Blade!!


<五>



 フィル改めフィリアンが実は女の子だと判明してから、ロッドは歩調を緩めていた。二人が向かっているのは、国の北西にあるドノー家の領地だ。目的地は定まっているので慌てることはないのだが、やはりフィリアンは早く仇を討ちたいようだった。
 急いで歩いているつもりのようだが、体力も桁違いの上、身長差も頭一つ分以上あるロッドと比べると遅い。よってロッドが歩調を合わせていたわけだが、女の子とわかってから、さらにフィリアンが歩きやすいようにペースを落としている。
「それほどゆっくり歩いてくださらなくとも、大丈夫ですのに。」
「無理すんな。先はまだまだ長いんだから、はりきるともたねえぞ。」
「大丈夫です、先日まではもう少し早く歩いておりましたわ。」
 気負った顔のフィリアンの頭の上に、ぽんと手を置く。小柄なフィリアンの頭は、手を置くのにちょうどいい高さにあるのだ。
「毎日へとへとになってぶっ倒れてたじゃねえか。」
「そ、それは…」
「野良育ちの俺だって、レディは丁重に扱えってことくらい知ってるよ。」
 笑いながら、フィリアンの髪をくしゃくしゃとかきまわした。
 フィリアンの鈴の音のように甘い声でお嬢様言葉を使われると、何とも気持ちがいい。やはり一緒にいるのがとびきりの美少女だと思うと、気分が全く違う。
 そんな調子のいい男の心理など知らぬフィリアンは、恥ずかしそうに俯きながら、乱れた髪を直していた。
 そんな表情は、やはり女の子のものだ。何故言われるるままに男と信じてしまったのか、我ながら間抜けすぎる。それについて全く何とも思っていないらしいフィリアンの呑気さが、この場合は何ともありがたかった。
「…なあフィリアン、敵が襲ってきても、殺されないように逃げてりゃいいからな。自分で戦おうなんて思わなくていい。」
「先日は自分で戦うようにとおっしゃったではありませんか?」
「お前は弱すぎるから、かえって危ないってことがわかった。わざわざ無駄に手を血で汚す必要もねえしな。」
 フィリアンは、悲しそうに俯き、
「私では家族の仇を討つことは無理でしょうか…」
「無理だから俺を雇ったんだろ?だから雑魚は俺に任せて、お前は仇だけを目指せばいい。どんなにお前が弱くても、ちゃんと仇討ちさせてやる。」
 言ってから、まるで独り言のように付け加えた。
「…平気で人を斬れるようになったら、もう元の世界には戻れなくなるぜ。」
 ロッドを見上げていたフィリアンは、どきりとした。何気無く言ったように聞こえたが、その裏側には深いものが澱んでいるように感じた。
…あなたは…
 胸の奥から、悲しみが込み上げてくる。
…私も仇討ちでなければ、人を殺すことなど考えたこともなかったでしょう…けれど仇を討つためには…この世界から踏み出す覚悟をしなくては…
 目を伏せた途端、背中を叩かれた。
「なに辛気臭え顔してんだよ!」
 驚いて見上げたロッドの顔のどこにも、陰りはなかった。それを見たフィリアンも気を取り直すように、微笑をひらめかせた。
 それはまるで、野に咲く小さな花のように密やかで可憐な微笑だった。しかし痛々しさを感じるのは、やはり背負っている悲壮な想いのせいであろうか。
 そんな微笑を見ると、心のどこかで何かが蠢くのを感じる。ロッドはそんな思いを打ち消すように小さく首を振り、
「なあ、今は周りに誰もいないからいいけどな、人がいるとこでそんな顔するなよ。まるっきり女の子にしか見えないから、オカマと間違えられるぞ。」
「おかま…とは何ですか?」
 がく。
 一体この少女は、どれほど過保護に純粋培養されたのだろうか。これほどの世間知らずでありながら、よくもまあ仇討ちの旅などに出られたものである。度胸があるというのか、怖いもの知らずというのか。
「あー…その、男がな、趣味で女のふりしてる奴のことだよ。」
「まあ、変わった趣味の方がいらっしゃるのですね。」
