Blade!!


<八>



 その日は朝から冷え込みが厳しく、昼になっても冬のような寒さだった。昨日は温かな陽射しも出ていたものだが、今日は厚い雲が空を塞いでしまっている。そんな天気なので、フィリアンはマントを襟元までしっかりと着込んでいた。
 マントに包まれて男装が隠れてしまうと、フィリアンは髪の短い女の子以外の何者でもない。何でこんな子を少年だと思い込んでしまったのかと、ロッド自身間抜けさを感じる。
 女の子らしく柔らかそうなフィリアンの白い頬が、今日はやたらと白っぽく見えた。もともと蒼ざめたように透き通り、血色の良くない顔色をしているが、それが尋常でない。
「なんだか顔色が悪いぞ。」
「いえ、大丈夫です。」
 笑って見せても、どことなく元気がない。
「無理はするなよ。」
「気をつけますわ。」
 いつの間にか、ロッドの歩みがゆっくりと遅くなっていた。いつも敵に対しては情け容赦ないロッドが見せる、さりげない優しさだ。このようなところにロッドの本質を見るようで、フィリアンは嬉しかった。
 本当は少し気分が悪いのだが、これ以上ロッドに迷惑をかけたくないので黙っていた。
 それにしても、やけに寒い。毛織の温かなマントを羽織っているのに、ぞくぞくするほど寒い。太陽が出ていないだけでこれほど寒いものかと思うが、ロッドを見ても平然と歩いている。
…やはり私は体が甘やかされているのですね。このくらいで音を上げてしまうなど…
 フィリアンは、体の芯から湧き上がってくる寒さを噛み殺した。
 それからどのくらい経った頃だろうか、ロッドがフィリアンの後ろにまわり、肩に手をかけて低く囁いた。
「気をつけろ。後ろから怪しい連中が来る。」
「は、はい…」
 応えたフィリアンが、ふいによろけた。
「つまずいてしまいました。」
 そうは言ったが、実は突然目眩がしたのだ。寒さはどんどんひどくなり、胸が苦しくなって頭がぐらぐらしてくる。
…こんなときに…
 何とか気合を入れて頑張ろうとしているフィリアンの様子がおかしいことに、ロッドも気づいた。いつのまにか、紙のように白かった頬が赤くなっている。
「おい、熱あるんじゃないのか?」
「大丈夫です…!」
 強い調子で応えるのと、背後から鋭く風を切る音が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
「!」
 ロッドが咄嗟にフィリアンをかばって覆い被さるように倒れ込むと、頭上を数本の矢が通過していった。
 その矢が地に落ちるより早く、四人の狩人姿の男たちが襲い掛かってきた。ロッドはフィリアンを抱えたまま街道脇の大木のもとまで転がり、跳ね起きざま大剣を抜き払う。
「ここにいろ!」
「はい…!」
 大木の陰に隠れたままレイピアの柄に手をかけ、飛び出して行くロッドを見送った。
 その後姿が、ぐにゃりと歪む。
 頬を叩いて自らに喝を入れたものの、剣を交えるロッドの姿が急激に霞んでいった。
 四人の男たちは小弓で牽制しながら、巧みに攻撃してくる。踏み込もうとするときに矢が飛んできたり、矢を払った隙に斬りかかられたりと息の合った連携を見せる。
 ロッドが剣を持つ男に向かった瞬間に矢が放たれたが、前転して矢と剣を避けながら剣を持つ男の足を斬り払う。崩れた四人の連携を立て直す暇を与えず、いつの間にか抜いていたナイフを矢を放ったばかりの男に投げつける。横腹にナイフを受けた男はすぐには攻撃に移れない。跳ね起きざま地を蹴って、体当たりするようにもう一人の剣を持つ男に突っ込み、その体に刃を突き立てた。そのロッドに向かって、残る一人から矢が放たれる。
 ロッドは男の体を大剣に刺したまま力任せに横に振るって盾とし、矢は男の背中に突き立った。盾とした男の体を蹴り飛ばすと、矢を射た男が避けきれずに激突した。そのまま体勢を立て直す間もなく、一刀のもとに斬り捨てられた。
