」 機嫌よさそうに二三口飲んだだけで、フィルはもう頬を赤く染めている。そんなフィルの隣に座っていた別の客が、酔いに任せて面白がって絡んできた。 「かわいい坊やはまだ甘いミルク飲んでる方がいいんじゃねえか?」 「ミルクも好きですよ。」 笑顔で真面目に返答するのを聞いたロッドに大笑いされたが、どうして笑われたのかフィルにはわからなかったようだ。温かな甘いワインをゆっくりと飲み終えると、熱い息を吐いた。 「坊や、俺のおごりだ、飲んでみな。」 店のオヤジが笑いながら、一杯の酒を押し付けてきた。フィルが困ったようにロッドを見上げると、ロッドは何杯目かのジョッキを顔色も変えずに空け、 「くれるってんならもらっとけ。」 フィルは許しをもらうとオヤジに丁寧に礼を言い、 「では、いただきます。」 「おう、いただけいただけ!」 いたずらっぽい笑みを浮かべるオヤジの前で、フィルはその酒に口をつけた。その途端、口から喉にかけて焼けるように熱くなり、鼻をつくアルコールの臭いが頭のてっぺんまで駆け抜けていく。わずかに飲み込んだだけでむせてしまい、胃も熱くなってくる。 オヤジはその反応にげらげらと笑いながら、 「うははは!秘蔵のブランデーはまだ早すぎたか?ま、飲んでるうちに慣れるもんよ。」 「けほ…っ、そ、そうですか?」 世間知らずも度を過ぎると困りものだ。フィルは今すぐ慣れるのだと勘違いし、再び飲もうと挑戦しはじめた。二口三口で目眩がしてくる。 フィルの様子がおかしいのに気づいたロッドが、慌ててグラスを取り上げ、 「無理して飲むな!」 「は…はい…」 ワイン一杯とわずかのブランデーで、もう耳まで夕日のように真っ赤になり、瞼が半分落ちてきてふらふらと上体が揺れている。 「大丈夫か?」 「は………いじょーぶ…れす…」 呂律も回っていない。フィルを連れて酒場を出たが、フィルは歩くことさえできなくなっていた。 「地面が…波打って…ます…」 「しょーがねーなー…」 ロッドがフィルを背負ってやると、ぐったりと力なくもたれかかってきた。元気だった昼間と違って肩にぐったりともたれた髪から香る酒とは違う甘い香りに、思わずどきりとする。 我知らず高鳴る胸に恐怖を感じ、ロッドは急いで宿へ帰った。 ベッドにフィルを下ろしてやると、もはや正体不明になっていた。 「き…もち…悪い…天井がぁ…回って…」 「悪い。ここまで酒に弱いたあ思わなかった。」 「うぅ…」 いかにも気持ち悪そうなフィルの体を圧迫するものを少しでも和らげようと、上着のボタンに手をかける。襟元から一つ一つボタンを外してやりながら、ロッドは妙な気分になってくる自分に気づいた。 …ばっ、ばかやろっ!何考えてんだ俺は! 激しく首を横に振り、慌てて上着から手を離した。しかしベッドに転がってひたすらうめくフィルを見下ろすロッドの心臓は、異様なまでに暴れている。真っ赤になって苦しげに表情を歪めるフィルは、妙に色っぽいのだ。 …な、何なんだ?こいつは… 欲情と紙一重のおかしな気持ちに悶々と苦しむロッドをよそに、フィルはほとんど死んだように眠りに落ちていた。 その夜は結局ほとんど眠れなかった。しかし、ようやく眠れたと思った早朝、ロッドは妙な違和感に目を覚ました。 「う…?」 久しぶりのその感覚に、ロッドの眠気は一気に吹っ飛び、慌てて飛び起きて布団をめくってみた。 「―――!!!」 その瞬間、ロッドの頭から総ての血液が一気に落下していった。すさまじい衝撃が、雷鳴となって全身を駆け巡る。 ロッドはばったりとひっくり返り、目を覆った。 …俺、そこまでケダモノか!? ショックのあまり、頭の中が真っ白になっていたロッドの隣のベッドで、フィルが蠢いた。 「ん…」 「げっ!」 ロッドは大慌てで上半身を起こし、布団を丸めこんで「現場」を見られないようにした。 ぼんやりと目覚めたフィルは、昨日とは打って変わって真っ青だ。頭痛がするのか、痛そうに頭を押さえながら起き上がるフィルとロッドの目が合った。 「…おはようございますー…」 「お、おう、気分はどうだ?」 「…ものすごく頭が痛くて…気持ち悪いです…。ロッドこそお熱があるのではありませんか?お顔が真っ赤です…」 ぎくっ。 「き、気のせいだろ!ははは、は…」 口元を引きつらせてごまかし笑いをするロッドの様子が変なことに気づく余裕は今のフィルにはないようだったが、それが救いなのか何なのか、もう訳がわからない。 とにかくロッドは、 「お…男なのに…」 恐れていた恐怖が現実となって、ロッドに容赦なく叩き付けられた。もはや人生最大の不覚どころではすまされない。 この密かな事件は何があろうと墓まで持って行こうと、固く誓った。 |