 お前もな。
 すっとぼけたフィリアンの反応に目眩を感じながらも歩いて行くロッドの行く手から、馬に乗った二人の人影が現れた。
 フィリアンは一瞬ぎくりとしてロッドの背中に隠れたが、よく見ればそれは役人であった。
「あの方たちは…?」
「大丈夫だ、殺気は全く感じない。ただの役人さ。」
 それでも不安そうなフィリアンを背中にくっつけたまま歩いて行くと、役人は馬を止めて声をかけてきた。
「旅人か?」
「そうだ。何かあったのか?」
「うむ。狂人がこの辺りに隠れ、通行人に危害を加えている。」
「まあ!」
 思わず女言葉で声を上げてしまった男装のフィリアンに役人がおかしな顔をしたので、ロッドは肘でフィリアンを小突き、フィリアンも失敗に気づいてこそこそとロッドの後ろに隠れてしまった。
「お前は剣士のようだが、充分に気を付けたがよい。」
「そうするよ。」
 馬腹を蹴って去って行く役人がいなくなるのを見てから、ロッドはフィリアンの頭をくしゃくしゃとかき回した。
「あーのーなー、言ったそばから…」
「も、申し訳ありません!一度元に戻しましたら、つい…」
「お前がオカマなんぞに間違えられると、俺も変な目で見られるんだから、気をつけろよ。」
「は、はい、気をつけます。」
 どうもフィリアンの相手をするのは面白いは面白いのだが、調子が狂ってしまう。
 ロッドの感覚を冷たいものが貫いたのはそのときだった。
…殺気!?いや、違う、これは…!?
 はっとしたとき、道の脇の崖の上から、獣のような咆哮が轟いた。
「!」
 見上げると、大男が大きな岩を両腕で高々と担ぎ上げているではないか。その両手首からは鎖が垂れ下がり、先は引き千切られたようになっている。
 大男は人間とは思えぬ奇声を発し、岩を投げつけてきた。
「あぶねえ!」
 フィリアンを脇に抱え、咄嗟に横に飛ぶ。その直後、岩は二人がさっきまで立っていたところに落下し、砕け散った。
「っ…!」
「っと、悪い!」
 ロッドはフィリアンの左腕の傷の上を掴んでいたことに気づき、慌てて手を離した。その間に、大男は崖を滑り降りて来ている。
「こいつがさっき言ってた奴だな!?」
 大男の目は無気味なほどにぎらぎらと光っているのに、焦点が合っていない。錯乱状態にあるようだ。
 フィリアンを狙う敵でなければ放っておいてもかまわないのだが、痛めつけてでもおとなしくさせなければ、被害者が増えそうだ。
「下がってろ。」
 脅えるフィリアンを後ろに押しやって大剣を抜くと、大男は手首につながった鎖を掴み、ぐるぐると回し始めた。
 ロッドは狂人の恐ろしさを知っている。彼らは死も何も恐れずに向かってきて、傷を受けても平然としている。どれほど素人くさい動きであろうと、決して気を抜けない。
 猛る大男は、鎖を振り回しながらロッドに突進してきた。とは言え何も考えずに闇雲に突っ込んでくるだけなので、避けることは簡単だ。ひらりと突進を躱し、大男の脇腹を蹴った。
 たたらを踏んだ大男は木に激突したが、けろりとした顔で雄叫びをあげ、両腕の鎖を振り回してロッドに襲い掛かる。
「ちっ!」
 攻撃を躱しはするが、無茶苦茶な攻撃は間合いが取り辛い。手か足でも切り飛ばさない限り暴走は収まりそうにないと、隙を伺っていた。
 ロッド対大男の戦いを大きな木の後ろに隠れて見ていたフィリアンは、違和感を感じていた。はっきりとはわからないが、野獣のような大男を見ていると何か心に引っかかる。
 手に鎖があるということは、どこかに戒められていて逃げ出したということだろうか。
 だとすると…。ある思いが胸に浮かびかけたとき、大男の悲鳴が上がった。ロッドに肩口を斬り付けられたのだ。しかし、致命傷ではない。
 泣き叫ぶかのように吼えた大男が踵を返したとき、フィリアンと目が合った。その瞬間、フィリアンは自分の感じたことが間違いでないことを確信した。
…ああ、やはり…!