 人数が多ければ、その分ロッドは手加減をしなくなる。何しろ戦闘力はゼロに等しいフィリアンに、一人もまわさないようにしなければならないのだ。
 残るは、脇腹にナイフを受けた男だけだ。男は矢を捨てて剣を握り、血が噴きこぼれるのもかまわずに突進してくる。ロッドは地面に落ちていた小弓を拾い、男の胸に向かって矢を放った。猪のように捨て身の突撃を試みた男に、それを避けることはできなかった。咽喉元に仲間のものだった矢を受け、地面に倒れ伏した。
 もう誰も立ち上がらないことを確かめて大剣を拭って鞘に納めると、ロッドは大木の陰に隠れるフィリアンのもとへ戻った。
「もう終わったぞ。」
 覗き込むと、フィリアンは木の根元に倒れていた。
「フィリアン!?」
 流れ矢か、まさか他に敵がいたのではと心臓が止まりそうになりながら、すぐさま呼吸を確かめ、どこにも傷がないことを確認した。怪我はないようだが、顔を真っ赤に染めて苦しげに荒い息をしている。その病的な頬の赤さに手を額に当ててみると、革の手袋を通して熱が伝わってきた。
「すごい熱じゃねえか!」
 ロッドは自分のマントもフィリアンに羽織らせ、荷物ごと背負うと大急ぎで街道を進んでいった。
 苦しげに熱い息を吐くフィリアンをちらりと振り返り、
「だから無理すんなっつったんだ…!」
 舌打ちし、ほとんど走るように次の町を目指した。

 何とか日暮れ前に宿にたどり着き、宿の主人に医者を頼むと、急いでフィリアンを寝かせる。
「フィリアン?」
 呼びかけてみても、反応はない。とにかく苦しそうなフィリアンが少しでも楽になるように胸を巻き締める布を外したいのだが、本人が起きてくれない。ロッドはしばしためらった後、ふんぎりをつけてフィリアンのシャツを胸のすぐ下までたくし上げた。
「何もしねーから、悪く思うなよ。」
 露出した白く滑らかな腹部に見惚れそうになる眼を必死に逸らし、背中に手を差し入れて胸を巻き締める布をほどいて引きずり出した。布によって押し潰されていた乳房が盛り上がり、シャツを押し上げる。
「……」
 思わずよからぬ願望がうずいたが、医者の来訪を告げる声にかき消された。
「患者さんはそちらかな?」
 じれったいほどに歩みの遅い年老いた医者がのそのそと入ってきて、フィリアンの脈を診た。このときばかりは、性別がどうしたなどと言ってはいられない。
「旅人じゃろ?旅は長かったのかね?」
「ああ、けっこう…」
「その疲れと急な冷え込みで、風邪をひいたのじゃな。」
 薬を調合する老医師の横で、フィリアンの様子を伺う。そんなロッドの背中を老医師が思い切り叩き、
「ほれ色男!こんなきれいな恋人の体調くらい、ちゃんと気をつけてやらんか!薬はこれじゃ。熱が下がっても、数日は休ませたがよい。」
 どうやらロッドとフィリアンの関係を勘違いしたらしいが、苦笑いで応える。
 老医師が帰ってから、ロッドはフィリアンのベッドの脇に座っていた。その脳裏に、泉で見たフィリアンの華奢な後ろ姿が甦る。それに今し方見たフィリアンの腹部は、痩せ過ぎなほどに細かった。
…こんな体じゃ、長旅は堪えるよな…
 それに普通の旅ではない。仇討ち、暗殺者、様々な緊張や恐怖、衝撃に苛まれているのだ。フィリアンの顔色が日頃からよくないのは、体力的にも精神的にも限界の状況にいるためだろう。
…何でお前がこんな目に遭わなけりゃならねえんだろうな…
 それもまた、フィリアンの運命というものなのだろうか。ロッドはやりきれない思いを胸に抱いたまま、冷たい水で絞った布をフィリアンの額に乗せてやった。
 フィリアンが目を覚ましたのは、夜中のことだった。
 ぼんやりした視界の中に、ロッドの顔が見える。
「…私…どうしましたの…?」
「隠れてる間に倒れちまったんだ。疲れからきた風邪だとさ。」
「ごめんなさい、ご迷惑を…」
「俺ももっと早く気づいてやればよかったな。」
「ごめんなさい…」