 大男がフィリアンに向かったと思って急いで追おうとしたロッドに、
「お待ちください!」
「!」
 突然のフィリアンの制止に、反り身の大剣が大男に届く直前に止まった。やはり驚いたのか、大男も動きを止める。
「フィリアン!?」
「その方を傷付けないでください!その方は…脅えています!」
「なに…って、おい!」
 ロッドが止める間もなく、フィリアンは逃げ腰になっている大男の元へ歩み寄った。
「…怖いのでしょう?」
 自分をじっと見つめるフィリアンを、大男は不思議なもののようにきょとんとして見た。駆け寄ろうとするロッドを手で制止したフィリアンは、幼い子供に話し掛けるように、
「力の強いあなたを恐れた方に、あなたは閉じ込められてしまったのですね。」
 優しく語り掛けるフィリアンを前にして、大男の表情が変化を見せた。猛り狂った瞳が見る見る鎮まっていく。
「…さぞ怖かったでしょうね。けれどもう大丈夫です。誰もあなたをいじめたりはしません。」
「うう…」
 大男がちらりとロッドを見た。その顔には不安が満ちている。
 フィリアンの想いを察したか、ロッドは手に持っていた大剣を鞘に納めた。
「ほら、もう喧嘩は終わりです。あなたが突然現れたので驚いてしまいましたけど…もう、大丈夫ですよ。」
 優しく微笑むと、大男は大きな体を縮め、フィリアンの前に膝を抱えて座り込んでしまった。その体から荒れ狂った狂気は消え、小首をかしげてまるで甘える子供のようだ。
「ありがとうございます、ロッド。この方がとても脅えているように見えましたから、もしやと思いまして…」
 ロッドがフィリアンの元に歩み寄って来ると、大男はびくりとして後退った。ロッドは何も持っていない手をひらひらと見せ、
「もう斬らねえから、そうびびるな。」
「う…」
 大男がちらりとフィリアンを見上げると、フィリアンはにこりと笑い、
「恐くありませんよ。この方はお優しいのです。」
 フィリアンの柔らかく包み込むような声に、ロッドは胸に不思議な感覚が広がるのを感じていた。フィリアンは幼い子供をなだめるように、
「さあ、もうお行きなさい。どなたかに見つかったら、また誤解されるかもしれません。」
「う…」
 大男はのそりと立ち上がり、不器用な笑みを浮かべると、森の中へと消えていった。
 それを見送っていたロッドは、まだ森を見つめているフィリアンに感心したように、
「うまくやったなあ。どうなるかと思ってひやひやしたぜ。」
「ごめんなさい、まるで泣いている子供のように見えましたの。」
「そうか?」
 そう感じたのは、フィリアンが女だからであろうか。それともフィリアンだからこそわかったのであろうか。己に向かってきた者は容赦なく斬ってきたロッドにとって、それは新鮮な感慨だった。
 ロッドの胸に不思議な想いを残したまま、二人は再び街道を歩き始めた。狂人騒ぎのせいか街道には誰もおらず、森の動物たちの声しか聞こえなかった。
 どのくらい歩いただろうか。緩い崖沿いの狭い上り坂を歩いているとき、突然二人の足元が崩れた。
「うわっ!」
「きゃあ!」
 さして広くない道が崩れ、ロッドもフィリアンも滑り落ちてしまった。木に引っかかってかろうじて止まった体に、土砂や石が転がってきてぶつかる。
 ロッドがそれを払いのけて上を見上げると、やけに不自然な崩れかたをしていた。
「あれは…足場に細工してやがったな。フィリアン、大丈夫か?」
 隣に倒れているフィリアンを揺すってみるが、かすかにうめくのみだ。どこかを打ったかして気を失っているようだが、怪我はなさそうだ。
 フィリアンを助け起こそうとしていると、上の方から無数の殺気が迫るのを感じた。見上げると、崩れた道に弓を構えた覆面の男たちがいた。今度はこちらを狙ってきたようだ。
「ちっ!」
 とっさにフィリアンを抱えて木の陰に隠そうとしたとき、突然彼らが悲鳴をあげた。
「!?」