 ロッドに支えられて体を起こし、薬を飲んだフィリアンは、自分の胸のことに気づいた。熱で赤くなった上からさらに赤くなり、恐る恐る、
「あ、あの…もしや…」
「ああ、そいつなら外したよ。んなもん巻いてたらよけいに気分が悪くなる。」
「そ、それでは、あの…」
 うろたえるフィリアンの言いたいことはわかる。
「安心しな、見ても触ってもいねえから。でも腹と背中にゃ触っちまったけど、それは勘弁してくれ。」
「そ、そうですか…お手数をおかけいたしました…」
 再び寝転んだフィリアンは、頭まで布団を被ってしまった。男に体を触られたことなど、初めてなのであろう。それでも目から上だけを布団から覗かせ、
「…ありがとうございます…」
 消え入りそうな声で言うフィリアンの額に、絞った布を乗せて笑った。
「とにかく寝て、さっさと熱下げちまえ。」
「…はい。」
 熱か恥ずかしさか、真っ赤な顔のままで吸い込まれるように眠りに就いた。
 フィリアンは夢を見た。
 何年前のことであろうか。幼い自分が熱をだし、ベッドに寝ている側に母がいた。美しく優しい母は、フィリアンを一日中つきっきりで看病してくれていた。母の柔らかな手の感触を頬に受けていると、父と兄が見舞いに入ってきた。兄は美しい薄紅色の花を持ってきて、
―池の向こうに咲いていたよ。散ってしまう前に治して、見に行こうね。
―ありがとう、お兄様。ねえお父様、フィリアンのお熱が下がったら、生まれた子馬を見せてくださいね…
 温厚な父の優しい笑みとともに、大きな手がフィリアンを撫でた。
―いいとも。とてもかわいい子馬だよ。
―あの子馬はフィリアンがもらうといいよ。お父様と僕と、三人で森に行くんだ。
―さあ、待ちくたびれて置いてけぼりにされないように、少しでも早くお熱を下げなくてはね…
―はーい、お母様…
 温かな家族の温もり。遠くなって行く温もり…。
 眠っているフィリアンの紅潮した頬に、一筋の涙が伝った。
「……」
 フィリアンの唇がかすかに動く。
 その唇の動きは、母を呼んだのだろうか。
 熱に浮かされながら悲しげに眉根を寄せるフィリアンの涙を、指先でそっと拭ってやった。
…夢の中でさえ、家族と幸せに過ごせないのか…
 ロッドはベッドの脇に立てかけてある大剣をちらりと見た。
「…家族…ね…」
 低く呟き、顔の一文字の傷を指で触れた。

 フィリアンの熱が下がったのは、二日後だった。ありがたいことにその間、敵の襲撃はなかった。恐らく宿から一歩も出ていないので捜すのに手間取っているのだろうが、まだ油断はできない。
「おかげさまで、気分もよくなりました。ロッドのお陰ですわ。」
「ぶり返すと面倒だ。もうちょい寝てな。」
 ぶっきらぼうな返答に、フィリアンは微笑した。フィリアンは知っている。自分が熱を出している間、ずっとロッドは枕辺に座っていてくれたことを。夜中に目覚めると、椅子に座って腕と足を組んだまま眠っているのを見た。
「私はもう大丈夫ですから、ごゆっくりお休みになってください。」
「ああ。」
 照れ隠しとも思える仕種で、背を向けて剣の手入れをしているロッドを、ベッドに横たわったままフィリアンはくすくすと笑って見ていた。
…本当はとてもお優しい方だとちゃんとわかっていますのに…どうしてそのように無愛想な振りをなさるのかしら。
 フィリアンは、ロッドの広い背中をしばらく眺めていた。
 夜になって、フィリアンは起き出した。
「すっかり治りましたから、明日出発しましょう。」
「ほんとに大丈夫か?」
 後ろから捕まえるようにフィリアンの額に手を当て、自分の額と比べてみる。
「うーん、熱はもう下がってるみてーだけどなあ。お前体力なしだから、またぶり返したりしたら…」
「大丈夫ですわ。がんばりますから。」
 だから、無理するなっつってんだろーが。と思いつつ、熱を診た手でフィリアンの前髪を掻き回し、