 見れば、二人の覆面の男が首を後ろから掴まれ、高々と持ち上げられているではないか。そしてその後ろには、あの大男がいた。
 大男は二人をごみのように投げ捨てると、怯む男たちの中へ暴れながら突っ込んでいった。突然の大男の出現に、さすがの襲撃者も狼狽している。
 振り回される鎖に、次々と打ち倒されていく。浮き足立つ男たちを、まさに千切っては投げ千切っては投げしている。
「ぐあっっ!」
 ついに最後の一人が倒れると、大男はこちらを見て得意げに笑った。そして手首の鎖を下ろして、二人を引きあげてくれた。
「助けてくれたのか。借りができたな。」
「う、うう…」
 大男は心配そうに、ロッドの腕の中でぐったりとしているフィリアンを指差す。
「心配すんな、寝てるだけだ。お前のおかげで起こさずにすんだ。」
 ロッドの言葉に、大男は心底嬉しそうに笑った。
 その後ろの方で倒れていた覆面の男たちの一人がまだかろうじて息があったらしく、腕を持ち上げる。その手には弓が引き絞られていた。
「あぶねえ!」
「?」
 それに気づいて叫んだロッドの声に大男が振り向こうとしたとき、大男の体が揺れた。
 その太い首に、矢が深々と突き立っていた。
「が…っ」
 大男がよろめく。
 矢を放った男はそこで力尽きたのか、そのまま突っ伏して動かなかった。
 大男は、何故自分が倒れるのかわからないようだった。地響きを立てて倒れたことが理不尽であるかのように、不思議そうに眼を瞬かせている。
 ロッドはフィリアンを草の上に寝かせて急いで大男の首の矢傷を見る。明らかに致命傷だが、それを表情には出さなかった。
「うぐ…う…」
「大丈夫だ、このくらいで死ぬようなタマじゃねえだろ!?」
 大男は悲しそうな顔をして、横たわるフィリアンを見た。死というものを理解できているのだろうか。
 大男は口と鼻から血沫を溢れさせながらフィリアンに何か言おうとするが、ごぼごぼと血泡を吹く音しかしない。それでもロッドは大男が何を言いたいかわかった気がした。
「大丈夫だ。あいつは俺がちゃんと守るから。」
「…う…う…」
 小さく頷いた血まみれの顔に、いつのまにか安らぎに満ちていた。多くの死に遭遇してきたロッドは、間もなく死が大男を多い尽くそうとしていることに気づいていた。
「おい、こんなとこで寝たら風邪ひくぞ!」
 無駄だとわかっていても、耳元で励ます。大男は血まみれの口元に嬉しそうな笑みを浮かべ、空に視線を動かした。その瞳は無邪気な子供のようにきらめき、空の向こう側を見つめているようだった。
「…マ…」
 大男の指先が、空に向かって伸ばされようとしたとき、そのままぽとりと地面に落ちた。
「……」
 ロッドは大男の手を胸の上で組ませ、空を映したまま時を止めた眼を閉じてやった。
 大男の死に顔は、この上もなく安らかだった。

 フィリアンが意識を取り戻したとき、沈みかけた夕日の光を浴びながらロッドの背中に負われていた。
「…私は…どうしたのですか?」
「敵の罠にかかって落っこっちまってな。でも、あのデカブツが助けに来てくれたぜ。」
「まあ…!それであの方は?」
「お袋が迎えに来たから、喜んで帰っちまったよ。」
 フィリアンは来た道を振り返った。
「お母様と静かに暮らしていけるとよろしいのですけれど…」
「そうだな。」
 背負うロッドと背負われたフィリアンは、互いの顔は見えない。後を見つめるフィリアンがどのような顔をしているか、ロッドからは見えなかった。
…きっとお前に優しくしてくれたのは、お袋とフィリアンだけだったんだな…
 ロッドの肩にかけられた指から、小さく震えが伝わってきた。
 震えるフィリアンの頬を涙が滑り落ちた。
「ごめんなさい…少しだけ…よろしいですか…?」
「…いいよ。」
 ロッドの背中から、小さな鳴咽が漏れ聞こえた。
 夕闇が、二人を包み込もうとしていた。



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