「じゃあ、明日の朝の様子な。」
 どうしても信じてくれないロッドに不満そうな顔をしながら、フィリアンはベッドに戻った。
 深夜になっても、ロッドは眠れなかった。昼寝をしてしまったためだが、フィリアンはぐっすりと眠っている。
…疲れてんだろうな…
 不憫に思いつつ、眠れないついでに剣以外に持っている刃物の手入れを始めた。
 人の血脂を吸った刃は、ちゃんと手入れをしないと切れ味が鈍る。短剣やナイフも入念に手入れし、それを終えるとフィリアンのレイピアも手に取った。美しい造形のそれは、戦闘用というより装飾用といった趣で、ロッドの剣に比べて遥かに軽い。握りも細すぎてロッドには使い辛いが、フィリアンの小さく華奢な手にはちょうどいいのだろう。
…どうせ、剣の手入れの仕方なんざ、知らねえんだろな。
 精巧な象眼の施された鞘を外して細い刀身を見てみると、ほとんど新品同様だが、やはり手入れをした形跡はない。ことのついでに手入れを始めてレイピアをいじっているうちに、握りの部分の中が空洞になっているのに気づいた。丸い小さな石突を回すと、外れるようになっている。空洞化するのはわかるが、石突を外れるようにする理由はわからない。
 何となく興味をもって石突を外そうとした瞬間、ロッドの背筋に冷たいものが走った。
「……」
 がらりと表情が厳しく引き締められ、眠っていたフィリアンをそのまま抱き上げた。驚いて目を覚ましたフィリアンを、ベッドと壁の狭い隙間に放り込む。
「ど、どうなさいましたの!?」
「静かに。」
 突然のことに戸惑いながらも、ロッドでは入れなさそうな隙間で、必死に息を潜める。
 ロッドは蝋燭の火を消して手入れしたばかりの短剣を握り、扉の脇にぴたりと張りついた。廊下からひたひたと、足音を殺した何者かが近づいてくる。
 こちらも気配を殺していると、ドアの鍵穴から細長い棒が覗いた。
 それがかすかな物音を立てながら動くと、鍵の開く音がした。
 静かに、静かに扉が押し開けられ、真っ暗な部屋に黒い影が頭を覗かせる。
 何も見えない部屋の中を確認しようと、侵入者がさらに首を伸ばした瞬間、扉の脇に潜んでいたロッドがその首を捕え、床に叩き伏せた。
「ぐわっ!」
 素早く肘の関節をとり、首筋に刃を押し付ける。
「何者だ!?」
 こんな侵入の仕方をする者が、宿の人間であるわけがないし、何より殺気を身にまとっているはずがない。
 捕えた腕をねじり、肩関節を外してやると、侵入者が苦悶の呻き声を上げる。
 ロッドは開いた扉から廊下へ向かって、大きな声で「泥棒だ!」と叫んだ。
 隣の部屋からも驚いた客が顔を出し、この様子を見て騒ぎ出す。
「お客さん、どうしました!?」
 間もなく騒ぎを聞きつけた宿の主人が飛んできた。
「物盗りだ。ロープを持ってきてくれ。」
「は…」
 ランプの灯りに浮かび上がる異様な状況に蒼ざめながらも、宿の主人は慌ててロープをとりに戻って行った。
 縛り上げた侵入者を役人へ引き渡し、鍵を壊された部屋を代えてもらい、新しいベッドに入ったものの目が冴えてしまって眠れずにいるフィリアンに、
「どうやら、俺たちの居場所が勘づかれたらしい。朝になったらここを出よう。」
「はい…先程の方は泥棒さんではありませんでしたの?」
「泥棒なら、他の部屋を無視してここにいきなり来るわけがねえや。」
 またも命を狙われたことが恐ろしかったのか、横たわったまま身震いをする。
「それと、ちょっとでも気分悪そうだと思ったら、絶対に言えよ。やせ我慢していきなりぶっ倒れるのはもうなしだからな。」
「は、はい、ごめんなさい…」
 今度ぶっ倒れられて、ロッドがまた胸に巻いた布をはずす羽目になったら、もう我慢できる自信がない。
 そんな仕様のない理由は口にせず、荷物をまとめていた。



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